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2014年 01月 26日 ( 1 )

 

「龍馬の江戸留学を訪ねて」 <追記あり>

坂本龍馬が19歳から22歳の頃、剣術修行に江戸遊学した足跡を訪ねる会へ参加してきた。

江戸と云えば、やはり「日本橋」がスタートだった。日本橋南詰めの幕藩時代は「高札場」があった地点がスタートだ。
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今の日本橋は明治44年に架けられたものであるが、日本橋南詰めのたもとにある、元禄年間創業の漆器店「黒江屋」には、万治元年(1658)の擬宝珠がショウウインドウに飾られているとのことであるが、今回は店がオープンしておらず、シャッターの浮世絵を眺めるのみ。
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日本橋川を右手に見ながら進むと「一石橋」のたもとである
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。ここには安政年間に建てられた「一石橋迷子しらせ石標」が佇む。江戸後期には、繁華街では迷子が多く、このような石標にお知らせが張り出されたということだ。当時は湯島天神や両国橋にもあったようだが、今はここにのみ残されている貴重なもにものとのことだ。

更に日本橋川の上流に架けられているのが、この「常盤橋」である。旧江戸城外堀に架けられていたもので、天正18年(1590)には土橋だったと云う。この石橋は、明治9年に架けられたものとのことだ。
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常盤橋を渡り切った先のこのJFE商事ビルから先の13000坪ほどが「福井藩上屋敷」であった。
龍馬が近藤長次郎らと当時の前藩主である松平春嶽」と尋ね、海防策などを話したという屋敷である。安政年間の江戸切絵図では「松平越前」と記されているエリアである。
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御幸通りを江戸幕府の貨幣鋳造所(現日本銀行)を左に見ながら江戸桜通りを直進だ。昭和通りの先の椙森神社の1ブロック手前のこの辺りに「千葉定吉道場」があったエリアである。龍馬が最初に江戸へ出た時に入門した北辰一刀流の道場である。ここの娘佐那との恋愛話は若き龍馬の青春時代の一コマである。
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次は、人形町の交差点を左に見ながら進むと、「日本橋小学校・日本橋図書館」の洒落た施設が見えてきた。ここが、龍馬の「薩長同盟」の対談の一人で明治後明治6年に鹿児島へ下野すまで住んだ「西郷隆盛」の屋敷があったところだ。
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西郷隆盛屋敷のすぐ近くに「春琴抄」・「細雪」で有名な作家「谷崎潤一郎」の出生地があった。
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ここのビルには「谷崎」という落ち着いた雰囲気のレストランがあり、この看板は谷崎潤一郎の奥様の筆によるものと云うことだ。
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日本橋川方面に進むと、日本橋川に架かる「鎧橋」である。江戸期は橋は架かっておらず、「鎧の渡し」だったところであり、この橋は、明治6年のことという。西郷さんも草履履きで渡っていたであろう橋で、西郷隆盛と龍馬の妻お龍さんと会いお互いの身を案じたととの談話が残されている橋である。
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橋を渡ると、右手に「東京証券取引所」を右手に平成通りを進むと、右手に中央区立阪本小学校が見えてくる。明治4年開校の第一番官立小学校で、旧細川藩の下屋敷だったところである。谷崎潤一郎もここの卒業とのことであった。
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<以下、後刻に追記。>

更に進み八丁堀2の交差点に1500坪の「桑名藩上屋敷」があったエリアになる。最後の藩主は、京都守護職の松平容保の実弟であり、戊辰戦争では兄容保とともに新政府と戦った一人である。今は面影もないビルがあるのみである。
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桜橋交差点を直進して新富橋の南にある復興稲荷社の一帯が江戸三大道場の一つであった「桃井道場」の跡地と云うことだ。
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更に直進し、新富町駅の先に見えてきたのが古めかしく且つどうた!!と民を威圧してい感のある「中央区役所」で、この区役所の辺り一帯は「土佐藩中屋敷」だった所で、龍馬の江戸遊学時の宿舎であった。
ここで、土佐勤皇等を設立した武市半平太と交流したとのことだ。
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更に祝橋、万年橋を越えて行った先にあったのが、龍馬も門下生であったかの「佐久間象山塾」である。
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幕末有数の兵学者で松代藩士のこの砲術塾には、勝海舟はじめ、長岡藩家老の河井継之助、八重の桜でも詳しく描かれていた会津藩士山本覚馬、長州藩士で倒幕の原動力になった松下村塾塾長の吉田松陰、肥後藩士宮部鼎蔵らが門人に名を連ねていたというのが凄い。

最後に東京駅南口近くの鍛冶橋通り沿いの「千葉定吉道場」跡である。龍馬は2度目の出府の時はこちらの道場へ通ったようである。
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以上が、龍馬の江戸留学足跡」である。
このウオーキングの途中で見つけたのが、歌舞伎座の裏手にあったフロール ド カフェ「樹の花」である。入り口の案内板によると、1979年8月4日 ジョン・レノンとヨーコが立ち寄りコーヒーとティーで静かに語り合ったというカフェである。
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by Koppe3T | 2014-01-26 08:56 | ウォーキング・散策 | Comments(2)