2017年 09月 11日 ( 1 )

 

新宿から中野への伝説道をたどる

土曜日は、「新宿から中野への伝説と古道をたどる散歩」に参加だった。

スタートは、西新宿五丁目駅から。
早速、神田川の支流で暗渠になっている和泉川暗渠だ。川らしくカーブが続くのが嬉しい。
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映画「タンポポ」でも登場する豚の遊具も残っているんだよな。
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暗渠になっても、昔ながらの橋の欄干は残っているんだよね。これは、昭和7年に架けられた「柳橋」。
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神田川への合流地点である。和泉川からの水の流出はないかったけれど、しっかり大きな口が覗けたな。
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神田川に架かる「長者橋」である。紀州出身の鈴木九郎が流浪の末住み着き、荒野を開拓し巨万の富を得、「中野長者」と呼ばれたとのことだ。遠くに新宿副都心の超高層ビル群が望めちゃうのだ。
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神田川から中野坂上方向へ少々上ると、「成願寺」だ。中野長者と呼ばれた鈴木九郎1400年頃屋敷跡に建てた曹洞宗の寺院である。



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中野長者鈴木九郎氏の墓所である。
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境内には、鈴木九郎の生い立ちを紙芝居的に描いた長大な絵巻があるのだ。読みごたえがあるよ~~~。
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寺院の門には石柱残され、「左十二社」・「向淀ばし」が読み取れる。現在の杉並区の妙法寺へ行く道の起点だったとのことだ。
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中野坂上から青梅街道を都心方向へ下って行くと、大きな「石森ビル」だ。神田川の水力を使い、青梅街道を使って集まった物資を加工し粉・醤油・味噌などの産業が盛んだったようだ。この石森製粉も幕末から大正にかけて製粉業を営んでいたのだ。ビルの前には、人の身長ほどの石臼が残されている。



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神田川に架かる「淀橋」である。江戸名所図会にも、人馬や水車が賑やかだ。但し、その昔は、中野長者が金を埋めるために雇った人夫がこの橋を渡って行ったのだが、長者に殺され帰って来なかったので「姿見ずの橋」とか「暇乞いの橋」と呼ばれていたとか。
後に、その話を聞いた将軍家光が山城国の淀川に似てるからと「淀橋」と改めたと云う。
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蜀江坂である。この辺りは高台で、蜀江山よ呼ばれていたとのことだ。
平将門が蜀江錦の袖を落とした説と将軍家光が鷹刈りの折、紅葉の美さを錦と称賛したとの説がある。それにしてもここからの新宿副都心の眺めも現在の錦であるな。
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鎧神社である。西暦900年の頃行基作の薬師如来を本尊として創建された圓照寺の鬼門に創建された古刹である。歴史上に有名な日本武尊が甲冑を隠した・平将門が藤原氏郷に打たれたのち土地の者が将門の鎧を埋めた・将門を討った藤原氏郷将門の兜を埋めたとの3説があるのだ。
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境内の天神社には実に珍しい「狛犬型庚申塔」が残されていた。狛犬の前右足が継足なところも古刹を感じさせてくれた。
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丁度、地元の祭りで柏睦会の子供神輿だ。
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真言宗豊山派の寺院、圓照寺である。中野で病に倒れた藤原氏郷がこの薬師如来に祈願したところ、たちどころに治癒し将門を倒すことが出来たとのことだ。また、この辺りの地名だった「柏木」の由来になった柏木右衛門の屋敷跡でもあった。
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今は暗渠となり神田川に注く桃園川だった緑道である。ここも、うねうねカーブが川のなごりを想像させてくれるな。
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中野村総鎮守の中野氷川神社である。1030年源頼信が大宮氷川神社から歓請した。
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宝仙寺三重塔跡地である。1636年、中野村の富農飯塚惣衛門夫妻が施主となり創建したとのことだ。庶民が建てたって!!!、凄いことだ。昭和の戦争で焼け、平成4年に宝仙寺の境内に再建されている。江戸名所図会に当時の面影を見ることが出来る。
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真言宗豊山派の寺院「宝仙寺」である。平安後期、源義家の奥州征伐の帰路に祀ったのが始まり。
境内には、実に珍しい石臼塚が残っているのだ。製粉が盛んだった中野村ならではの塚である。
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再建された中野三重塔である。
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なお、昨日27時間TVを見ていたら、この宝仙寺が出てきて、江戸期吉宗の治世の頃、今のベトナムから送られた象が長崎から江戸まで陸路運ばれ、吉宗に献上されたのだが、餌代が嵩みこの中野村の百姓に払い下げられたとのことだ。百姓は、象小屋を作り見世物にしたり、象が死んだ後も象牙や骨を見世物して大儲け。その象牙や骨が今も寺院に残されているとのことだ。


浅田醤油醸造所の遺構でフランス組レンガ塀である。戦前は、ここのそばつゆが東京のそばつゆを独占していたとのことだ。
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明徳稲荷神社である。ここの狐の彫り物がある手水鉢は慶応3年の作である。
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慈眼寺。1544年創建。境内のパコダ(仏舎利塔)がタイ風である。タイの寺院から寄贈された仏舎利一粒が納められているのだ。
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江戸期、堀之内妙法寺に参拝する道筋だったことから繁盛した鍋屋横丁である。交差点に鍋屋と云う茶店が草餅を販売して実に繁盛したとのことだ。
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「十貫坂」。神田川方面へ下る100mほどの坂で、十貫文の入った壺が出た説と中野長者がここから見渡せる限りを十貫文で買ったと云う説がある。
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神田川に架かる相生橋から妙法寺へ向かう古道「本郷道」には多くの道標があるが、こちらは「指差地蔵」である。お地蔵さまの台座に妙法寺方面を指で差した彫りがあるんだよね。
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本郷氷川神社。14469年大田道灌が大宮氷川神社より勧請。
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若の花が開いて、かの若乃花・貴乃花などを輩出した二子山
部屋である。今は若貴も引退し移転ししている。表札だけは残っていたな。
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で、こちらが今回の最終地姉さんならぬ「anea Cafe」だ。こちらでの打ち上げだったのだが、出てくるもの全てが美味しい美味しい。飲み放題のアルコールも随分と進んだようだ(笑)。

武蔵野の中央から地名になった「中野」!!奥深いねぇ~~。今回も微細な案内ありがとうございました。足裏にかなりきたけれど、最後まで歩き応せて良かったな。

誤字脱字がありましたら、ご勘弁ください。




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by Koppe3T | 2017-09-11 18:17 | ウォーキング・散策 | Comments(6)