カテゴリ:ウォーキング・散策( 81 )

 

旧中山道「板橋宿」

先日「旧中山道板橋宿を歩く会」に参加してきた。


集合は、JR埼京線板橋駅。板橋駅は、実に昭和の風情が色濃く残る駅で、嬉しい駅舎だ。ただ、クレーン車や重機が取り囲んでおり、近々新しい駅に改装されそうだった。
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駅前のロータリーの向かいにあるのが、新選組局長「近藤勇墓所」だ。
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慶応4年流山で捕えられ、板橋塾に置かれていた新政府の本陣で取り調べを受け、政府軍に在籍していた元新選組隊士に見破られ、板橋刑場で処刑されたのだ。
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近藤勇と土方歳三の両名の名が刻まれた墓標なのだ。明治9年、新選組生き残りの永倉新八によって建立されたとのことで、傍には、永倉新八の墓も。
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さて、旧中山道を板橋宿へ向かう。
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首都高速を潜ると、板橋宿の「平尾宿」が見えてくる。板橋宿は、江戸方面から「平尾宿」・「仲宿」・「上宿」に分かれているのだ。
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平尾宿入り口手前を、少し入った「東光寺」である。ここには、江戸幕府により八丈島流罪となった「宇喜多秀家の墓」がある。明治になって赦免され東京に戻った子孫が建立したものだ。墓には「秀家卿」の三文字だ。
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板橋宿に入り、数分歩くと室町時代の暦応元年(1338)創建の「観明寺」だ。
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境内には、明治になり近くの加賀藩下屋敷から移築したと云う赤門だ。東大の赤門の小ぶり版に見えたな。
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そして、更に加賀藩下屋敷に祀られていて、明治になりここへ遷座されたと云う稲荷神社も残されているのだ。
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また、こちらは、江戸初期漢文元年(1661)造立の庚申塚で、都内最古とのことだ。
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街道を進むと、豪奢な唐波風の玄関を持つ銭湯「花の湯」だ。残念ながら、この3月30日付けで廃業の張り紙であった。
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そして、花の湯の脇道を10数メートル入ると、「板橋宿平尾脇本陣跡碑」だ。碑のみではあるが、江戸期ここに脇本陣があったと碑で残してくれているのは、有難いことだ。江戸期、この脇本陣は豊田家が当主であり、慶応4年流山で捕えられた近藤勇は、この豊田家脇本陣に幽閉されていたと云う。
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板橋宿の仲宿へ入る前に、「いたばし観光センター」で休憩タイム~~~。江戸期の街道の様子がよくわかる資料も展示だ。
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板橋の地名にもなった「板の橋」の白黒写真も残されていたな。
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さて、仲宿へ進む。
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江戸期は立馬馬・囲馬などのつなぎ場として賑わっていたと云う「遍照寺跡」である。明治になり廃寺となってしまい。境内は実に悲しい。
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しばし進むと、スーパーライフが右手に見えてくる。このスーパーが板橋仲宿の本陣があった場所で、脇のブロック塀に隠れるように「板橋宿本陣跡」の碑のみだ。
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本陣跡の向かいには、宿場らしい和菓子屋さん「新月堂」。板橋にちなむ「いたばし最中」や 加賀下屋敷にちなんだ和菓子が楽しい。麩まんじゅうで一息~~~。
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本陣跡のスーパーライフの裏手に向かうと、本陣飯田家の菩提寺でもある「文殊院」だ。飯田家代々の墓や宿場の「遊女の墓」が残されている。3本の墓石に何人もの遊女の名が刻まれているんだよな。
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こちらは、仲宿脇本陣跡である。板橋仲宿の名主を務めた飯田家の屋敷跡だ。将軍家茂に降嫁する和宮が宿泊した脇本陣でもある。
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さて、板橋の地名の由来にもなった石神井川にかかる板橋である。往時は板の橋
だったのだが、今は木目調の欄干がついている。江戸から二里二十五町三十三間(10.642m)
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川岸は桜並木で、春には見事な桜を愛でることが出来るに違いない。
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板橋を渡ると「板橋上宿」だ。ここには、今でも信仰されている「悪縁は切ってくれるが良縁は結んでくれる」で有名な「縁切榎」だ。川柳「板橋へ三行半の礼詣り」でも有名だ。
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今でも、このように榎の樹皮を切り取って持ち帰る人が後を絶たないらしい。
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これにて、板橋宿終了~~~~。今回も、案内ありがとうございました。








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by Koppe3T | 2017-07-19 09:45 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

上総中山周辺

先日、小雨の中上総中山周辺の散策会に参加してきた。

出発は、ここから~~~~
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早々に現れるのは、黒門と称される総門である。市指定有形文化財である。
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この参道脇には多くの古風な商店が並んでいるのだが、こちらの門は、市の施設で「トイレ休憩などご自由にお使いください。」とのことだ。実にお洒落である。
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で、赤門(仁王門とも)と称される山門である。実に壮大で、見惚れる。
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この山門を透かして望む石畳通りが何とも癒し系だった。
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石畳の両側には、多くの寺院が並んでいる。
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なれど、とあるの寺院の入り口には、「山内不幸」の立て札だ。この寺院の住職がお亡くなりになったことの公示とのことだ。
一般人には何か不吉に聞こえるが、説明を聞いて納得である。ご冥福をお祈りします。
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さて、国指定重要文化財の五重塔である。朱色が美しいのだが、元和5年(1622)の建立とのことだ。
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大祖師堂である。檜皮葺きのお寺さんは余り見かけないから新鮮である。国の重要文化財指定である。日蓮宗大本山正中山法華経寺は、鎌倉時代の日蓮聖人最初に教えを説き開いた寺院なのだ。
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この角度からの五重塔が美しい。
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大祖師道の更に奥に本院があり江戸三大鬼子母神の一つとされた鬼子母神が祭ってある。
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更に回廊を潜って高台へ進むと、聖教殿だ。高名な立正安国論を始め日蓮聖人の御真筆、歓心本尊妙などの重要文化財を盗難・火災・虫害などから守るべく昭和6年に建設されたこのことだ。
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さらに竜王橋を渡った「竜王池」には、この時期らしい蓮池だ。蓮は天国のイメージだね。
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いちかわのHill方面の昔ながらの小路を進む。
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そこには、市川をこよなく愛してアトリエにしていた東山魁夷記念館だ。魁夷曰く「戦後の代表作は、すべて市川の水で描かれています。」との通り、昭和20年から平成11年逝去するまでここに住んで画に勤しんだのだ。
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この八角形の棟は、魁夷の留学致ドイツに想を得ていると云う。
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小さいながらも白樺が植えられた「KAIIの森」も、いい風情だ。

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残照」や「」が一般的であるが、私はこの「晴れゆく峰」(1998年)が気に入ったな。絵葉書を買い求めた。
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また、有名な「残照」は、私が良く無線で出かける君津市鹿野山の九十九谷の眺めがモチーフなのだ。これは、数年前出掛けた時の九十九谷の1枚である。確かに九十九谷展望台には、魁夷のことを紹介したパネルが立っていたな。
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打ち上げでは、珍品?「流氷ドラフト」なるブルーの網走ビールを頂きました.
実にフルーティな味で、おじさんには物足りない(笑)。
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by Koppe3T | 2017-07-04 19:19 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

かつしか柴又散歩~

梅雨の晴れ間~~~の昨日は、葛飾・柴又の散歩に参加だった。
午前中は「水元公園」のコースから始まっていたのであるが、午前中は所要があり後半の部の柴又からの参加であった。


スタートは、最近「さくら像」が設置された、京成柴又駅から。
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寅さん像である。目線の先には、・・・・・。
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さくら像が、兄さんを心配そうにお出迎えだ。
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参道は、多くの観光客で大賑わいだ。
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早速、高木屋老舗で「草団子」~~~。
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映画「寅さん」で撮影に使われた「とらや」は、こちらだ
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柴又帝釈天の二天門が見えてきた。
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境内に入ると、帝釈堂と有名な瑞龍の松だ。この松は、天に昇る龍の姿なのだ。
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帝釈堂木彫りをじっくり見学だ。昭和4年に完成したという
木彫りで法華経を演説されているのだ。
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我が干支も凛々しい。
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回廊を渡って、大庭園へ。
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癒される庭園である。じっくり座り込んで見学させて頂いた。
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帝釈天を出ると、目の前にちびっ子寅さんだ。粋だねぇ~~。
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次の訪問先「山本亭」である。大正末から昭和初期の書院造と洋風建築を複合した貴重な文化財である。
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赤毛氈をひいた廊下から望む主庭が素晴らしいのだ。三間ぶちぬきの和室からしばしの時間癒させてもらった。
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庭には、防空壕跡も残されていたな。
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こちらは、かの有名な映画「男はつらいよ」の寅さん記念館である。館内は、昭和一色である。
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「馬鹿言っちゃいけねえよ。」の寅さんの声が聞こえてきそうなセットである。
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社長の印刷屋であるな。
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この伝言板使ったことあるかも(笑)
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昭和の列車はこんな網棚と垂直の背もたれ椅子が普通でしたね。
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中でも、明治32年から大正2年まで、金町~柴又間を走っていたという「人車」に大驚嘆だ。10人も乗れると云うのだが、一人で押せたんだろうねぇ(汗)。
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時間がゆっくり流れていた「寅さん記念館」であった。
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で、こちらは「山田洋次ミュージアム」。
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やはり、この「幸せの黄色いハンカチ」がいいね。エンディングで
涙したな。
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「つれて逃げてよ~~~♪。ついておいでよ~~♪」で有名な「矢切の渡しだ。
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対岸は?の問いに、「市川市でしょう。」と答えてしまったけど、対岸は松戸市が正解ですね105.png



今回は、後半の散歩だけに参加だったけど、私には距離的にも丁度良かったな。
ありがとうございました。













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by Koppe3T | 2017-06-11 17:45 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

日野用水と日野宿散歩

昨日の土曜日は、武州日野の用水と甲州街道の宿場であった日野宿を巡る散歩に参加だ。
生憎の雨模様で、合羽も持参で集合地「JR日野駅」へ。


この日野駅は甲武鉄道の駅として明治23年に開業とのことだ。しかも、この駅舎は昭和12年竣工の入母屋屋根が何ともいい風情で、70年も経っていると云う。
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駅前には早速水量豊かな用水路だ。日野には北条時代から始まった全長100キロ以上の用水が今でも流れているんだよね。恵の川「多摩川・浅川」に挟まれた立地からの成せる業でもある。
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こちらは、現在はギャラリーカフェになっている「大屋」である。築120年で元々は米穀などを扱っていた荒物屋志村家。屋号が「大屋」である。
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日野と云えば、新撰組副長土方歳三の出身地で有名であるが、井上源三郎も八王子千人同心の3男で、近藤勇・土方歳三らとともに新撰組で名を上げた一人である。新撰組6番隊長を務めた井上源三郎記念館である。

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住宅街の一画に鎮座する「とんがらし地蔵」である。別名ヤンメ地蔵とも云われ、「目を患っている人が赤とうがらしをあげると御利益がある」とのことだ。
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さて、豊かな日野用水が道端を縦横に流れている一画である。水量もあるし、流れも速いのだ。

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直角に曲がって流れたり、
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こんな風に、用水を身近に感じて歩けたりしてしまうのだ。
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上の写真は昭和年4頃の精進場付近で校外授業中の女組のこどもたちと、日野の田園風景である。一本の丸木橋が掛かっているし、みんなこの丸木橋を渡っていたんだろうなぁ。
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仲田の森蚕糸公園である。昭和3年開業の蚕糸試験場日野桑園跡である。園内には各種の桑の木が植わっているのだ。
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そして、昭和7年建築の「桑ハウス」が残されている。明治期から日本輸出の重要物であった生糸の品質・生産の一大試験場であった場所である。
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トイレタイムの合間に、抹茶ソフト~~~~~!!!これ、美味しかったな。
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明治期の鉄道建設に欠かせない煉瓦であるが、ここ日野にも明治
年に「日野煉瓦」が創業され、盛んに煉瓦が製造されていた。その煉瓦がはめ込まれた塀である。このレンガ工場は2年ほどで、廃業されたようだが、下の写真のように甲武鉄道の多摩川鉄橋などに使われたのだ。
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日野宿健康長寿地蔵尊(けんころ地蔵)である。「健康で元気に長生き、患い無しでコロッと大往生を」願った地蔵さんである。
是非とも、ケンコロと逝きたいものである。
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新撰組のイケメン隊士からも応援のご挨拶だ。翌日は、
「ひの新撰組まつり」の日でもあり、市内は新撰組隊士の衣装の皆さんで盛り上がっているのだ。



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さて、日野宿である。1570年北条氏より屋敷割りが行われ、江戸期なり江戸幕府により整備された日本橋から約40キロの甲州街道の宿場である。多摩川の渡しの管理や荷物の継ぎ立て高札場など街道の重要な役割があったのである。
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日野本陣である。都内で唯一現存する本陣であり、文久3年(1863)に建てられたものだ。ここ日野宿は上佐藤家が本陣、下佐藤家が脇本陣を務めていたが、幕末には下佐藤家が優位になり、この現存する建物が「本陣」となったとのことだ。
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お偉方しか上るこのの出来なかった式台である。
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仏間から納戸を望む。
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幕末この本陣の当主であった佐藤彦五郎は天然理心流の道場をこの地に開き、近藤勇・土方歳三らの新撰組に参加した志士を多く輩出したのだ。
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こちらは、明治26年に建造された有山家蔵で「旧日野銀行」である。当初は土蔵だったようであるが、関東大震災後、洋風に改修された建物である
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ここで、有村家の当主が営むカフェ「花豆」で、コーヒー・タイム~~~~。鬱蒼とした大木が林立する敷地の中のお家カフェ的な素敵な自宅カフェなのだ。落としたてのコーヒーは実に美味で、生憎に雨に濡れた身体を温めてくれたな。

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1602年大善寺開山の僧の隠棲所だった「大昌寺」。この梵鐘は日野宿の「時の鐘」であったのだ。陣屋の佐藤彦五郎もこのお寺に眠っている。

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明示初期の建築である「渡辺家住宅」である。当初は土蔵だったのであるが、関東大震災で被災し、昭和5年改修され大谷石での張石蔵の現在の姿になっている。
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八坂神社である。多摩川の洪水時、淵に怪光が現れ拾い上げると「牛頭天王の神像」だったとのことだ。その神像を祭った神社であり、600年以上の歴史ある神社である。天然理心流近藤周助門人により奉納された大小2本の木刀が架けられた額が有名だ。
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それにしても、流石に日野は用水が多く流れていて、多くの先人達が水利に多くの労力を継ぎこんでいたかが体感出来る町であった。
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更に30分ほどお散歩コースは続いたようであるが、生憎の雨でスニーカー内はグジュグジュでトイレにも行きたく、一人離脱し打ち上げ会場へ。

その後、参加者全員も会場前へ。開店前に会場へ入ることも出来、予約時間のチャイムとともに打ち上げ~~~~101.png 料理も盛りだくさんだし、瓶ビールも美味しいし、話題も弾む楽しい打ち上げだったな。
姉さん、今回も素晴らしいコースの案内、ありがとうございました。
また、一緒に傘と合羽で歩いて頂いた皆様、お疲れ様でした。


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by Koppe3T | 2017-05-14 17:04 | ウォーキング・散策 | Comments(4)  

ロマンスカーで行く箱根ツアー②

箱根「木賀温泉」での夜が明けた。
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朝が早い私は6時前に目が覚め、早々に「露天風呂」へ。玄関から下駄に履き替え、沢沿いの小道を歩くのだ。
いいねえ~~~!、実に風情のある露天風呂が、早朝のヒンヤリ感のある沢の中に佇んでいた。周りは新緑が目に嬉しい。野鳥の声に、癒されながらの露天風呂だ。極楽極楽。たまたま、宿泊した土曜日のブラタモリは「箱根」だったんだよね。タモリ曰く、箱根は「地獄と極楽」なそうだ(笑)。


そして、朝食の時間だ。アジの干物が実に美味だ。朝からご飯が進み2杯も食べ終えたら、「朝がゆ」も出てきて、こちらもペロリと食べきった。朝から、あそこまで食べたのは何十年ぶりだろう(笑)。


食後は、腹ごなしの目的で木賀から二ノ平へ向かう山道にある「不動滝」まで散策だ。沢に架かる木橋を渡り、幅70センチほどの山道を行くと、瀧修行に持って来いの滝だ。
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成田山のお不動様に似たお不動様が鎮座してると思いきや、成田山のお不動様を勧進したそうだ。
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帰路も険しい小路だ。
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さて、宮ノ下まで送迎車で送って頂き、箱根登山鉄道で下山だ。今日は、新型車両だ。
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下車したのは「風祭駅」。駅直結で「かまぼこの里 鈴廣」だ。かまぼこ博物館で蒲鉾が出来るまでの各種設備を見学し、本館でお土産お買い上げ~~~。且つ、箱根ビールで喉も潤しだ。この生ビールは味といい香りといい逸品だったな。
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そうそう、鈴廣の向かいには、鯉のぼりならぬ鰯登り??。少々キモイな(笑)。
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で、小田原まで再度「箱根登山鉄道」で移動だ。小田原駅から目指すは「小田原城」だ。二の丸東堀が見えてきた。
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ここ小田原城址公園は、約40年ほど前に訪問したのは覚えているのであるが、こんなに整備されていなかった記憶なんだよな。
東堀から、天守閣へ向かう二の丸も広いし、小田原城の中で一番堅固に造られていたと云うこの常盤木門も実に豪快に立派に再建されていた。
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常盤木門を潜ると本丸だ。天守閣が美しい。
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天守閣内は5層になっていて、各階に北条氏の歴史や秀吉の小田原攻めの資料やパネル・動画で身動きも間々ならない混雑だ。外国人の多さも目立ったな。
で、最上階からの眺めが素晴らしい。南は相模湾。西は箱根外輪山や一夜城で有名な石垣山だ。
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天守閣を下りて、銅門(あかがねもん)へ。大扉が銅板・銅鋲で美しく装飾されていたな。
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で、食べ過ぎたお腹も散策でこなれてきたので、二日目もそば処「寿庵」で蕎麦を食べて帰路へ。
ここで、同行のKawasemi Koutuu Ryokousha社長他皆さまと挨拶をして、ロマンスカーへ。予約していたはこね24号展望席で一人旅だ。
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初の「姉さん散歩」お泊り編の箱根ツアー!!!!企画運営ともにKawasemi Koutuusha Ryokousha
社長におんぶにだっこだったけど、宮ノ下の温泉始め箱根丸ごと楽しめて実に素晴らしいツアーだった。
感謝である。同行の皆様も、ありがとうございました。







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by Koppe3T | 2017-04-24 19:15 | ウォーキング・散策 | Comments(8)  

ロマンスカーで行く箱根ツアー①

この週末は、新宿集合でロマンスカーで行く箱根ツアーを堪能してきた。
企画・添乗はKKR(Kawasemi Koutu Ryokousha)の社長さんである。

行きのロマンスカーは先頭車両だ。列車が入線した時から一行のテンションは最高潮だ。私自身、ロマンスカーは初体験なのあだ。
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右手に丹沢山塊の大山が見えてきた。この頃は、皆さんビールで大盛り上がり~~~
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箱根湯本駅着後は、江戸期はこんな風景の箱根街道だったという湯本温泉街を歩いて、川の袂にある「初花」へ。浄瑠璃で有名な貞女 初花物語ゆかりの「自然薯そば」のお店である。
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さて、箱根登山鉄道へ乗車だ。これまた私には初体験の箱根登山鉄道である。これまたテンションはMAXだ。
途中3か所のスイッチバックがあり、いかに急峻な山を登っているかが体感できるのだ。
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車窓の下は、箱根駅伝で有名な国道1号線や、新緑が始まった箱根の山々が美しい。
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登山鉄道で、「宮ノ下」駅に到着~~~~!
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ここから「トレッキング・シューズ」がお勧めであったトレッキングの開始だ。リーダーの歩みも心強い。
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トレッキングの後は、かの有名な「富士屋ホテル」見学だ。
明治11年(1878)創業のリゾートホテルで、かのチャップリンやジョン・レノン始め多くの著名人が滞在したことで有名だ。
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館内の彫刻や絵画は実に素晴らしい。タイミング良く本館のメイン階段で、ウエディング姿の花嫁さんに遭遇だ。実に美しい。おめでとうございます。
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また、周遊できる庭園も落ち着きがあるのだ。標高が高いので、東京周辺ではとっくに葉っぱだけの桜であるが、見事に桜も楽しめたな。
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資料展示室では、先の天皇陛下(昭和天皇)が使われたという御座や、明治時代のゴルフクラブも展示されていた。このクラブ、ウッドは私でも何とか使えそうであるが、エッジ部がノコギリの歯みたいなウェッジは何時使うんだろう????。
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フロント近くにあったと云う「NINETEENTH HOLE」である。仙石ゴルフコースでラウンドの後、ここで、19番ホールのゴルフ談義に花が咲いたんだろうな~~~。
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さて、当初はこの後、更に登山鉄道で強羅へ向かい、ケーブルカー・ロープウェイを乗り継いで大涌谷で「黒たまご」を食べる予定であったのだが、本日はロープウェイが運行されていないとのことで、芦ノ湖湖畔元箱根へバスで移動だ。今回は新宿からの「箱根フリーパス」で来ているので、登山鉄道もケーブルもロープウェイも芦ノ湖の海賊船も乗り放題と云うのが行動自由度が高く嬉しい。
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元箱根では、有名な「箱根神社」へお参りだ。
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湖畔の水中に立つ鳥居が美しいのだ。
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で、海賊船で「桃源台」へ。私には、この海賊船も初体験なのだ。
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船内は、YOU(外国人)が実に多く、無料席はあっと云う間に満席だ。で、船内をウロウロ~~~。お気に入りは、やはり操舵室だな。後ろ姿のキャプテン、カッコいい。
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少々雨も降り出したけど、桃源台着く頃にが上がり、ロープウェイの運行も再開したとの情報で、「大涌谷」へ。日帰りのお二人はバスで湯本に戻るというので、お別れだ。ロープウェイも乗って楽しい。
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が、大涌谷に着いて噴煙を見学後、早雲山へ向かうロープウェイに乗り込む寸前!!!、次の箱が来たら最初に乗れる位置に待っていたのだが、「ガス濃度が高く運行中止」に。オー、マイガッ!!!である。
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そこは、乗れば乗るほどお得な「箱根フリーパス」の強みで、桃源台へ戻りバスで仙石経由で「宮ノ下」へ。宮ノ下では、お宿の支配人自らのお出迎えもあり、送迎者で有りがたくお宿へ。宿は、木賀温泉地域の一画にあるのだが、このお宿のエントランスの坂は、とある車はバック・ギアで登れなかったと云うほどの急坂なのだ。確かに徒歩では難儀な急な坂だった。
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ハプニングもあったけれども、実に盛りだくさんな内容で楽しい箱根ツアー一日目であった。温泉入り、支配人差し入れの「舟盛り」まで付いた豪華な夕食に舌鼓を打って、更に温泉に浸かり、添乗社長の部屋でこれまた美酒に酔いしれ夜も更けていくのであった。

<②へ続く>


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by Koppe3T | 2017-04-24 15:30 | ウォーキング・散策 | Comments(8)  

ウォーキングは素晴らしい

ウォーキングは、やはり素晴らしいことらしい。歩きましょ、歩きまひょ。一日一万歩!!!


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by Koppe3T | 2017-04-06 19:33 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

水運の街日本橋を歩く (訂正版)

長いです(写真も52枚あります)

先週の土曜日は、江戸の商業の中心地だった水運の街「日本橋」周辺を歩いてきた。出発は、家康が江戸入府時に幕府台所の為に大阪佃村、大和田村から呼んだ漁民達が一般庶民にも魚を卸すことから始まった「魚河岸跡」だ。
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江戸期の初期1631年に架けられた日本橋川に架かる江戸橋である。当時は、更に60mほど下流にあったという。この地にある写真の橋は、昭和2年に架けられたものだ。江戸橋の上空は首都高速が走り、渋滞で有名な「江戸橋ジャンクション」なのが悲しい。
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当時は江戸の中心であったので「江戸橋」と呼ばれたとのことだ。当時の絵で、当時の賑わいが見てとれるな。
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江戸橋を渡った袂にある日本橋ダイヤモンドビルディングである。明治5年ここ江戸橋にあった土蔵に郵船汽船三菱が開設した荷捌き所である。昭和5年に三菱倉庫の江戸橋倉庫ビルに建て替えられたものだ。平成18年に歴史的建造物に指定されているのだ。
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江戸期の初期は江戸の入り江に流れ込んでいた石神井川を埋め立て掘割にして河岸として利用していた「西堀留川跡」である。昭和3年に埋め立てられ、今は写真のように歩ける道路である。
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東堀留川跡である。こちらも旧石神井川を堰き止めて河岸や問屋で賑わった所である。日本橋川に流れ込む鉤型のカーブがそのまま残っているのが嬉しい。
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桃乳舎。昭和8年建築の外観が何ともいい風情である。明治22年牛乳屋として創業。その後ミルクホール、喫茶店となり、今も喫茶・軽食で営業しているのだ。一度は訪れてみたいお店である。
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うなぎ喜代川である。明治7年創業で、築90年の店舗である。値段的にもそんなに高くもなく一度食したい鰻屋さんである。
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日本橋川である。家康が江戸入府後真っ先に整備された川でもある。
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その日本橋川にあった「鎧の渡し跡」である。江戸期以前は、この鎧の渡しを渡らなければ奥州へは行けなかった。永承年間(1046~53)源義家が奥州征伐に向かう途上、ここで暴風逆浪にあい、船が沈まんとした、鎧一領を海中に投じて竜神に祈りを捧げたところ、無事に渡ることができたとのことだ。別説で、平将門が兜と鎧を納めてとも伝わっている。それらの故事から、この一帯が「兜町」として地名が残っているのが嬉しい。明治5年に鎧橋が架けられ当時は市電も通る橋だった。
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で、日本経済の中心「東京証券取引所」がすぐ側に鎮座だ。
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日証館。明治の産業の父である「渋沢栄一邸」跡地に昭和3年に建てられた取引所賃貸ビルである。半円アーチが並ぶ重厚な建築である。

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兜神社。もとは鎧の渡しそばにあった。平将門を祀った鎧神社と義家の兜塚があったと云う。また、境内には、義家が兜をかけたと云う兜岩も残されている。
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銀行発祥の地。明治になり、江戸期の両替商が軒並み消滅したが、世間で銀行設立の熱が高まり、明治6年にこの地に最初の第一国立銀行(民営である)が設立された場所である。
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日枝神社である。千代田区永田町日枝神社の摂社とのことだ、狛犬さんが天に遠吠えしているように見えるのが楽しい。
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名水白木屋の井戸跡。越後谷、大丸と並び江戸の三大呉服屋の白木屋の2代目が私財を投じて掘った井戸から一体の観音様とこんこんと名水が湧き出たと云う。
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白木屋デパートの跡は、東急が閉店し日本橋再開発で「COREDO日本橋ビルに生まれ変わっている。ビルの曲線が優雅だね。
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さて、時代劇でよく使われる台詞の「越後屋、おぬしも悪よのぉ~。」の三越である。ご存知伊勢松坂出身の三井高利が1712年に呉服屋として開業したのが始まりである。
本館正面玄関には、有名なライオン像がお出迎え。 このライオン像は、時の社主 日比翁助氏がロンドンのトラファルガー広場で鑑賞したライオン像を現地英国で製造し、時の海軍の船で日本に運び大正3年(1914)に設置したと云う由緒あるものである。海軍の船を使ったと云うのがまた戦前の財閥の凄さでもあるな。
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ここ三越では、係の方が店内をアテンドしてくれて、越後屋の歴史やその後の三越の発展を懇切に説明してくれた。
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「番傘」である。越後屋が無料でお客様に貸し出していて、貸出用なので番号が記されていて、そこから「番傘」と呼ばれるようになったと云う。
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また、日本初の地下鉄が上野浅草間で開業したのが1927年(現在の銀座線)。その後延伸するにあたり、三越が資金提供し1932年に三越前まで延伸されたと云う。銀座線三越前のコンコースには、当時の円柱が10本残っているのだ。
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三越本館は、大理石がふんだんに使われており、あちこちに「アンモナイト」見れてしまうのだ。
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また、中央の大ホールには、アメリカより昭和5年に輸入された劇場用パイプオルガンも現役で日々お客さまの耳を癒してくれている。
そして、大きく聳える天女像もすごいものだ。
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ここで、参加者の娘さんのいる地下へ向かい、おやつタイム~~~。私は、季節の甘いもの「桜餅」をお買い上げ~~~。美味だったな。
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こちらが、三越駅前駅のコンコースに展示されている絵巻描かれている、1805年頃の越後屋だ。
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福徳神社である。貞観年間(859~876)には武蔵野の福徳村に鎮座していたと云う古刹である。関東大震災や戦災で社殿は焼失し、ビルの屋上や居酒屋を流転していたというのだ。2014年に社殿が再興されたという。「福徳」って、実に縁起がいい語呂であり、しっかりお祈りさせて頂いた。

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山本海苔店である。1849年創業で、日本初の味付け海苔を創案した老舗である。今の店舗は、正倉院の校倉造りを模したと云う。確かに校倉だね。
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江戸の初期、浜松から江戸に出てきた伊場屋甚右衛門創業の和紙・竹製品の店である。
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小津和紙資料館。1653年伊勢松坂出身の小津清左衛門が創業した紙商である。店内に、資料館が併設されているのが素晴らしい。
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吉原遊郭を作った庄司甚内の仮屋敷にあったお稲荷さんとのことだが、初代市川團十郎が日参して出世したことから「出世稲荷」と呼ばれた芸能・商人に人気の「出世稲荷」である。

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江戸期、猫が居なくなった時に祈願する「失せ猫祈願」で有名だったお稲荷さんである。
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「うぶけや」である。1783年大阪で創業の老舗で、初代の打った刃物が産毛でも剃れるとの評判から「うぶけや」となった。今でも職人の伝統を守っているのが素晴らしい。
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今回の日本橋周辺の散策は、実に歴史が深く現代でも続く老舗も多く感嘆の極みだったな。今回も奥深い江戸の中心の案内をしてくださった姉さんに感謝である。
ただ、寄る年波か?途中で一人トイレで離脱したり、平坦にもかかわらず旧越後屋さんのあたりから腰に痛みがきてしまい、よぼよぼ歩きになってしまった自分が悲しい。お腹も足腰も鍛えなきゃである007.gif




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by Koppe3T | 2017-03-06 19:51 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

大いなる窪地、大久保!!!

アウトドア日和に恵まれた昨日は、神田川の支流である蟹川造った「大いなる窪地」(大久保)周辺の「ねぇ散歩」に参加だった。出発は、初めて降り立つ大江戸線若松河田駅から。

最初の訪問地は、旧小笠原伯爵亭だ。昭和2年に建築された旧小倉藩小笠原伯爵の邸宅である。スパニッシュスタイルの鉄筋コンクリート造りである。スペイン瓦や装飾タイルが何とも優美なのだ。今は、レストランになっており、見学は外観のみ。
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元旗本の組屋敷があった余丁町に残る、「出世稲荷」である。白梅も咲き、春も目前の風情がいいね。
元々は太田道灌が勧進した社であるが、かの遠山の金さん遠山左衛門尉がこの地に遷座しっと云う。5台将軍綱吉の母である桂昌院が厚く信仰したと云う。町民の娘が将軍の母にまで出世した桂昌院さまと云うことで「出世稲荷」と呼ばれた。
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(社)日本発明学会。個人・企業の発明を奨励・知的財産を守る活動を行っている社団法人である。発明と云う柔軟な発想が求められるね。このすぐ側には、明治から大正にかけて坪内逍遥が居住した坪内逍遥旧居があった地でもある。
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抜弁天・厳嶋神社である。源義家が後三年の役のおりこの地から安芸の厳島神社に戦勝祈願をした地であり、後年の江戸期に参道が南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から「抜弁天」として庶民から信仰されたと云う。
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さて、いよいよ「大いなる窪地」へ。まずは、蟹川が流れていた窪地へ下りる坂に「久左衛門坂」この地の名主だった久左衛門門が開削したと云う。
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更に、「梯子坂」梯子がないと上れない急坂だったとか。
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崖の上にある「観音庵」。1800年創建の曹洞宗のお寺さんで、仏山禅苗と云う尼僧が、小指の爪をはいで血筆で大般若経150巻を書き上げたという。その血筆納めている碑である。
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さて、江戸期尾張徳川家の下屋敷だった「戸山公園」である。当時この下屋敷は「戸山荘」と呼ばれていたそうだ。
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で、東京23区で最も高い山(築山ではあるが)で「箱根山」である。標高が44.6mもあるんだよね。山頂から周りの桜が眼下に見れて、桜の季節には多くの花見客で賑わうんだろうな。
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後刻、戸山公園サービスセンターを訪れ、園の由緒を聴きながら発行して頂いた「登頂証明書」である。
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また、この地は明治期から陸軍用地ともなり、陸軍戸山学校」が置かれた地でもある。園内の紅梅・白梅が満開であった。
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ここから、早稲田の路地裏散歩~~~~。
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この路地の一画の洋菓子屋さんで休憩タイム~~。やわらかチーズ~~が実に美味であった。
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で、忽然と現れたのは、賄い付き下宿「渡辺館」だ。現役で入居者がいると云う。昭和30~40年代には、40~50軒もあったと云うが現在は2~3軒残っているという。
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こちらは、早稲田大学のスコットホール。大正10年(1921)に完成の煉瓦造りが美しい礼拝堂と結婚式にも使えるイベント・ホールである。
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亮朝院。1647年日揮上人が戸山村に祀ったのが始まりの古刹だ。石造りの金剛力士像が有名で、誰でも触って信仰出来るのが凄い。また、一風変わった狛犬が可愛い。
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鐘楼には元禄15年製造と云う鐘が残っているのだ。
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昭和11年(1936)建築の賄い付下宿「日本館」である。戦災も免れ80年近くも現役で下宿屋が続いていると云うのが凄いね。外観が実にモダンな建物である。
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玄国寺である。1601年にこの地に創建された。
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入って右手のこの庫裏は岩倉具視の旧邸が移築されたもので、正面の樹齢500年と云うクロマツが見事だ。また、紅梅・白梅も見事に咲き誇っていたな。

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諏訪神社、旧松原神社である。810~824年頃松原街道に面していたこの地に創建された神社で、尾張初代藩主義直が長野の諏訪神社を合祀して「諏訪神社」と改名されている。明治期には、時の明治天皇がこの地から射撃演習をご高覧になったと云う聖地でもある。
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学習院旧正門。明治10年に神田錦町に学習院が建てられた時の鋳鉄製柱門で、重要文化財である。


夫婦木神社。縁結びと子授けに御利益だ多大な実に風情のある神社なのだ。平服での結婚式を奨励している。
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小泉八雲記念庭園。ギリシャのレフカダ島生まれのラフカディオ・ハーンで日本に帰化した小泉八雲がすぐ側の大久保小学校の地で亡くなったのを祈念して造られた記念庭園である。ギリシャ風な白が基調の素敵な庭園である。
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新大久保駅周辺の韓流ぽい待ち並を歩いて行くと「皆中稲荷神社」だ。この地にあった幕府の鉄砲組の隊士がお稲荷さんの霊夢により「百発百中」の腕前に上達したのが起源で、「みなあたる」ので皆中(かいちゅう)と謂われる。いいね~~!、百発百中。
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仕上げは、大久保駅近くの「磯丸水産」で打ち上げ~~~。海老から始まりホタテやら、刺身盛り合わせ and so on ・・兜煮など+飲み放題で久々に少々飲み過ぎだったかも。
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大いなる窪地」と云われる大久保周辺のアップ・ダウンの激しいエリアの散歩、実に楽しかったな。
今回も素晴らしいコースを案内してくれた姉さん、ありがとうございました。

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by Koppe3T | 2017-02-05 11:52 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

奥深い浦安 漁師町ウォーキング

昨日は浦安が猟師町として栄えていた頃の面影を巡る散歩に参加だ。出発は、東西線浦安駅。
今でこそ現浦安市は、都心にも近く人口も多く大変賑わっているが、明治の中期 当代島・猫実(ねこざね)・堀江村が合併し浦安村(浦が安らかであるよう命名されたと云う)になった頃は、人口6000人ほどだったとのことだ。
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旧江戸川に残る江戸末期から昭和15年まで続いていた「堀江の渡し」(後の「浦安の渡し」)跡である。全長5mほどの伝馬船で対岸まで20~30分かかったと云う。
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この浦安橋が開通し、昭和15年役目を終えた。
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この袂にある船宿である。この船宿に滞在し「樅の木は残った」で有名な山本周五郎が浦安の猟師町を舞台に書き下ろした「青べか物語」が執筆されたと云う。
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旧江戸川から江戸湾へ向かう境川である。この境川を中心に水運が発達していたようだ。
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堤防に描かれた手書きの地図が、何とも風情があったな。
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境川と旧江戸川が交わるポイントに、明治政府に招かれて治水事業に貢献した阿蘭陀のリンド技師の記念碑が残されているのだ。
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しばし、境川沿いを歩くと、川沿いに昭和49年まで浦安村(浦安町)の役場があった跡地が残されている。当時の境川の「べか舟」に賑わいも写真で魅せてくれていた。
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浦安三社の一つである「清瀧(せいりゅう)神社」である。海上安全・漁業繁栄をもたらす海の神が祭神である。本殿の彫刻が見事だ。
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また境内には、阿蘭陀人リンドの設置した「堀江水準標石」が残されていた。今も現役で使用されていると云う。
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明治から昭和にかけてこの地域の中心街だったという「堀江フラワー通り」だ。当時は映画館や演芸場もあったと云う通りだが、いまはひっそりとした住宅街なのだ。小学生による花や魚のペインティングがカラフルで楽しい。
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このフラワー通りの中ほどに残されているのが「旧宇田川家住宅」だ。
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明治2年の築で、呉服・荒物・米・油を商い昭和50年台まで使われていたと云う。かまちを入ると「これは上物でございます。」的な雰囲気の番頭さんと上客さんの会話が聞こえてきそうなお人形さんがお出迎えだ。
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室内座敷から眺める庭に風情も素晴らしい。この庭の落ち葉掃きこみが一苦労とのことだ(笑)
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こちらは、江戸末期の建物で、漁農業を営んでいた「旧大塚家住宅」浦安の民家ならではの造りである。ここでも、海苔干しの作業を手伝う女の子とお父さんがお出迎えだ。
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座敷の角火箸がいいね~~~。熱燗も出来ますがな(笑)。
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昭和4年築で平成8年まで開業していたと云う「旧濱野医院」である。三角屋根が何とも目を引く。
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屋内は、昭和の町医者の雰囲気そのままで、子ともの頃は、風邪をひいた時などこんな雰囲気の医院へ行っていたなぁ。「はい
、口を大きく開けて」
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猫実(ねこざね)の庚申塔である。猿が縁起良いようで、お猿さんが清め水を背中で支えているのも面白い。猫実の由来が、津波で流された後に防潮として松並木を植え、その「根を超さねえ」ようにとの言葉から「根越さねぇ」・・・「ねこさね」・・・「ねこざね」・・・「猫実」とのことだ。


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さて、いよいよ浦安猟師町の路地裏へ乱入である。
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路面には、採った貝殻が捨てられた地面が今でもしっかり残っている。これで地面は締まるし人が歩くとジャリジャリ音も出すので、防犯にもいいのだ。
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明治21年創業の老舗煎餅屋さんである「浅田屋煎餅本舗」。無農薬米での煎餅が売りである。
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ここで、熊本から前日帰京の土産に頂いたお土産「陣太鼓」を頂いた。実に美味しい。ご馳走様でした。
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江戸中期に船橋との漁場争いで犠牲となった3人の漁民の冥福を祈り建立された「公訴貝猟願成の塔」がある花蔵院である。妻子をこの花蔵院の和尚に託し、時の老中田沼意次に籠訴し、直訴打ち首となった3人の塔である。
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豊受神社。浦安三社の一つで1157年創建と云う。
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樹齢400年と云う六股に分かれた大銀杏が見ものである。元々は境川を流れていた小枝を植えたものとも伝承である。
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境内にある富士塚は登山禁止で登れなかったけど、頂上近くに立つ天狗様が見事だったな。
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左右天命弁財天である。この一画は明治の頃郭があったエリアでもある。大正6年、津波で流されたが、郭の人々が再建したお堂である。


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こちらは、浦安強度博物館である。浦安の歴史を知るに実に素晴らしい屋外・屋内展示をしてくれている。
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べか舟~~~~
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煙草屋さん~~~。朝日とか売っていたな。
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海苔干し台。
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最後に向かったのは、浦安三社の一つである「稲荷神社」。明治8年に三枚洲で生け捕りにした大鯨の鯨塚があるのだ。
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これで、お散歩は終了~~~~。ここから打ち上げ会場までの参加者皆さんの足取りは一気に早足に(笑)。2時間の飲み放題打ち上げ兼忘年会!!。楽しいひと時をありがとうございました。

また、今回も奥が深い旧浦安猟師町の案内、姉さんありがとうございました。



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by Koppe3T | 2016-12-11 10:43 | ウォーキング・散策 | Comments(6)