水運の街日本橋を歩く (訂正版)

長いです(写真も52枚あります)

先週の土曜日は、江戸の商業の中心地だった水運の街「日本橋」周辺を歩いてきた。出発は、家康が江戸入府時に幕府台所の為に大阪佃村、大和田村から呼んだ漁民達が一般庶民にも魚を卸すことから始まった「魚河岸跡」だ。
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江戸期の初期1631年に架けられた日本橋川に架かる江戸橋である。当時は、更に60mほど下流にあったという。この地にある写真の橋は、昭和2年に架けられたものだ。江戸橋の上空は首都高速が走り、渋滞で有名な「江戸橋ジャンクション」なのが悲しい。
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当時は江戸の中心であったので「江戸橋」と呼ばれたとのことだ。当時の絵で、当時の賑わいが見てとれるな。
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江戸橋を渡った袂にある日本橋ダイヤモンドビルディングである。明治5年ここ江戸橋にあった土蔵に郵船汽船三菱が開設した荷捌き所である。昭和5年に三菱倉庫の江戸橋倉庫ビルに建て替えられたものだ。平成18年に歴史的建造物に指定されているのだ。
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江戸期の初期は江戸の入り江に流れ込んでいた石神井川を埋め立て掘割にして河岸として利用していた「西堀留川跡」である。昭和3年に埋め立てられ、今は写真のように歩ける道路である。
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東堀留川跡である。こちらも旧石神井川を堰き止めて河岸や問屋で賑わった所である。日本橋川に流れ込む鉤型のカーブがそのまま残っているのが嬉しい。
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桃乳舎。昭和8年建築の外観が何ともいい風情である。明治22年牛乳屋として創業。その後ミルクホール、喫茶店となり、今も喫茶・軽食で営業しているのだ。一度は訪れてみたいお店である。
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うなぎ喜代川である。明治7年創業で、築90年の店舗である。値段的にもそんなに高くもなく一度食したい鰻屋さんである。
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日本橋川である。家康が江戸入府後真っ先に整備された川でもある。
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その日本橋川にあった「鎧の渡し跡」である。江戸期以前は、この鎧の渡しを渡らなければ奥州へは行けなかった。永承年間(1046~53)源義家が奥州征伐に向かう途上、ここで暴風逆浪にあい、船が沈まんとした、鎧一領を海中に投じて竜神に祈りを捧げたところ、無事に渡ることができたとのことだ。別説で、平将門が兜と鎧を納めてとも伝わっている。それらの故事から、この一帯が「兜町」として地名が残っているのが嬉しい。明治5年に鎧橋が架けられ当時は市電も通る橋だった。
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で、日本経済の中心「東京証券取引所」がすぐ側に鎮座だ。
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日証館。明治の産業の父である「渋沢栄一邸」跡地に昭和3年に建てられた取引所賃貸ビルである。半円アーチが並ぶ重厚な建築である。

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兜神社。もとは鎧の渡しそばにあった。平将門を祀った鎧神社と義家の兜塚があったと云う。また、境内には、義家が兜をかけたと云う兜岩も残されている。
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銀行発祥の地。明治になり、江戸期の両替商が軒並み消滅したが、世間で銀行設立の熱が高まり、明治6年にこの地に最初の第一国立銀行(民営である)が設立された場所である。
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日枝神社である。千代田区永田町日枝神社の摂社とのことだ、狛犬さんが天に遠吠えしているように見えるのが楽しい。
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名水白木屋の井戸跡。越後谷、大丸と並び江戸の三大呉服屋の白木屋の2代目が私財を投じて掘った井戸から一体の観音様とこんこんと名水が湧き出たと云う。
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白木屋デパートの跡は、東急が閉店し日本橋再開発で「COREDO日本橋ビルに生まれ変わっている。ビルの曲線が優雅だね。
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さて、時代劇でよく使われる台詞の「越後屋、おぬしも悪よのぉ~。」の三越である。ご存知伊勢松坂出身の三井高利が1712年に呉服屋として開業したのが始まりである。
本館正面玄関には、有名なライオン像がお出迎え。 このライオン像は、時の社主 日比翁助氏がロンドンのトラファルガー広場で鑑賞したライオン像を現地英国で製造し、時の海軍の船で日本に運び大正3年(1914)に設置したと云う由緒あるものである。海軍の船を使ったと云うのがまた戦前の財閥の凄さでもあるな。
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ここ三越では、係の方が店内をアテンドしてくれて、越後屋の歴史やその後の三越の発展を懇切に説明してくれた。
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「番傘」である。越後屋が無料でお客様に貸し出していて、貸出用なので番号が記されていて、そこから「番傘」と呼ばれるようになったと云う。
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また、日本初の地下鉄が上野浅草間で開業したのが1927年(現在の銀座線)。その後延伸するにあたり、三越が資金提供し1932年に三越前まで延伸されたと云う。銀座線三越前のコンコースには、当時の円柱が10本残っているのだ。
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三越本館は、大理石がふんだんに使われており、あちこちに「アンモナイト」見れてしまうのだ。
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また、中央の大ホールには、アメリカより昭和5年に輸入された劇場用パイプオルガンも現役で日々お客さまの耳を癒してくれている。
そして、大きく聳える天女像もすごいものだ。
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ここで、参加者の娘さんのいる地下へ向かい、おやつタイム~~~。私は、季節の甘いもの「桜餅」をお買い上げ~~~。美味だったな。
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こちらが、三越駅前駅のコンコースに展示されている絵巻描かれている、1805年頃の越後屋だ。
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福徳神社である。貞観年間(859~876)には武蔵野の福徳村に鎮座していたと云う古刹である。関東大震災や戦災で社殿は焼失し、ビルの屋上や居酒屋を流転していたというのだ。2014年に社殿が再興されたという。「福徳」って、実に縁起がいい語呂であり、しっかりお祈りさせて頂いた。

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山本海苔店である。1849年創業で、日本初の味付け海苔を創案した老舗である。今の店舗は、正倉院の校倉造りを模したと云う。確かに校倉だね。
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江戸の初期、浜松から江戸に出てきた伊場屋甚右衛門創業の和紙・竹製品の店である。
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小津和紙資料館。1653年伊勢松坂出身の小津清左衛門が創業した紙商である。店内に、資料館が併設されているのが素晴らしい。
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吉原遊郭を作った庄司甚内の仮屋敷にあったお稲荷さんとのことだが、初代市川團十郎が日参して出世したことから「出世稲荷」と呼ばれた芸能・商人に人気の「出世稲荷」である。

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江戸期、猫が居なくなった時に祈願する「失せ猫祈願」で有名だったお稲荷さんである。
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「うぶけや」である。1783年大阪で創業の老舗で、初代の打った刃物が産毛でも剃れるとの評判から「うぶけや」となった。今でも職人の伝統を守っているのが素晴らしい。
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今回の日本橋周辺の散策は、実に歴史が深く現代でも続く老舗も多く感嘆の極みだったな。今回も奥深い江戸の中心の案内をしてくださった姉さんに感謝である。
ただ、寄る年波か?途中で一人トイレで離脱したり、平坦にもかかわらず旧越後屋さんのあたりから腰に痛みがきてしまい、よぼよぼ歩きになってしまった自分が悲しい。お腹も足腰も鍛えなきゃである007.gif




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by Koppe3T | 2017-03-06 19:51 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

Commented by DEMIO at 2017-03-07 08:04 x
土曜日はお疲れ様でした。いつもながら内容充実で、情報満載の姉さん歩なので、コッペさんの丁寧な解説で聞き落としたところの穴埋めもしっかりできました。
またの機会もよろしくお願いいたします。
Commented by 姉さん at 2017-03-07 08:56 x
今回はまた盛り沢山な詳細レポートありがとうございます。
広くはない地域ですが、見どころ満載でしたね。会社が近くてよく通ってはいる場所なんですが、今回新たに知ったことが多々あり、私も日本橋がさらに好きになりました。
下見がちゃんと出来ず駆け足の案内になってしまい申し訳ございませんでした。
Commented by 思案橋buruko at 2017-03-07 15:02 x
土曜日はお疲れ様でした。
私もアップダウンないので足は何ともなかったのですが、腰がいまだに鈍痛が残ってます。(ショボン)
会社から近い日本橋近辺こんなに歴史があり、見所満載だったとは改めて姉さんに感謝ですね。
沢山の写真と説明有難うございました。
打ち上げも空気薄かったけど、美味しく楽しくいいお散歩でした。
Commented by Koppe3T at 2017-03-07 16:28
DEMIOさん>

土曜日はお疲れ様でした。いや~~、将門事件勃発(笑)で汗顔の至りであります。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。
Commented by Koppe3T at 2017-03-07 16:32
姉さん >

土曜日はお疲れ様でした。
そんなに広くもないあのエリアは見るべきものが実に多く、カメラも私の脳も飽和気味でした(笑)。
細かい案内、ありがとうございました。
Commented by Koppe3T at 2017-03-07 16:36
思案橋burukoさん>

土曜日はお疲れ様でした。
あの平坦地で腰にきたには、私としては実に悔しい事で、鍛えねばと思った次第です。

スペインバルの一気に空気が熱くなったのには、感激でした(笑)。散歩もお酒も楽しかったです。
次回もどうぞよろしくお願い致します。

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