人気ブログランキング |

2014年 09月 22日 ( 1 )

 

恐るべし、坂の街「麻布」

先日「麻布~三田~恵比寿」を歩いてきた。初「麻布」であったのであるが、坂が多いのには驚きであった。

出発は、神谷町から~。まずは、飯倉の交差点下1国沿いにある「西久保八幡神社」へお参り。源頼信は1012年頃創建し、大田道灌が江戸築城の時にこの地に移転されたと云う。社殿までの階段が急峻だ。
f0233879_13364440.jpg
f0233879_13371195.jpg

八幡神社の脇道から裏手へ向かうと、「雁木坂」だ。敷石が直角(ハの字状状に)に組まれていたから別名「岩岐坂」とも書くようだ。
f0233879_13372075.jpg


飯倉の交差点を後ろに榎坂を少々登り、ロシア大使館の手前を左に進むとアフガニスタン大使館の近くにあるのが「日本経緯度原点」だ。先の東日本大震災(2011.3.11)に伴う地殻変動で27センチも移動したので原点数値を改定したとのことである。27センチも動いたんだねぇ~
f0233879_13373307.jpg
f0233879_18142265.jpg

昭和5年竣工の旧逓信省郵便局で現麻布郵便局を右手にみて進むと「狸穴坂」が見えてきた。
f0233879_13460203.jpg


この狸穴坂は下らず進み、坂の下に「島崎藤村旧宅」がある「鼬坂(いたち坂)」&「植木坂」へ。植木坂は、この付近に植木屋さんがあったからとのことだ。23区の坂を調査したところ、この鼬坂を下ったところにある島崎藤村旧宅で、あの有名な「夜明け前」が書かれたという。
f0233879_13382537.jpg
f0233879_18184231.jpg
f0233879_18585006.jpg

更に、右手に結構な石垣のある下り坂へ。この坂は、「鼠坂」と呼ばれている。このような細長く狭い坂を江戸の人々は「鼠坂」と呼んだらしい。安政年間の江戸切絵図によれば、右手に見えた10数メートルはあろう石垣の上には松平右近の御屋敷だったようだ。
f0233879_13390063.jpg

で、これは、先ほどの「狸穴坂」を下から見た図である。左に写っている木造家屋は、腰板がその年季を物語っていて楽しい。まだ住んでおられると云うのがまたまた素晴らしい。
f0233879_13402246.jpg

で、こちらは平安時代に一条天皇の命で創建されたと云う「天祖神社」である。本殿したの石垣が見事だったな。
f0233879_13404345.jpg
f0233879_13403915.jpg

こちらは、映画「三丁目の夕日」内でモデルになったという銭湯「小山湯」である。実に懐かしい造りである。
f0233879_13412601.jpg

そして、路地には「ケンケンパッ」で遊んだんであろうの跡が残っている。今でもこの遊びしてるんだね~~~。
f0233879_13413114.jpg

そして、こちらは安政年間に日米修交通称条約のもと、米国公使館が設けられて、公使ハリスが滞在していた「麻布山 善福寺」である。弘法大師が824年に開山したのだが、鎌倉時代にかの親鸞上人が訪れた時の住職が親鸞に傾倒し、「真言宗」から「浄土真宗」改宗したというのが面白い。寺域には、福沢諭吉のお墓もあるんだよね(寺域は撮影禁止のため、写真はありません)。
f0233879_13430697.jpg
f0233879_13491937.jpg

ここ一帯を「麻布」と呼ぶようになったのも、ここ「麻布山」からきているとのことだ。山門前にある、「柳の井戸」。弘法大師の錫杖伝説は全国各地に残っているが、当地も弘法大師の錫杖で湧き出した井戸とのことだ。
写真を間違ってアップしていました(汗)。こちらが、その井戸です。
f0233879_13423717.jpg


麻布山を出たあと、韓国大使館を左に見ながら登った仙台坂。だらだら長い坂で、結構膝と足裏に来てたかな(笑)。
f0233879_13501419.jpg


平安中期、坂東武者平将門の乱の折に源経基(つねもと)が麻布の一本木辺りに歓心したと云う「元麻布氷川神社」だ。バックの頭でっかちマンションが景観を損なってますね。
f0233879_19094264.jpg

一本松坂」。確かに何代目になるのか、樹齢数十年の松が1本あります。平将門との戦のあと、源経基が装束を掛けた松とのことだ。
f0233879_13513577.jpg

大黒坂」、「七面坂」を下ると、そこは麻布十番本通。ここで、一休み~~。十番名物の「月島屋」の今川焼~~~~。甘さ控えめで、美味しかったな。麻布十番は初めての訪問だったけど、いかにもお金持ち~~の街の雰囲気だったな。
f0233879_13514874.jpg
f0233879_13524663.jpg
f0233879_13530870.jpg
f0233879_13531139.jpg

麻布十番稲荷」。竹中稲荷と末広稲荷が戦災で焼失したのちに合併して出来た神社とのことだ。「若返り~~~」、「旅から元気で帰る!!」など、帰る(カエル)に縁起が良いとのことだ。
f0233879_13532207.jpg
f0233879_13533253.jpg

坂下から望む「暗闇坂」。見るからに急である。両側から樹木が鬱蒼と生い茂って昼なお暗い坂道だったという。
f0233879_13534181.jpg
この暗闇坂の中腹から「増上寺隠居屋敷」だったと云う引き戸の門がある路地とは思えない路地を抜けて、狸坂へと下る。この隠居屋敷跡は知る人ぞ知る、超レアなルートであった。で、こんな幅1メートルもない路地も行けちゃうんだよね。
f0233879_19363010.jpg
そこには、遠くに六本木ヒルズを望める谷間の昭和の家並みが残っていました。
f0233879_19392511.jpg

江戸期、麻布にあった備中成羽藩の領主山崎主税助治正の屋敷にあった池に住む大ガマが大火の時、池の水を吹いて消したため「上」の字お守りが普及したとのことだ。
そのガマが住んでいたと云う「ガマ池」がこれだ!!。竹藪で見にくいけど、竹藪の下の池に満々と水を貯えているんだよね。高台にあるのに、どこから水が湧き出てくるのか不思議である。このガマ池は、マンションの敷地内で、この位置からしか望めないのである。埋め立ての計画が持ち上がったことがあったのだが、地域の外国人の反対で埋め立てを中止したと云う。
f0233879_13550835.jpg
江戸期、盛岡南部藩の下屋敷で、明治になり有栖川宮の御用地だったと云う「有栖川記念公園」を足早にチラ見(笑)。この公園の傍には「南部坂」。南部藩邸があったからの呼び名である。
f0233879_13551602.jpg
f0233879_19152834.jpg
ここで、予約時間が目前と云うことで、年長者はタクシー~~~~(笑)。最後の訪問地「エビスビール記念館へ」。後刻徒歩組も全員集合で、エビスビールの歴史を勉強した後、エビスプレミアムと琥珀エビスを試飲だ。やはり、エビスは美味い!!。「麦芽とホップと水以外は一切使っておりません!!。」でした。当時の恵比寿駅の写真が素敵である。また、1987まで使われていたと云うこの仕込み窯の曲線美と銅の輝きは美しかったな。
f0233879_13562898.jpg
f0233879_13555025.jpg
f0233879_13555412.jpg
エビスビール記念館での美味しいエビスビールの後、外へ出ると実に綺麗な夕焼けだ。
f0233879_13565449.jpg


それにしても、麻布と三田の一画は、結構な高低差の坂のなんと多いことか!。「恐るべし、麻布の街!」であった。
楽しいアップダウンと昭和的なレトロが混在するコース、ありがとうございました。
翌日、膝が叫んでいたな(爆)。

最後に、歩いた当たりの安永年間6年(1859年)の江戸切絵図が、これである。直角に曲がる渋谷川-古川が今も同じに残っていますね。
f0233879_13574505.jpg










by Koppe3T | 2014-09-22 19:26 | ウォーキング・散策 | Comments(6)