彰義隊の足跡を訪ねて

慶応4年(1868)5月15日の上野の山戦争の足跡を訪ねる歴史散策会に参加した時の記録である。

慶応4年1月の鳥羽伏見戦争に負け、江戸に逃げ帰った最後の将軍徳川慶喜は朝敵となってしまう。
慶喜は上野の寛永寺に謹慎していたが、旧幕臣の中には「朝敵」という冤罪を雪ぐために集まり、慶喜の雪冤と江戸市中取り締まりを目的に結成されたのが「彰義隊」であった。「大義を彰かにする」とうので、「彰義隊」となったという。

散策のスタートは、浅草。まずは、「浅草寺」詣でである。
浅草寺は、推古天皇36年(628)に漁師の兄弟が隅田川で観音像を引き上げたのが縁起と云うから、実に古刹である。浅草観音と云われるのも引き上げたのが「観音像」であったからである。
まずは、雷門。ここはYou達が多く、世界の観光地を体感させてくれていたな。
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仲見世通りも、まともに歩けない大混雑。
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本堂に参拝し、五重塔に見惚れて1枚。
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さて、今回の本題「彰義隊」である。彰義隊の面々は、当初「尊王恭順有志会」としていたが浅草のここ東本願寺で組織名を「彰義隊」と命名したという。彰義隊発足の地である。
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頭取に、一橋家家臣 渋沢成一郎、副頭取に幕臣天野八郎だったとのことだ。この渋沢成一郎は、深谷出身の明治の大実業家である渋差沢栄一の従兄である。
この東本願寺は天正19年(1591)神田に創建された古刹であるが、明暦の大火後ここ浅草に移転されている。

彰義隊は、ここ東本願寺を屯所に江戸地中取り締まりに尽力したというが、江戸総攻撃が西郷・勝の会談などを経て中止になり、上野寛永寺に謹慎していた慶喜が水戸へ去る。そこで、慶喜警護の名目もなくなり、武断派の天野らが上野の山に籠るようになる。この頃、渋沢は武断派の天野等とは袂を分けていたということだ。

浅草通りを一路上野へ向かう道すがら立ち寄ったのは、田原町駅近くの「本法寺」である。お寺の塀に多くの落語家の名前が赤字で描かれている。本法寺は、天正19年(1591)江戸城紅葉山に開かれた日蓮宗の寺院であるが、こちらも明暦の大火後、この地に移転されている。
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境内には「はなし塚」があった。日本が太平洋戦争に傾いていくころ、落語が時勢にそぐわないとして自主的に上演を自粛した名作を落語家を慰霊するべく建てられたと云う。
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さらに、こちらは「金龍寺 」。荷田春満(かたのあずままろ)のお墓があるとのことだ。荷田は、元禄期の国学者で、赤穂義士の大石内蔵助らをサポートしたと云う。
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浅草通りを西に進むと、稲荷駅近くの左手に「下谷神社」(したや)が見えてきた。
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天平2年(730)上の忍ケ丘に創建された古社である。寛永4年、寛永寺創建時山下に移転し延宝8年(1680)この地付近に再移転したという。この下谷稲荷神社は、江戸期寄席興行で有名だったという。寄席発祥の碑も建立されていた。
明治の俳諧「正岡子規」の一句も残っていた。「寄席はねて 上野の鐘の夜長哉」
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さて、上野駅を右見て更に京成上野駅も右に見て通り過ぎ、上野公園正面入り口に到着だ。この辺りが彰義隊と新政府軍との間で激戦が行われた「黒門」前跡地である。
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<上野の山黒門跡付近から御徒町方面を望む>

慶喜不在の江戸市中で彰義隊士らの新政府兵士への殺傷事件も発生し、ついに慶応4年5月15日の上野の戦争勃発となったのである。この絵の黒門は戦後荒川区の円通寺へ移転されていて、見ることは出来ないのは残念である。
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この黒門跡後ろの階段を登った辺りが「山王台」である。有名な「西郷隆盛像」がある所である。
彰義隊は、ここに四斤砲を据えて御徒町方面から攻め寄る新政府軍に撃ち下ろしたという。
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西郷隆盛像のすぐ後ろに彰義隊士の墓があった。上野戦争はたったの1日で新政府軍の勝利に終わり、彰義隊士で生き残った者はちりじりに逃げたとことであるが、戦争の3日後遺体は266体もあったという。円通寺の僧と民間人の三河屋らが火葬に処したという。
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墓には、「戦死の墓」と刻まれている。明治14年に山岡鉄舟により刻まれた墓碑である。
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さらに彰義隊の痕跡を探し、上野公園の奥へ。
左手に見えてくるのが「東照宮」である。東照宮の手前には寛永6年の東照宮創建時いち早く寄進されという通称「お化け灯籠」だ。
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織田信長の武将佐久間盛次の四男 佐久間大膳勝之の寄進だ。高さ6.06メートル!!!確かに、お化けである。

上野東照宮山門である。参道に並ぶ灯籠が見事であった。
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上野東照宮本殿と唐門。日本には一つしかな重文の金箔の唐門である。
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更に上野公園を奥へ。今は公立博物館の手前に噴水広場が広がっているが、この辺りは、上野戦争で焼失する前は、寛永寺の根本中堂があったとの案内掲示があった。
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国立博物館手前を右に進み、輪王寺大師堂には、旧寛永寺の山門が移築され残されていた。
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接近して門を見ると、上野戦争当時の銃弾の跡があちこちに残されていた。
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ここ輪王寺境内は、梅が満開で実にいい香りが漂っていた。青空に映えた満開の白梅が美しかったな。
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境内には、なぜか谷中に住んでいたという幸田露伴宅の門が移築されていた。幸田露伴の代表作「五重塔」は、現寛永寺の根本中堂を手掛けた大工が主人公と云う謂れがあるとのことだ。
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彰義隊直接関連はないが、こちらは鳥取藩邸の表門だ。丸の内にあったものであるが、明治後高輪で皇族の表門として使われてのち、昭和29年この地に移築された重文である。
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更に進むと、こりゃ何だ~?
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京成電鉄の地下駅だった「博物館動物園駅」の駅舎であった。昭和8年開業、昭和54年廃駅。平成9年には入り口も閉鎖され現在に至っているとのことである。

上野公園を不忍の池方面へ。不忍の池から弁天堂を望む。
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新政府軍がアームストロング砲と云う当時では破壊力がすざましかった大砲を据えて攻撃したという、旧富山藩邸跡地へ。今は、東大附属病院になっているが、その東大池之端門を入り、坂道の中腹あたりが富山藩邸だったという。目の前には高層マンションが立ち並び、不忍の池はもちろん上野の山も見通せない。この写真の下り坂の向こうの白い高層マンションの方向が上野の山黒門があった方角である。当時は、ここからの新政府軍のアームストロング砲による攻撃が勝敗を一気に決定したという。
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東大池之端門の傍に、「弁慶鏡ケ井戸」があった。ポンプを漕ぐと勢いよく水が出てきた。この井戸は、源義経主従が奥州へ向かう時に、井戸水で喉を潤したとの伝承である。
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ここからは、不忍通り一気に歩き千駄木の団子坂下へ。右に曲がると「三崎坂(さんさきさか)」である。この坂は、上野戦争では長州藩・大村藩兵らの新政府軍は攻め込んだ坂で豪雨のなかの激戦だったという。「三崎(さんさき)」とは、駒込・田畑・谷中の3つの高台があるので三崎と云うとのことだ。
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三崎坂の中腹左手のお寺さんには、勝海舟と協力して「江戸無血開城」に尽力した「山岡鉄舟」のお墓があった。
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上野桜木から現在の寛永寺へ。ここの根本中堂は、本堂が上野戦争で焼失してしまったので、明治9年 川越の喜多院の本堂を移築したというものであった。
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この根本中堂も境内には、「上野戦争記」碑がひときわ大きく建っていた。碑には彰義隊の結成から上野戦争までの活動が刻まれていた。裏面には最初に檄文を発行し有志を集めた「本田晋」の名前も冗談に刻まれていたな。明治44年建立の碑であった。
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最後に見学できたのが、現寛永寺墓地の一画に残っている重文の「徳川家綱霊廟勅額門」である。
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鶯谷に到着して、今回の「彰義隊の足跡を訪ねる」散策はお開きになった。総歩数23000歩、約15キロの長丁場だった。途中リタイアーせずに歩き通せて良かったな。
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by Koppe3T | 2014-03-16 11:45 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

Commented by 矢木蓋午仔 at 2014-03-19 18:44 x
今晩は。成田だけでなく浅草もyou達多いですよね~?
はなし塚知りませんでした。
彰義隊の足跡を訪ねてのウォーキングいいですね~
上野公園も奥深く見る所結構あるんですね?
それにしても随分歩きましたね?

Commented by Koppe3T at 2014-03-19 19:47
矢木蓋午仔さま>

コメント、ありがとうございます。
「Youは何しに日本へ」と云う番組があり、ついついYouを使ってしまいました。
話には色々聞き及んでいた彰義隊の結成から上野戦争の足跡を訪ねることが出来た散策会でした。
かなり歩いたので、結構足裏に響いていました。

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