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カテゴリ:ウォーキング・散策( 86 )

 

国府台から矢切へ

この週末は、市川市国府台から松戸市矢切までのウォーキングに参加してきた。
出発は、京成国府台駅から。国府台駅の側は江戸川で、堤防に上ると雄大な江戸川の流れと国府台の大地が遠望できるのだ。
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真間川を渡ると、万葉の頃多くの和歌が詠まれたと云う「真間の継ぎ橋」の通りである。
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かの有名な山部赤人がこの下総国府を訪れた時の歌も残されているのだ。

当時は、この辺りは入江になっており多くの洲があり、真間の入江と呼ばれていた。多くの橋が架けられていたと云う。それで、真間の継ぎ橋と呼ばれたエリアなのだ。
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日蓮宗の真間山弘法寺である。この仁王門へ続く60段の階段が急峻でかつ1段が高く、登るのも一苦労だったな。
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弘法寺は1300年前に行基が求法寺として建立し、のちに弘法大師が「弘法寺」と改称とのことだ。仁王門の仁王像は運慶作とのことだ。
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境内の樹齢400年超えの枝垂れ桜が有名らしい。
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境内の掲示版に、有難い一首が。
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さて、大正時代の高級住宅であった「木内重四郎氏の旧別邸」である。1914年に建てられた和洋折衷の邸宅の洋館部分を2004年に復元したものである。
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木内氏は、千葉氏の流れをくむ明治・大正の政治家なのだ。
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館内は、暖炉やホールが見事復元されており、大木が繁るお庭を観ながら美味しいコーヒーでも頂きたい感じだったな。
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和洋女子大である。ここの東館17階にある文化資料館は一般にも開放されており、和洋女子大の沿革はむろんのこと、土器や各地の民具が展示されているのだ。
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また更に1階上の18回は学食になっており、食事や飲み物が学生料金でいただけるそうだ。当日は、オープン・キャンパスの日だったようで多くの高校生や父兄が集っていたな。18階から江戸川を眼下に1枚だ。
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里見公園へ向かう通りに、古田織部正によって創始された「式正織部流茶道」の十六代秋本瑞阿弥の庵がひっそりと残されている。
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さて、里見公園である。ここは1479年に大田道灌が築城した「国府台城」であり、土塁や石垣・濠が当時を偲ばせてくれるのだ。
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北条氏と里見氏の国府台合戦で敗れた里見家の家臣の娘が父を訪ねてきて、泣き死んだと伝わる場所に残る「夜泣き石」である。


江戸川の向こうに葛飾区の街並みと東京スカイツリーも間近に見えてしまう。下総国府が置かれたこの地の立地の良さが良くわかると云うものである。。
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江戸期は、安藤広重の名所図にも「鴻の台(国府台)と弥川(利根川(江戸川))」として描かれているのだ。


国府台に残る「国府台緑地」に「ふれあいの小径」が整備されて残されている。
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緑地のそばには、回向院分院だ。回向院と言えば江戸であるが、こんなエリアにも分院があるんだねぇ。この回向院の本堂は実に現代的な建物なのだが、そこの枯山水庭園が素晴らしい。

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で、今回の終着は、矢切駅。駅構内には、かの有名「矢切の渡し」の和船が展示だ。
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今回案内してくださったKさん、的確な案内ありがとうございました。



by Koppe3T | 2019-09-22 19:38 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

飯能わくわく散歩~~~~

好天にも恵まれた昨日は、西武池袋線に乗って飯能市へ。
「飯能わくわく散歩」銘打った楽しいお散歩に参加してきた。

スタートは、西武池袋線の飯能駅からだ。
飯能は林業と織物が盛んな町だったのことであり、街中には多くの明治期の商家が残っているとのことだ。
で、飯能銀座通りである。懐かし気なお店が残されてもいるのだ。
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この通りは明治期になって木造の建物を全面だけ洋風に改築した「看板建築」が残されているのだ。こちらは、現在吉川理容所なのだ。前面は確かに洋風である。
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で、こちらは大正11年建築の「飯能織物協同組合事務所」である。
木造総二階の洋風建築なのであるが、屋根には2尾のチャチホコが鎮座しているのが楽しい。
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旧広小路に残る「袖蔵中清」である。江戸期は米屋さんだった。漆喰壁が綺麗である。
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更に、「店蔵絹甚」である。明治30年代に建てられた飯能市の有形文化財である。通り沿いの二階建ての蔵なのであるが、蔵の中の一階部分がお見世になっており、蔵の裏側が居間などの居宅部分になっているのだ。
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一階のお見世エリアには、この時期らしく「吊るし雛」ならぬ、「吊るし鯉のぼり」が吊られており、雰囲気抜群。
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またこの辺りは江戸期縄市が行われていた広小路であり、通常の道路の倍以上の広さの「前庭」と称するスペースを残して建物がが建てられていたという。
その前庭に市が立ち、大変賑わったとのことだ。前庭に市を出す人は場所代を支払っての商売だったと云う。
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当時の写真が残っている。店の前のスペースが実に広いのだ。
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木造三階建の鰻屋である。
この辺りは、夜の飯能が楽しめるエリアだったらしい。
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観音寺である。眼下に飯能河原も見え清々しい。
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境内の鐘楼である。先の大戦時軍事供与されて鐘はなくなっており、地元有志により、何故か白亜の象さん像が鎮座なのだ。
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1983年に建立された「鉄腕アトム銅像」である。原作作者である手塚治虫も出席し除幕式も行われたという。アトムは、私の少年時代のヒーローである。
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さて、飯能で一番人気と云われる「天覧山」へ登るのだ。標高195mの山で、明治天皇が陸軍の調練をこの山からご覧になってから「天覧山」と呼称されたという。
それまでは、愛宕山とか羅漢山と呼ばれていた。

登り口は結構急斜面である。
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さて、途中の東屋で一休みして、羅漢コースから頂上を目指す。
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頂上に到着だ。晴れていれば遠く富士山や武甲の山々、スカイツリーなども望むことができるらしいが、生憎春霞。それでも、飯能の街並みが綺麗だ。
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天覧山の麓にある「能仁寺」である。文亀年間(1501~1504)小田原北条家の中山勝家が創建したと伝わる名刹である。しかし、幕末慶応4年(1968)の飯能戦争で幕府軍の本陣となり、伽藍は焼失。昭和11年の再建である。
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飯能市立博物館で、飯能の歴史をお勉強。
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さて、実に清々しい「飯能河原」である。名栗川(入間川)の河原に中州も広く、日帰りBBQにはパーフェクトな立地である。茶店で缶ビールを買い求めて、しばしリラックス・タイム~~~。
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最後に、飯能駅の列車留めを見学して、今日のお散歩は終了~~~。しかも
、タイミングよく「特急むさし」が入線だ。実にスタイリッシュな車体で、にわか鉄ちゃんになっっていたコッペである(笑)。
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打ち上げは4時半から、2時間半の飲み放題だ。しかも、プレミアム・モルツや黒霧や、八海山など旨いお酒が飲み放題!!。しっかり酔いたかったのではあるが、帰路のを乗り継ぎ含めて3時間の行程を考えると、数杯にて飲み止め~~~(笑)。

奥武蔵野「飯能」は、初の上陸であったのだけれども、案内のお兄さん二人に案内されて、飯能を堪能できた一日であった。ありがとうございました。
また、一緒に歩いて頂いた参加者の皆様もお疲れ様でした。
















by Koppe3T | 2019-05-12 19:36 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

池袋・大塚・巣鴨をねえ散歩

先週は久しぶりに「池袋・大塚・巣鴨をねえ散歩」に参加だった。
当日の案内は、ブラ○○○で活躍の竹〇さんだ。

集合は池袋駅西口~~~。全員揃って配布されたのはカラー写真コピー7枚+9ページに及ぶ16枚の豪華資料だ。
明治36年開業の池袋駅の当時からは思いもよらない世界第3位の乗降客数のいわれも嬉しい案内だ。

さて、池袋の地名の由来ともいわれる「丸池」があった「元池袋史跡公園」である。ここにあった丸池が弦巻川となって流れていたそうな。公園の上には梟がお出迎え~~
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で、弦巻川が侵食した窪地の上に電車道と道路を交差させた「びっくりガード」である。「びっくりガード」と名付けられたには諸説あるらしい。
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ジュンク堂書店である。1997年関西から進出して第一歩に開店したお店とのことだ。
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丸善池袋 2017年オープンなのだが、1階には京急や東急の本物車両のカット・モデルが展示されているんだよな。
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豊島区立南池袋公園。生の芝生が売り物で若い家族ずれに大人気とのことだ。
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明治天皇が、明治8年板橋での軍事演習に向かう時、休憩された地に建つ石碑である。
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そして、池袋の闇市の方々が開いた酒場に建つ「人生横丁の碑」だ。「あなたの心に横丁がありますか」とは奥が深い言葉であるな。
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「美久仁小路」。三国人から美久仁の漢字をあてたそうだ。
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昭和58年オープンのパフェテラス ミルキーウェイ
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さて、山手線に乗って大塚駅へ~~。
旧巣鴨村の鎮守である天祖神社である。鎌倉時代勧進である。
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大塚三業通りだ。街頭の上には芸子さんがいるのだ。
芸妓屋、待合、料理屋からなる同業組合を「三業組合」と呼んだとのことで。ここ大塚は大正14年に三業地として許可がおり、いかにもな雰囲気が残っているんだよな。
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山手線のガード下てあり、大正12年、池袋-巣鴨間の複々線化の工事で出来た煉瓦造りの大塚架道橋である。歴史遺産になってないのも不思議なもんだ。
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更に、山手線に乗って「巣鴨」へ。
染井吉野の碑である。ご存知「ソメイヨシノ」発祥の地なのだ。
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江戸六地蔵の一つである「眞性寺」である。
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さてさて、現在の巣鴨と云えば、「おばあちゃんのまち巣鴨」で有名な巣鴨地蔵通り商店街」だ。旧中山道である。商店街の入り口には昔懐かしちんどん屋さんだ。
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名物の「塩大福」で有名なお店であるが、行列が半端なく、お買い上げは断念だ。
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で、とげぬき地蔵尊で有名な「高岩寺」である。
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日本橋と板橋宿の真ん中辺りにあり、旅人の休憩所「立場」があった場所で、明暦3年(1657)造立の「庚申塔」が祀られているのだ。
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江戸名所図会に残されている庚申交差点付近の絵図である。中山道の賑わいと庚申塔が描かれている。
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さて、庚申塔で散歩は終了。近くの食べ放題飲み放題の中華で打ち上げ~~~。
美味しく食べて飲んで、楽しいひと時でした。

今回の案内の竹○さん、分かりやすい案内ありがとうございました。
またご一緒に歩いて頂いた参加の皆様、お疲れ様でした。











by Koppe3T | 2019-04-18 16:51 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

浅草から墨堤沿いを歩く

先日参加した「浅草から墨堤沿いを歩く」の記録である。
スタートは、スカイツリーが見える浅草駅からだ。
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「浅草名物「神谷バー」である。
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で、浅草と云えば浅草寺である。雷門付近は、流石に外国人だらけである(日本人より外国人の方が多そうだ)。
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仲見世も初詣の成田山表参道みたいにまともに歩けない。
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そして、何故か着物姿の女性が多かったな。しかもカラフルな柄が多いのだ。
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本堂にも参拝だ。推古天皇の時代(628年)、漁労中の兄弟が引き上げた仏像が縁起のお寺さんが、世界中からここまで老若男女が訪れるようになるとは、仏像を引き上げた兄弟も知らなんだろうな。
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隅田川沿いからスカイツリーを望む。梅の花も開花だ。
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で、こちらも推古天皇の時代、地中から忽然と湧き出た霊山と伝わる「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」である。浅草寺の支院で、正式には「待乳山本龍院」と云う。
江戸期、歌川広重画でも向島から大川と待乳山を描いているほどの江戸東部随一の名所だったのだ。
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待乳山辺りまでくると、流石に外国人も日本人も少なく、閑散とした感じが嬉しい。

「さくらレール」と銘打った日本最短モノレールである。無料でもあり、片道約30mほどを皆で乗って一往復づつさせて貰った(笑)。
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ここ待乳山付近は、かの池波正太郎氏の生誕の地でもあり、公園の一角に碑が建立されている。鬼平犯科帳にも待乳山や、墨堤(隅田川の堤)もよく登場する訳である。
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さて、言問橋を渡り、向島へ。
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渡り切った所にあるのが「牛島神社」である。
文武天皇の時代(701~704)の頃、この向島辺りは官の牧が広がり、多くの牛が草を食んでいたエリアであり、牛と関わりの深い神社なのだ。
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境内にある「撫で牛」である、江戸期から体の悪い部分と同じ部位を撫でると治るらしい。私は頭からお尻まで全部撫で撫で~~~~~(笑)。
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さらに、ここは江戸期水戸藩の下屋敷だった場所でもあり、日本庭園が往時の面影を偲ばせてくれている。
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墨堤の桜並木は、徳川八代将軍吉宗が植えたの始まりと云う墨堤沿いを北へ向かうと「三囲神社(みめぐり)」だ。弘法大師が祀った田中稲荷が始まりとのことだが、文和年間に、土中から見つかった白狐に跨る老翁像の周りをどこからともなく現れた白狐が三度回って消えたので「三囲」の名が付いたとのことだ。
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享和2年(1802)奉納の目じりの下がった温和な表情の三囲のコンコンさんである。
このような表情の人を、この辺の職人言葉で「三囲のこんこんさんみてえだ。」と云うらしい。
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ここは、鬼平犯科帳にも「三囲稲荷社」として登場していたので、昨年読み終えた私としては嬉しい場所だったな。
また、今の三越である三井家が江戸進出の時、こちらを守護神とした経緯から、池袋三越の青銅製ライオンが境内に鎮座なのだ。
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さて、見番通りを北へ。見番通りと名が残っているくらいだから、その昔は多くの待合や料理屋があったエリアなのだ。流石にこじんまりとした料亭や立派な料亭が散見されるのだ。
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さて、弘福寺である。本堂の造りが実に中国っぽいと思いきや、唐の時代に実在した「布袋尊」の御像が本堂に安置されている中国色の強い宗派で300年以上の昔に創建されたお寺さんなのだ。
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墨堤に残る江戸末期創業の「言問団子」である。小豆あんと白あんとクチナシで黄色い団子が厳選された静岡は川根産の美味しい日本茶で味わうことができるのだ。
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平安の右近衛中将在原業平朝臣の和歌を詠みながら頂きました。「いざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」墨堤の桜も有名であり、桜の季節に再訪したい場所でもあるな。


さて、東京大空襲を免れた「鳩の街通り」である。実に、懐かしく思える通りで、この平成にこんなに日本的な通りが残っていたとは!!!
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この通りの近くには吉川英治や榎本武揚も住んでいたと云う。


で、こちらは明治の文豪幸田露伴がの住居跡である。露伴は転居が多くカタツムリのようだとして「蝸牛庵」と詠んだらしい。
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今回も、案内ありがとうございました。また、一緒に歩いて頂いた皆様、お疲れ様でした。



by Koppe3T | 2019-01-29 13:45 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

四ツ谷から江戸城外堀に沿って虎ノ門まで

先週の土曜日は、今年最後の姉さん歩で「四ツ谷から江戸城外堀に沿って虎ノ門まで」の優雅なお散歩に参加だった。
出発は、JR四ツ谷駅赤坂口から。四ツ谷と「ツ」が入る書き方に味噌があるのだ。
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駅自体は外堀の中にあるので、結構低い位置にホームがあるのだ。向かいの土手が外堀の名残であるが、土手の高さがかなり高いのだ。
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さて、四ツ谷と云えば「四ツ谷見附」として有名な「四ツ谷御門」あった場所で、甲州街道からの」敵に備えた場所でもあった。明治5年に門は撤去されたのではあるが、石垣が残されており往時を偲ぶことが出来る。
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大正12年(1913)設立の上智大学内にある、聖イグナチウス教会である。なお、上智大学は、尾張徳川家の中屋敷だったところである。
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明治27年、甲武鉄道開通に当たり掘削さてた「御所隧道」の入り口」部である。
今も使われており、手前がJR中央線で奥が地下鉄南北線である。更に奥に江戸期の外堀(真田堀)が遠望できる。
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さて、今回のメインのひとつでもある「迎賓館」である。江戸期は紀州徳川家の中屋敷だった場所であるが、明治6年から21年は仮御所でもあったところである。
明治32年から東宮御所として建造されたのので、戦後昭和49年に改修され「迎賓館」として運用されているのだ。正門、本館、噴水池が国宝である。


バロック様式の外観と噴水が美しい。
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外部はバッキンガム宮殿を模したと云うことだが、塔の上には甲冑を纏った武者がいるのだ。西洋では騎士なのだそうだ。
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旧紀伊徳川家中屋敷(現迎賓館)を右手に紀伊國坂を下って食違御門へ。
この坂の右手は、江戸期の正面玄関で、明治期仮御所として使われていた頃の正面の門である。大久保利通や岩倉具視もこの御門を使用していたんだよな。
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さて、食違見附へ向かうと、左手にかの真田真之(信州松代藩)が筆頭担当で1636年開削されたと云う「真田濠」である。いまは、上智大のグランド及び地下鉄の四ツ谷駅になっている。
往時は防備上の戦略で、直角にクランクしていた見附であるが、現在は緩やかなS字カーブの道路になっている。
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南側は弁慶濠だ。濠の右に首都高が見えるのであるが、よく走る道ではある。こちらから眺めるのは初めてである。
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さて、彦根井伊家の中屋敷だった場所に建つ「ホテル・ニューオータニ」である。
明治期は伏見宮亭だったのであるが、戦後鉄鋼王よ呼ばれた大谷氏が外国資本をきらい買収し、東京オリンピックに向けて開業したホテルなのだ。
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敷地は、彦根井伊家の敷地だったことを紀念するものが多く残されている。
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「紀尾井坂」である。紀州徳川家、尾張徳川家、彦根井伊家3家の隣接する坂であり、紀尾井坂よ呼ばれ、明治になり町名も紀尾井町となったのだ。
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江戸期から清水が湧き出ていたので「清水谷」と呼ばれていた場所で、今は清水谷公園として開放されている。
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この清水谷通りで、かの大久保利通が明治11年g5月14日仮御所だった赤坂御所へ向かう途上元加賀藩士ら惨殺された場所でもある。公園内に哀悼碑が建立されている。
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園内は実に見事な銀杏や紅葉が素晴らしい紅葉を見せてくれていた。また、江戸期の水道の石升も展示されており、江戸期のインフラの凄さを見せてくれてもいる。


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李王家邸である。「李王」の称号で日本皇族となった27代李王朝27代純宗の弟君の邸宅である。屋内のステンドグラスも美しい。
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赤坂見附の赤坂御門跡である。赤坂御門は寛政13年(1636)福岡藩黒田忠之が築いた門である。往時の写真が残っているのだが、かなり高い位置に門があったのだ。
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また、赤坂門左右の外堀の石垣が美しいのだ。積石には各藩のマークが刻まれているのだ。
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明治22年に神田の藍染河の弁慶橋を移設して架けられた「弁慶橋」である。
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弁慶橋から弁慶濠の向こうに赤坂御門を望む



さて、こちらは「三べ坂」と呼ばれる坂である。江戸期、岡部、阿部、渡辺の3旗本の屋敷があり3人の「べ」が付いた屋敷があったにおで「三へ坂」なのだ。
写真のクランクは江戸期のままのクランクで今も残っているのが嬉しい。

この辺りは、国会議事堂の裏手に当たり、写真の左に3棟写り込んでいるのは「衆参の議員会館である。
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山王日枝神社である。鳥居の上に屋根(破風)が乗っている珍しいと鳥居なのだ。
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今は完全に埋め立てられてしまったのであるが、江戸期は溜池で、井戸の町々の飲料水につかわれていた溜池跡である。
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最後は、江戸城外堀のひとつである虎ノ門の外堀石垣が修復されているエリアである。
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さて、これでお散歩は終了だ。姉さん歩では記録の23名の参加者で引率も大変だったことと推察です。私的には最後まで歩き通せて良かったな。


打ち上げは中華屋さん!!。飲み放題・食べ放題の中華は実に多彩で美味しくいただきました。姉さん、今回も素敵なコース案内ありがとうございました。また、一緒に歩いて頂いた皆様、ありがとうございました。





by Koppe3T | 2018-12-09 19:48 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

姉さん歩「品川から三田周辺」

街歩きには絶好の陽気の昨日は、6月以来と久しぶりに「姉さん歩」の会に参加してきた。今回は品川から三田周辺を歩くコースである。

スタートは品川駅だ。
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現在の国道1号線でその昔の東海道を日本橋方面へ少し歩くと、最初の訪問地は臨済宗別格本山である「東禅寺」である。江戸初期の1610年に創建された古刹である。
また、幕末には英国公使オールコックが駐在し、わが国初の英国公使館として明治6年まで使われた寺院でもある。
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東禅寺は、禅寺らしく落ち着いた雰囲気で三重塔も実に美しいのだ。前回の訪問時は門が開いてなくて境内に入れなかったのだが、今回は入ることが出来て良かったな。
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東海道沿いに残る「高輪神社」である。室町期の創建である。
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更に歩くと「高輪大木戸跡」の石垣だ。1710年に江戸府内入り口に設けられた大木戸であるが、江戸期も後半には閉門することもなくなっていた木戸とのことだ。
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江戸城増築の際、重量物の運搬に活躍した牛達の「牛供養塔」が残る「願正寺」である。このお寺さんの門前は別称「牛町」と呼ばれるほどの牛1000頭も飼っており、牛屋七家による1738年建立の「牛供養塔」が残されているのだ。
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江戸幕府が1612年キリスト教を禁教としたのち、長崎や京都で多くのキリスト教徒が処刑されているが、ここ江戸でも1623年に家康の小姓やイエズス会神父ら50人がこの地で処刑された。
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三田ツインビルの西側はかなりな急斜面なのだ。
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三田ツインビルの山側エレベーターで丘の上へ。旧東海道沿いに残る「済海寺」である。安政5年、最初のフランス公使館」として16年使われたのだ。
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聖坂である。海沿いの東海道が整備されるまでこの坂がある通りが往古の交通路だったのだが、高野聖の宿場があったので「聖坂」と呼ばれているのだ。
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聖坂の中ほどにある「三田のガウディ」。1級建築士の岡氏が着工し13年経過しているが未だに建築途上。全てを自作するという点が羨ましいね。
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さて、現在の慶応大学三田キャンパスの西に位置する「綱坂」である。文久3年(1863)に撮影されたこの1枚の写真で有名なのだ。
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羅生門の鬼退治や酒呑童子退治で有名な平安時代の武将「渡辺綱(953~1025)がこの近くで生まれたとの説があり、かつては三田綱町という町名も残っていたんだよね。


文久3年の写真と同じ構図で一枚。島原藩邸であった黒塀が続いていた場所は、今は慶応大になっている。
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今回はこの「綱坂」を歩いて登ることが出来て、長年の夢が叶ったのが実に嬉しい坂の感じは、文久3年の頃もまんまだよね。
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綱坂を登ると、左手には「綱町三井倶楽部」である。大正2年英国人建築家コンドル氏の設計だ。ネオバロック風が見事であるが、入館は出来ないのだ。
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で、綱坂を登った右手には旧伊予松山藩の中屋敷であった場所で、現在はイタリア大使館になっている。1703年の赤穂浪士の内10名が当時の伊予松山藩に預けられて切腹した場所でもある。
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東京タワーも美しかったな。
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増上寺の別院である「妙定院」である。宝暦3年(1763)開基で、三つ葉葵の紋所の使用も許されている将軍家大奥との繋がりが深い寺院なのだ。
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こちらの登録有形文化財である「熊野堂」と「上土蔵」を見学だ。熊野堂は寛政8年、浄土蔵は文化8年の棟札のものなのだ。
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薩摩藩上屋敷跡を歩いて、「薩摩藩七曲り」とよばれていた、薩摩藩邸の外郭が体感できるクランクが未だに残されているエリアである。
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で、こちらは安政6年(1859)からオランダ公使館として使われた「西應寺」である。鎌倉時代最後の執権北条高塒の娘が一族の菩提を弔うために開山したという古刹でもある。
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さて、薩摩藩蔵屋敷に残る薩摩西郷隆盛と江戸幕府勝海舟の「江戸無血開城」の会談が行われたと伝わる「薩摩藩蔵屋敷」である。
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高輪周辺と云うことで、アップダウンあるかも?と思いつつ参加したのであるが、今回は最後まで完歩できて良かったな。コース的にもエレベータを使ったり足裏に優しいコース作りをしてくださった姉さんに感謝である。
参加の皆様、お疲れ様でした。
打ち上げでは4杯飲んだように記憶しているのであるが、皆さんと別れて電車に乗った途端に「目の前真っ暗!!」になり、3駅目で一旦下車しお手洗いへ走る羽目に(汗)。アルコールも弱くなった自分に愕然とした晩でもあったな105.png145.png105.png106.png106.png








by Koppe3T | 2018-11-04 16:59 | ウォーキング・散策 | Comments(4)  

季節の風物詩が残る根岸と入谷の周辺散歩

先週は、外気温が35℃になるかもの予報の中、根岸と入谷周辺を歩いてきた。

根岸や入谷は、江戸の下町のイメージが強いけど、まずは長享元年(1487)創建の日蓮宗の寺院「善性寺」である。徳川6代将軍家宣の生母長昌院が葬られおり、将軍家ゆかりのお寺さんとのことだ。
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そして、根岸と云えば「どうもすいません~~~、三平です。」の有名な林家三平の地元なのだ。
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住宅街の一画にひっそりと「ねぎし三平堂」だ。外観は普通の住宅っぽいのだが、内部は三平師匠の博物館なのだ。
高座も設置されており、月に1回は落語会が開演されるとのことだ。
懐かしく昭和のお笑いを思い出させて貰った。


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高座で三平師匠がお出迎えだ。
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三平師匠の仕事机である。
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更に、根岸には有名な正岡子規の「子規庵」が残されているのだ。
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明治27年から亡くなる明治35年までの8年半をこの子規庵で闘病・文学の情報発信をした庵である。明治期の多くの俳人・歌人が集まり句会や歌会、文学談義が行われたところだ。昭和20年の戦災で焼失してしまったのだが、25年にほほ当時の姿に再建され、都の指定史跡になっている。
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「をと、ひの へちまの水も 取らざりき」
「糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな」
「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」
正岡子規絶筆三区である。
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庭には鶏頭やへちまが当時のままに植えられていて、座敷からの眺めが心を元気にしてくれる場所であった。
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ここ根岸は江戸時代からウグイスが多いことから「初音の里」と呼ばれていた。子規も「雀より 鶯多き 根岸かな」と詠んでいる。



さて、老舗豆腐店の「笹乃雪」である。寛永寺門主が「笹の葉に降り積む雪の如し」と絶賛したことが由来なのだ。プライベートで訪れたいものである。
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うぐいす通り(御行の松通り)へ入ると、寺町の風情が漂う。
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「根岸小学校発祥の地」のお寺さんだ。




初代の松は、根岸の大松と親しまれ、「江戸名所図絵」や歌川広重の錦絵に描かれた「御行の松」である。昭和51年に植えられた3
代目の松とのことだ。

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初代の大松も、しっかり保存されているんだよな。
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子規も「薄緑 お行の松は 霞けり」と詠んでいるのだ。



柳並木が情緒たっぷりな「柳通り」である。大正から昭和初期には根岸花街の中心地だったと云う。
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更に毎年11月の酉の日に行われる「酉の市」で有名な、「鷲神社」である。縁起物の熊手が有名なのだ。
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語呂合わせ「おそれ入谷の鬼子母神」で有名な真源寺(入谷鬼子母神)である。万治2年(1659)に日融上人が開いたお寺さんである。
七福神の福禄寿を祀っている。
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実は7月中旬なら梅雨明け前と判断してエントリーしていたのだが、まさかの6月末に「梅雨明け」しており想定外に暑い夏の日であった。そんなに長い距離ではなかったので完歩は出来たのだが、私には夏の日中散歩は控えた方がよさそうだ。今回も案内、ありがとうございました。




by Koppe3T | 2018-07-16 14:45 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

江戸の花名所から荒川土手・隅田川散策

先週の土曜日は、「江戸の花名所から荒川・隅田川」を歩く散策会に参加してきた。

雨も心配されるシーズンであるが、昼前には雨もあがり、涼し気で歩くには丁度良い気温だった。
出発は、堀切菖蒲園駅。
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街の通りには「菖蒲まつり」の垂れ幕だ。
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昔は川が流れていたに違いない曲がりくねった裏通りを歩く。この近くに「毛無池」があり、この池からの流れだったようだ。
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途中途中には、昔の橋の名が残されてもいるのだ。
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最初の目的地は、「いぼとり地蔵」で有名な「極楽寺」だ。宝徳元年(1449)の創立の古刹である。
山門の前の、真っ白い塩に埋もれた「いぼとり地蔵」だ。この塩をいぼにつけるとと綺麗に取れるとか?
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本堂である。本堂前では、にゃんこのお出迎えだった。
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次に、江戸の花名所で有名だった菖蒲園である。丁度、「菖蒲まつり」の期間中だ。
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まずは、株ごとに名前のついた菖蒲の鑑賞だ。
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江戸期にあったのは小高園・武蔵園などであったが、この堀切園は明治に入って開園した園とのことだ。戦争の時期には多くの園が水田化され閉園してしまったのだが、戦後復興したのが「堀切園」だったのだ。その後東京都が入手し、葛飾区移管されているのだ。
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しかし、この堀切菖蒲園は、この4月にリニューアル・オープンしたそうで、園内は実に綺麗に整備されている。
そのリニューアル工事の一環でこの絵にある築山も削り取れててしまったとのことだ。築山からの眺めは良かったんだろうな~~~
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次は、荒川へ。首都高速を潜って土手を登ると「綾瀬川」だ。
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更に、荒川土手からは遠くスカイツリーが望めるのだ。
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で、「堀切水辺公園」だ。こちらにも菖蒲が植えられており、菖蒲とスカイツリーの2ショットだ。
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広々とした堀切水辺公園を上流方向へ。タチアオイの花が満開だ。
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堀切橋を渡り、墨田区へ。堀切橋からも首都高速とスカイツリーだ。
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荒川の墨田区側を少し下ると、「隅田水門」だ。隅田川を荒川の水位調整のものだが、この日はゲートが開いており、隅田川から荒川へ流れていたな。
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280年ほど前に築かれた茅葺の山門が有名な真言宗智山派の隅田山多聞寺である。隅田川七福神の毘沙門天がご本尊のお寺さんなのだ。
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境内には、ここが隅田村だった頃に製作された六地蔵座像が残されている。正徳3年(1713)から享保元年(1716)の作だ。
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次に、隅田川へ。隅田川にかかる「水神大橋」だ。隅田川を渡れば、荒川区の汐入であり、江戸期から花見で有名なエリアだったようだ。
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リバーサイドの「汐入公園」縦断し、「千住汐入大橋」を渡ると、解散地点の京成町屋駅だ。千住汐入大橋から汐入公園を望む。
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歩行距離約5キロ程度とのことだったけど、平坦なエリアでもあり何とか完歩できて一安心でもあった。
今回も、案内ありがとうございました。




by Koppe3T | 2018-06-18 17:29 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

川と池ばっかりをめぐる散歩~~~

昨日は、「川と池ばっかりをめぐる散歩」に参加だった。

出発は山手線原宿駅だ。早速、唯一皇族専用ホームである「原宿側部乗降場」を見学だ。
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で、早速神宮の森の東池から流れ出ていた川が暗渠になった通りだ。
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東郷神社である。
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本殿手前に建立されている「海軍特年兵碑」である。13~14才で兵隊になる訓練を受けて出征していたんだよな。この散歩に参加者の一人のお父様がその第3期生だったという話には言葉もないな。
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東郷神社なので、かの東郷平八郎を祀っているのだ。戦神を祀っている神社なのではらうが、婚礼を上げる方々は実に多いようだ。
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江戸期は高崎藩や鳥取藩の敷地だったようだ。その神池である。この神池から流れ出た水は渋谷川へ流れていたんだよな。
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表参道に残る渋谷川にかかっていた「神宮橋」の名残だ。
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渋谷川は現在の渋谷駅までの上流域は暗渠になっている。上流へ向かう。暗渠で畝っていて昔は川だったことが想像できるのだ。
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上流域に「原宿橋」の跡が残る。
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河川があった低地から丘へ登ると、そこは旧「鎌倉街道」の原宿だ。宿場だったんだよね。
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再度、表参道に戻ると、「表参道ヒルズ」に繋がった「同潤館」が旧青山アパートの面影を残して再建されているのだ。内部には、こんな非常用はしごも。
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表参道の裏手にには、かの信州 善光寺別院だ。
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明治神宮への参道を造ったとき、鎧の池を埋め立てるため、この地にあった「浅野山」。土砂崩れが起きないよう石垣を築いたとのことだ。
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青山近くに残る「琵琶池」。
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そして、「隠田神社」。境内の狛犬が可愛いのだ。
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また、渋谷川へ降りてキャットストリートよ呼ばれる暗渠部を遡り原宿駅方面へ。
渋谷川の支流である神宮内の南池からの川だった暗渠(ブラームスの小径と呼ぶらしい)を歩いて竹下通りだ。
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竹下通りだけは人出が半端なく、人に酔う感じだったな。
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この後、明治神宮へ参拝し、花菖蒲田や清正の井を巡るコースだったのだが、足裏パンパン・ジンジンで神宮内を歩く体力も限界と判断し、目の前に駅があるので独り離脱させて頂き、先に打ち上げ会場で待たせていただいた。
総歩数16000歩ほどなので、数年前までなら平気で歩き通せたんだろうけど、このところの体力の衰えを感して悲しい。今朝は左膝にも痛みが走っていたし、もう長時間歩くのは控えなきゃなんだろうな105.png105.png105.png

今回も、「川と池が多かったであろう」エリアの案内、ありがとうございました。




by Koppe3T | 2018-06-03 15:30 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

初 「のぞき」in鋸山

鋸山を登りたいとのことで、今日鋸南町の「鋸山」へ行ってきた。
鋸山は、その昔移動無線のメッカであった頃(25年も前だ)何度か訪れているのだが、無線一辺倒で「房州石の石切り場」も「地獄のぞき」も立ち入っていなかったんだよな。


ロープウェイは使わずに、自動車道で上まで。鋸南町方向の房総半島の穏やかな海がお迎えだ。
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さて、有名な「地獄のぞき」へは、日本寺の参拝料を納めての入場だ。
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早速、登り階段だ。
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まずは、房州石を切り出した跡の「アドベンチャー・ワールド」ぽいエリアを歩く。
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そこに開けるのは、「百尺観音」だ。昭和41年に完成したと云う。
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ここから上を見ると、かの「地獄のぞき」が望める。
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そして、筑波山の最後の登り坂みたいな急な階段を登ると「地獄のぞき」だ。
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ここからは、東京湾と三浦半島も望めるし、鹿野山も遠望出来るのだが、何と云っても「垂直に切り立つ房州石切り出し跡の岩壁が見ものだ。
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「地獄のぞき」に立つと、」足も竦む。
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初「のぞき」も終えたので、石像総長31mと云う大仏さまを拝観すべく、下山だ。かなりの急こう配で、大仏広場に到着した頃には膝が笑ってたな。
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車は、上の駐車場にパーキングなので、膝が笑っていても登らにゃ帰れない(笑)。ひぃひぃ云いながら、千五百羅漢道へも歩を進め羅漢さまをお参りだ。
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最後の登りがきつい105.png105.png105.png
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初鋸山の「地獄のぞき」、と「日本寺」の参拝は、甘くみちゃいけないこと、よ~~く体感でした。






by Koppe3T | 2018-05-12 19:35 | ウォーキング・散策 | Comments(0)