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品川~鈴ヶ森刑場

昨日は、梅雨の中休みの下、旧東海道を歩いてきた。片手には、江戸末期の切絵図持参である。

出発は、JR品川駅高輪口だ。この駅前、今は第一京浜が走り大都会の風景であるが、江戸末期の幕末は、足元まで江戸湾の波がきている「東海道」であったと思うと信じられない。

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その駅前のホテル群の国道沿いにちんまりと残されているのが、「高山神社」。およそ500年前の建立で当時は品川の浜が真下に打ち寄せる風光明媚な場所と記されていた。

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右手に岩崎家の別邸で現在は三菱開東閣がある石垣と鬱蒼とした森を右手に第一京浜を南下。目指すは、「御殿山」だ。文久年間に完成まじかのイギリス公使館を長州の高杉晋作や久坂玄随らが襲撃した、あの御殿山焼き討ち事件の場所である。
今は、ホテルラフォーレ東京や御殿山トラストタワーなどが立ち並んでいるが、それらの庭園が「御殿山庭園」として開放されている。
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さっそく、庭園を散策させてもらう。鬱蒼とした森と池の滝が素晴らしい。ただ、すぐ下を走るJR山手線や東海道線の列車の騒音が実にまじかに聞こえてくるんだよね。


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御殿山を下り、JR線路の高架を渡り、京浜急行北品川駅方面へ。駅舎には寄らずに海方向へ進むと、旧東海道に出た。道幅は昔のままだと云う。商店街になっていて、FC東京のフラグが賑やかさを増幅してくれている。

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まずは、ここ旧東海道品川宿で有名な「土蔵相模」跡を見分だ。先ほどの「御殿山襲撃事件」の首謀者である高杉や久坂達がここの旅籠「土蔵相模」に集結して役割分担を決め出撃していったと云う場所である。


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旧東海道から外れ、目黒川が江戸湾に流れ込んで砂州になっていた砂州の先端祀られていたと云う弁天様目指して海側へ。早々に現れたのは屋形船や乗合釣り船が沢山係留された水路だ。昔の海の面影がやっと感じられたな。

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水路にかかる橋を渡り南下すると、今は品川区立台場小学校の敷地になっている陸続きの台場跡だ。ここは、安政五年完成の五角形の台場で「御殿山下台場」と呼ばれたものとのことだ。写真の灯台は明治になってからの海上台場をモチーフらしい。下の石垣は当時のものと云うことだ。


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こちらは、昔の目黒川下流の砂州に祀られた弁天様の神社、「利田神社(かがたじんじゃ)」。江戸時代初期の沢庵和尚が弁財天を祀ったのが始まりとのことだ。
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神社のすぐ脇は公園になっていて、クジラがオブジェなっている。「鯨塚」である。寛政10年、体長16メートルの鯨が江戸湾に迷い込んだのを漁師達が捕獲、鯨は浜御殿へ運ばれ時の十一代将軍家斉に上覧したと云う。


旧東海道に戻り、の品川宿を南下だ。あちこちに雰囲気のあるお店もあり、歩いていても飽きない。
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北品川宿と南品川宿の境目あたりにあったのが、「品川宿本陣」。跡地だったことの碑のみだが、明治元年(1868年)明治天皇が京都から東京入りする際に行在所として使われたことから、今は「聖蹟公園」として残されている。



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旧東海道から外れ、第一京浜沿いの「品川神社」へ。ここは、文治3年(1187年)源頼朝が安房の須崎神社を歓請したのが創始という。結構急な高台である。

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登り切った左には「浅間神社」が祀られ、今世界遺産で話題の富士山の富士塚がある。早速、富士講よろしく富士登山だ。見晴らしはいい。下に京浜急行の電車が通過だ。
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この品川神社の境内奥に「板垣退助」一族のお墓があるというので訪ねた。自由民権運動で有名な「板垣死すとも 自由は死せず」の碑の傍に夫婦で眠っておられた。

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更に山手通りを内陸へ進み、JR東海道線高架を潜った所にあったのが、明治6年東海寺境内に設立されたという「官営品川硝子製作所」跡である。近代硝子工業発祥の地なのである。

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この硝子製作所跡地の細い道を上ると「東海寺」の墓所が残っている。著名人のお墓も残っているようだが、こちらは江戸初期の禅師沢庵和尚のお墓だ。国指定史跡である。


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右手に目黒川を眺めながら川沿いの道を旧東海道へ。これは目黒川に懸かる「品川橋」だ。この橋が北品川と南品川を分けていたとのことだ。

南品川宿へ入ると、街道沿いには神社仏閣が左右に沢山見て取れる。
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それらの中で目立つのが、この「品川寺(ほんせんじ)」である。品川宿の地名の由来になったという品川寺。
入ってすぐに地蔵菩薩像がある。江戸六地蔵と呼ばれれ座像の一つということだ。
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更に境内には庚申塔なども建ち歴史を感じさせてくれる佇まいである。


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品川寺の向いに残っているのが建場茶屋の「釜屋」跡である。慶応3年、新撰組となる土方歳三ら一行が京へ向う時に、この釜屋で食事をしたという。跡地には、新撰組に山形隊旗模様を模した案内版に土方歳三の写真が当時を偲ばせてくれていた。

鮫洲駅手前から旧東海道を外れ山側へ。大井公園内に第15第土佐藩主の「山内容堂」公の墓所があるというので訪ねた。小高い大井公園内の小学校の敷地内にあったこの墓所、墓所までの階段が半分崩れていたり、半端ない荒れ様だった。
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また墓標が埋葬地点からわざとずらして立ててあるところなどが、「酔いどれ公」として有名なエピソードのお殿様だったのかなと推察だ。

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街道に戻り、この南品川宿は昭和の面影を残すお店が散見されたな。こちらの畳屋さん街道に面した仕事場と店前のスーパー・カブ。まるっきり昭和である。
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またこちらの株式会社は、何屋さんかは不明だが、外観がなんとも風情があります。

更に旧東海道を南下し、京急立会川駅近くへ。
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ここには、幕末のころ土佐藩の品川下屋敷があり、当時江戸へ剣術留学中だった坂本龍馬も度々あしを運んだとのことで、駅前の児童公園には「龍馬像」が立っている。この像の辺りが土佐藩品川下屋敷の表門だったと云う。

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立会川を下流に少し歩いた所にあるのが、土佐藩抱屋敷に築かれた浜川砲台の跡地だ。今は案内板と当時使われたという石が数個並べてあるのみだ。
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運河の向こうの倉庫群の外壁に「竜馬」の絵が漫画チックに描かれているのが楽しい。


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さて、これが立会川に架かる「浜川橋」で、江戸時代は「涙橋」と呼ばれ、江戸で死罪ほ沙汰がでた罪人が鈴ヶ森刑場で処刑されるとき、縁者はこの橋の袂で別れを告げたという。


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さて更に歩いて、最後の目的地「鈴ヶ森刑場である。慶安4年に開かれた刑場で、磔台跡や火炙台跡、首洗い井など生々しい。八百屋お七や数々の有名咎人がここで処刑されている。
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結構な距離数だったけど、品川高輪口から鈴ヶ森まで全行程約8キロを歩き通せた。街道沿いには歴史的なポイントも多々あり、旧東海道の雰囲気を十分味わうことができ大・満・足なコースであった。

by Koppe3T | 2013-06-30 11:53 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

Commented by Hanpen at 2013-07-02 08:08 x
コッペさんが歩かれた今回のコースは
一度歩いてみたいと思っていました。
見所盛りだくさんで素晴らしい散策になりましたね。
Commented by Koppe3T at 2013-07-02 13:30
Hanpenさん>

切絵図持参で歩いてみました。
歴史的にも実に興味深いところでしたので、鈴ヶ森まで歩き通せて良かったです。

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