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神田上水の跡を訪ねて

先日、神田上水の跡を訪ねるウオーキングに参加してきた。

神田上水は、神田川の江戸川橋の上流に堰を造り、水位を上げた上で取水し小石川・駿河台を経由して神田・日本橋へ上水を供給していた、日本最古の都市水道である江戸期の一大インフラの一つである。江戸入府直後に家康が命じ、寛永年間には完成したと云うから400年も前に上水が整備されていた江戸の町なのだ。

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集合は、江戸川橋駅だ。まずは、江戸川橋から「神田川」の上流方向を望む。江戸川公園に植えられた桜並木が川面へ伸びており、桜の季節はさぞ盛大に違いない。神田川左岸の首都高速が目障りではある。

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まずは、江戸川公園。ここは、かの松尾芭蕉が延宝5年から4年間この近くに居住して現場監督として神田上水の改修工事に携わったと云う。芭蕉がどうして改修工事を?であるが、幕府から工事を命じられたのが伊賀国藤堂藩であったことから、藤堂藩の武士であった芭蕉も携わったらしい。

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神田川に右岸は目白台の崖線を形成しており、石積も古めかしい。

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江戸川公園の中ほどには、神田上水の取水口に使われた石柱が残されていた。現在も関口と云う地名が残っている「関口大洗堰」だ。

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更に神田川を上流へ進むと、右手に「椿山荘」が崖上に見えてくる。その少し先に「関口芭蕉庵」が復元され残されている。庵内は目白台崖線を見事に利用した深山を思わせる佇まいになっていた。「古池やかわず飛びこむ みずのおと」の句碑も残されていたな。

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芭蕉庵の奥には「水神社」が、古色蒼然と鎮座だ。鳥居の奥の2本の大銀杏がいかにも神宿る風情であった。

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水神社と芭蕉庵の間には、急峻な古坂だ。「胸突坂」とのことだ。坂がけわしく、自分の胸を突くようにしなければ上れない」ことから付いた名前とのことだ。見るからに急な坂であり、上ってみる気にはならなかったな。

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崖線巧みに活かして造られているのが「椿山荘」だ。庭園内の樹齢500年と云われる御神木(椎の木)が見事だった。

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園内には、色々な亭や三重塔などが建っており、散策には飽きない。園内の「蝋梅」や「白梅」も見事に開花していたな。

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神田川沿いを江戸川橋まで戻ると、明治時代に暗渠となり現在は「水道通り」と呼ばれ住民の生活道路になっているが、その袂に「神田上水跡」の碑が侘しく残されている。必至に探さないと見落とすほど寂しい碑である。

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この辺りの北側は「小日向台」であり、この台地に沿ってくねくねと水道通りが続いている。この水道通りが暗渠化された「神田上水」だったとのことだ。「水道通り」と云う呼び名が嬉しい。

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そして、水道通り沿いの小日向台側には、寺院が多い。その中でもこちらは、宝永2年(1705)この地に移転してきた浄土真宗の古刹「本法寺」だ。夏目漱石の菩提寺でもあり、「坊ちゃん」にも名前を変えて登場しているのである。

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小日向台への坂道が何本も神田川方面から登っているのを楽しめる水道通りである。「大日坂」、「服部坂」、「荒木坂」、「今井坂」、」「金剛寺坂」などである。

それらの坂のひとつ、荒木坂である。 この坂の上に、荒木志摩守の屋敷があったので、「荒木坂」と呼ばれた。

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さらに、徳川慶喜公の終焉の地側の金剛寺坂。金剛寺と云う禅寺があったと云うことだ。慶喜公終焉の地は、今はとある大学の大学院の敷地になっていた。

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その先にあるのが、安藤坂だ。

安藤坂を少し登り東へ進むと、「牛天神」で有名な「北野神社」だ。狛犬が牛さんなのが面白い。

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また境内には、源頼朝が腰かけたと伝わる「なで牛」が鎮座し、撫でると願いが叶うとのことだ。頭からお知りまで撫でまわさせていただいた(笑)。

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で、この北野神社には五穀豊穣の神であると云う「髙木神社」も祀られていて、「髙木」に神社がありましたか~~~~と、独り大はしゃぎ(笑)。

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こちらは、牛天神側の実に急峻な坂である「牛坂」だ。

源頼朝が小石川の入江に舟をとめ、老松につないで凪を待っていると、夢に菅原道真が牛に衣冠を正して現れ、お告げをしたとのことだ。夢がさめると牛に似た石があったと云う。これが、牛天神に残る「牛石」とのことだ。これが「牛坂」の由来とのことである。

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この牛天神の下あたりで、神田上水は水戸藩上屋敷(現小石川後楽園)に引き込まれ、余水は神田川へ放水されていたと云う。神田上水の本流は、現東京ドームシティを横切り白山通りから南下して水道橋へ導かれていたと云う。

ではでは、と云うことで小石川後楽園へ。

園内は、大きな池や渡月橋・西湖の堤・愛宕山などの築山・円月橋・梅園・菖蒲園などが造営された庭園であった。実は、人生初の「小石川後楽園」であった。

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園内の「神田上水跡」と案内されていたのは、この辺りの流れであった。
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古代ローマの物語を読むと、上水道をその家に引き込むと庶民とは違い莫大な水道利用料を支払ったとのことである。さてさて、江戸期の水戸徳川家も天下の上水を引き込んだのであるから、莫大な使用料を市井の民に与えていたに違いない(ムムム・・・ではある。)。
園内から現在の東京ドームの白い膨らみが望める。森の向こうの白いドーム屋根は、どでかい宇宙船のように見えたな。

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神田川沿いを水道橋方面へ歩くと水道橋駅側の欄干には、「水道橋」の地名の謂れである神田川に架けられた懸樋(かけひ)のレリーフが掲示されていた。

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実際の懸樋は、現在の水道橋より数百メートル下流の駿河台寄りに架かられていたとのことで、下流へ数百メートル歩くと「神田上水懸樋跡」の碑が残されていた。ここに架けられた木造の懸樋で神田川を越え神田や日本橋へ上水が供給されていたとのことだ。碑の下は神田川が流れ渓谷の様だ。対岸はJR中央線が走っているが眺められる。

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神田上水懸樋」の絵が残されている。木造の懸樋が何本かの木柱で支えられているのが窺える。
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神田上水は、明治維新後も使われたが、明治19年コレラの大流行を機に新しい上水道が建設され多摩川の水が淀橋浄水場へ導かれ、明治31年に完成。明治34年に神田上水の給水は停止されたとのことだ。
江戸期の先人達の上水に賭ける並々ならぬ努力と労力に、頭が下がる思いの「神田上水」跡地ウォークであった。

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by Koppe3T | 2015-01-26 13:05 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

Commented by エンデン at 2015-01-27 07:50 x
神田上水の跡を訪ねてウォーキングとは、中々渋いですね。
昔の人達の努力や凄さがよくわかります。
小日向は昔お稽古で通ったので、懐かしいです。
Commented by Koppe3T at 2015-01-27 13:23
エンデンさん」>

コメント、ありがとうございます。

江戸川橋から小石川周辺は初めてでしたので、興味深々でした。先人たちの努力に頭を垂れてきました。

そうですか。小日向行かれたことがありますか。閑静な住宅街でもありました。

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