カテゴリ:ウォーキング・散策( 94 )

 

季節の風物詩が残る根岸と入谷の周辺散歩

先週は、外気温が35℃になるかもの予報の中、根岸と入谷周辺を歩いてきた。

根岸や入谷は、江戸の下町のイメージが強いけど、まずは長享元年(1487)創建の日蓮宗の寺院「善性寺」である。徳川6代将軍家宣の生母長昌院が葬られおり、将軍家ゆかりのお寺さんとのことだ。
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そして、根岸と云えば「どうもすいません~~~、三平です。」の有名な林家三平の地元なのだ。
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住宅街の一画にひっそりと「ねぎし三平堂」だ。外観は普通の住宅っぽいのだが、内部は三平師匠の博物館なのだ。
高座も設置されており、月に1回は落語会が開演されるとのことだ。
懐かしく昭和のお笑いを思い出させて貰った。


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高座で三平師匠がお出迎えだ。
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三平師匠の仕事机である。
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更に、根岸には有名な正岡子規の「子規庵」が残されているのだ。
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明治27年から亡くなる明治35年までの8年半をこの子規庵で闘病・文学の情報発信をした庵である。明治期の多くの俳人・歌人が集まり句会や歌会、文学談義が行われたところだ。昭和20年の戦災で焼失してしまったのだが、25年にほほ当時の姿に再建され、都の指定史跡になっている。
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「をと、ひの へちまの水も 取らざりき」
「糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな」
「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」
正岡子規絶筆三区である。
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庭には鶏頭やへちまが当時のままに植えられていて、座敷からの眺めが心を元気にしてくれる場所であった。
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ここ根岸は江戸時代からウグイスが多いことから「初音の里」と呼ばれていた。子規も「雀より 鶯多き 根岸かな」と詠んでいる。



さて、老舗豆腐店の「笹乃雪」である。寛永寺門主が「笹の葉に降り積む雪の如し」と絶賛したことが由来なのだ。プライベートで訪れたいものである。
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うぐいす通り(御行の松通り)へ入ると、寺町の風情が漂う。
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「根岸小学校発祥の地」のお寺さんだ。




初代の松は、根岸の大松と親しまれ、「江戸名所図絵」や歌川広重の錦絵に描かれた「御行の松」である。昭和51年に植えられた3
代目の松とのことだ。

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初代の大松も、しっかり保存されているんだよな。
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子規も「薄緑 お行の松は 霞けり」と詠んでいるのだ。



柳並木が情緒たっぷりな「柳通り」である。大正から昭和初期には根岸花街の中心地だったと云う。
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更に毎年11月の酉の日に行われる「酉の市」で有名な、「鷲神社」である。縁起物の熊手が有名なのだ。
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語呂合わせ「おそれ入谷の鬼子母神」で有名な真源寺(入谷鬼子母神)である。万治2年(1659)に日融上人が開いたお寺さんである。
七福神の福禄寿を祀っている。
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実は7月中旬なら梅雨明け前と判断してエントリーしていたのだが、まさかの6月末に「梅雨明け」しており想定外に暑い夏の日であった。そんなに長い距離ではなかったので完歩は出来たのだが、私には夏の日中散歩は控えた方がよさそうだ。今回も案内、ありがとうございました。




by Koppe3T | 2018-07-16 14:45 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

江戸の花名所から荒川土手・隅田川散策

先週の土曜日は、「江戸の花名所から荒川・隅田川」を歩く散策会に参加してきた。

雨も心配されるシーズンであるが、昼前には雨もあがり、涼し気で歩くには丁度良い気温だった。
出発は、堀切菖蒲園駅。
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街の通りには「菖蒲まつり」の垂れ幕だ。
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昔は川が流れていたに違いない曲がりくねった裏通りを歩く。この近くに「毛無池」があり、この池からの流れだったようだ。
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途中途中には、昔の橋の名が残されてもいるのだ。
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最初の目的地は、「いぼとり地蔵」で有名な「極楽寺」だ。宝徳元年(1449)の創立の古刹である。
山門の前の、真っ白い塩に埋もれた「いぼとり地蔵」だ。この塩をいぼにつけるとと綺麗に取れるとか?
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本堂である。本堂前では、にゃんこのお出迎えだった。
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次に、江戸の花名所で有名だった菖蒲園である。丁度、「菖蒲まつり」の期間中だ。
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まずは、株ごとに名前のついた菖蒲の鑑賞だ。
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江戸期にあったのは小高園・武蔵園などであったが、この堀切園は明治に入って開園した園とのことだ。戦争の時期には多くの園が水田化され閉園してしまったのだが、戦後復興したのが「堀切園」だったのだ。その後東京都が入手し、葛飾区移管されているのだ。
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しかし、この堀切菖蒲園は、この4月にリニューアル・オープンしたそうで、園内は実に綺麗に整備されている。
そのリニューアル工事の一環でこの絵にある築山も削り取れててしまったとのことだ。築山からの眺めは良かったんだろうな~~~
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次は、荒川へ。首都高速を潜って土手を登ると「綾瀬川」だ。
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更に、荒川土手からは遠くスカイツリーが望めるのだ。
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で、「堀切水辺公園」だ。こちらにも菖蒲が植えられており、菖蒲とスカイツリーの2ショットだ。
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広々とした堀切水辺公園を上流方向へ。タチアオイの花が満開だ。
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堀切橋を渡り、墨田区へ。堀切橋からも首都高速とスカイツリーだ。
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荒川の墨田区側を少し下ると、「隅田水門」だ。隅田川を荒川の水位調整のものだが、この日はゲートが開いており、隅田川から荒川へ流れていたな。
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280年ほど前に築かれた茅葺の山門が有名な真言宗智山派の隅田山多聞寺である。隅田川七福神の毘沙門天がご本尊のお寺さんなのだ。
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境内には、ここが隅田村だった頃に製作された六地蔵座像が残されている。正徳3年(1713)から享保元年(1716)の作だ。
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次に、隅田川へ。隅田川にかかる「水神大橋」だ。隅田川を渡れば、荒川区の汐入であり、江戸期から花見で有名なエリアだったようだ。
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リバーサイドの「汐入公園」縦断し、「千住汐入大橋」を渡ると、解散地点の京成町屋駅だ。千住汐入大橋から汐入公園を望む。
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歩行距離約5キロ程度とのことだったけど、平坦なエリアでもあり何とか完歩できて一安心でもあった。
今回も、案内ありがとうございました。




by Koppe3T | 2018-06-18 17:29 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

川と池ばっかりをめぐる散歩~~~

昨日は、「川と池ばっかりをめぐる散歩」に参加だった。

出発は山手線原宿駅だ。早速、唯一皇族専用ホームである「原宿側部乗降場」を見学だ。
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で、早速神宮の森の東池から流れ出ていた川が暗渠になった通りだ。
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東郷神社である。
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本殿手前に建立されている「海軍特年兵碑」である。13~14才で兵隊になる訓練を受けて出征していたんだよな。この散歩に参加者の一人のお父様がその第3期生だったという話には言葉もないな。
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東郷神社なので、かの東郷平八郎を祀っているのだ。戦神を祀っている神社なのではらうが、婚礼を上げる方々は実に多いようだ。
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江戸期は高崎藩や鳥取藩の敷地だったようだ。その神池である。この神池から流れ出た水は渋谷川へ流れていたんだよな。
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表参道に残る渋谷川にかかっていた「神宮橋」の名残だ。
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渋谷川は現在の渋谷駅までの上流域は暗渠になっている。上流へ向かう。暗渠で畝っていて昔は川だったことが想像できるのだ。
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上流域に「原宿橋」の跡が残る。
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河川があった低地から丘へ登ると、そこは旧「鎌倉街道」の原宿だ。宿場だったんだよね。
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再度、表参道に戻ると、「表参道ヒルズ」に繋がった「同潤館」が旧青山アパートの面影を残して再建されているのだ。内部には、こんな非常用はしごも。
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表参道の裏手にには、かの信州 善光寺別院だ。
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明治神宮への参道を造ったとき、鎧の池を埋め立てるため、この地にあった「浅野山」。土砂崩れが起きないよう石垣を築いたとのことだ。
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青山近くに残る「琵琶池」。
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そして、「隠田神社」。境内の狛犬が可愛いのだ。
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また、渋谷川へ降りてキャットストリートよ呼ばれる暗渠部を遡り原宿駅方面へ。
渋谷川の支流である神宮内の南池からの川だった暗渠(ブラームスの小径と呼ぶらしい)を歩いて竹下通りだ。
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竹下通りだけは人出が半端なく、人に酔う感じだったな。
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この後、明治神宮へ参拝し、花菖蒲田や清正の井を巡るコースだったのだが、足裏パンパン・ジンジンで神宮内を歩く体力も限界と判断し、目の前に駅があるので独り離脱させて頂き、先に打ち上げ会場で待たせていただいた。
総歩数16000歩ほどなので、数年前までなら平気で歩き通せたんだろうけど、このところの体力の衰えを感して悲しい。今朝は左膝にも痛みが走っていたし、もう長時間歩くのは控えなきゃなんだろうな105.png105.png105.png

今回も、「川と池が多かったであろう」エリアの案内、ありがとうございました。




by Koppe3T | 2018-06-03 15:30 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

初 「のぞき」in鋸山

鋸山を登りたいとのことで、今日鋸南町の「鋸山」へ行ってきた。
鋸山は、その昔移動無線のメッカであった頃(25年も前だ)何度か訪れているのだが、無線一辺倒で「房州石の石切り場」も「地獄のぞき」も立ち入っていなかったんだよな。


ロープウェイは使わずに、自動車道で上まで。鋸南町方向の房総半島の穏やかな海がお迎えだ。
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さて、有名な「地獄のぞき」へは、日本寺の参拝料を納めての入場だ。
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早速、登り階段だ。
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まずは、房州石を切り出した跡の「アドベンチャー・ワールド」ぽいエリアを歩く。
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そこに開けるのは、「百尺観音」だ。昭和41年に完成したと云う。
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ここから上を見ると、かの「地獄のぞき」が望める。
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そして、筑波山の最後の登り坂みたいな急な階段を登ると「地獄のぞき」だ。
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ここからは、東京湾と三浦半島も望めるし、鹿野山も遠望出来るのだが、何と云っても「垂直に切り立つ房州石切り出し跡の岩壁が見ものだ。
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「地獄のぞき」に立つと、」足も竦む。
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初「のぞき」も終えたので、石像総長31mと云う大仏さまを拝観すべく、下山だ。かなりの急こう配で、大仏広場に到着した頃には膝が笑ってたな。
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車は、上の駐車場にパーキングなので、膝が笑っていても登らにゃ帰れない(笑)。ひぃひぃ云いながら、千五百羅漢道へも歩を進め羅漢さまをお参りだ。
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最後の登りがきつい105.png105.png105.png
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初鋸山の「地獄のぞき」、と「日本寺」の参拝は、甘くみちゃいけないこと、よ~~く体感でした。






by Koppe3T | 2018-05-12 19:35 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

スーパービュー踊り子号で行く熱海温泉

この週末は、「スーパービュー踊り子号で行く熱海温泉」へ参加だった。毎度のカワセミ交通旅行社の2018年春の企画である。

集合は偉大都市東京の玄関、「東京駅の9番ホーム」だ。参加者全員でワイガヤ待つこと30分、11時発のスーパービュー踊り子5号が入線だ。
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しかも、今回は超ビップにも豪華ラウンジ付きのグリーン車なのだ。定刻に発車だ。
早々に1号車展望席からの眺めを堪能し、螺旋階段を下りて、ラウンジへ。
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指定席の客席は椅子も広いし3アブレストなので快適なのだが、自分の席には全く居らずに熱海駅到着直前までラウンジで美味しい弁当や差し入れの西京焼きなどをつまみにビールで盛り上がり~~~。
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熱海駅では、伊豆急行の列車「Resort21」ともご対面~~~~~。
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熱海駅は、その昔に新幹線で訪れた頃は木造の田舎の駅感が漂っていたのであるが、今は大きな近代的な駅ビルが眩しい。
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駅前からは、伊豆東海バスの湯遊バス(フリーきっぷ1日乗り放題)で移動だ。但し、週末はユウユウとは云わず立ち席ですし詰めの「ぎゅうぎゅう詰めバス」のようだ(まあ、車掌さんがアナウンスでぎゅうぎゅうバスと云うくらいだからね、笑)。
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今日のお宿に手荷物を預け、まずは「熱海と云えば:・・・の「寛一・お宮の松へ」」。この松は2代目のようだ。
で、松の側には尾崎紅葉の「金色夜叉」で有名な寛一足蹴のシーンである。
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それにしても天気は最高!!!。雲一つない青空だ。
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そして、ギュウギュウ詰め(笑)の湯悠バスで、大正昭和の浪漫あふれる名邸「起雲閣」へ。初代は大正8年に別荘として建てられ、昭和
22年には旅館として生まれ変わり、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治,尾崎紅葉などなど多くの文豪に愛された宿だったのだ。

薬医門である。
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麒麟の間から眺める庭園である。
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二階大鳳の間から見下ろす庭園。
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昭和7年建築の洋館「玉姫」
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暖炉とステンド硝子が何とも言えない玉渓の間である。
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孔雀の間のベンガラ色の壁が落ち着きがあっていいね。この部屋は第5期竜王戦が行われたことでも有名だ。
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昭和4年に建てられた洋館「金剛」に造られた「ローマ風浴室」がこれだ。昭和28年の映画で久我美子が入ったお風呂である。
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この風呂の床のタイルは、「木タイル」なんだよな。
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そして、庭園も素晴らしいのだ。
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更に、湯遊(ぎゅうぎゅう)バスで熱海駅経由で、かの源頼朝と正子の語らいの場として有名な「伊豆山神社」へ。
急な階段に登るのを一瞬躊躇だ(笑)。この階段が下の海岸線から続いていると云うんだよね(汗)。
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それにしても、先行の4名様の登りっぷりは見事だったな。私は、途中で一休み~~~。
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境内に到着すると、眼下に相模湾だ。絶景なのである。こんな絶景を眺めながら、頼朝と政子は語り合ったんだねぇ。
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本殿前にある、パワー・ストーンである。神様が降り立つ光り石とのことで、神の愛を受けることが出来るのだ。
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こちらは、頼朝と雅子の腰掛け石とのことだ。この石に腰かけて愛を語らえば成就間違いなしだ。
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おまけ:湯遊バスの車窓から見学の「熱海城」。昭和34年に建てられた五層九階の資料館なのだ。すぐ側には、秘宝館もあったねぇ。
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さて、今日のお宿はKKRホテル熱海なのだ。全室オーシャンビューなんだよな。
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本館入り口のウェルカム・ボードである。
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早速部屋から、伊豆半島伊東方面を望む。
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部屋から北方向には真鶴半島だ。
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早々に7階展望風呂並びに露天風呂で湯ったり、まったり~の後は、今日が新婚旅行であるという新郎新婦を中央に参加者全員で乾杯!!!!。
会場のボードは、「姉さん歩むの会」に早変わり~(笑)。
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美味しい料理と飲み放題で、楽しいひと時でした。


さて、翌朝。「日の出ですよ~」の声に、窓外を見ると東の海原が真っ赤に燃えている。5時5分が日の出だったようで、目覚ましセットしてくれた新郎に感謝である。
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実に綺麗な日の出だった。見惚れたね。朝日が上り切らないうちに、露天風呂へ急ぎ露天風呂からの朝日鑑賞も心洗われる時間だったな。



朝食までの朝の散歩は、熱海のビーチへ。前日の夕方から夜にかけては露天風呂の湯面も沸き立つほどの強風(15m/sはあっただろうな)だったけど、早朝は風も治まり穏やかなビーチになっており、近くのホテルの観光客も何組かお散歩だったな。
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朝食バイキングのあと、9時半にはホテルのバスで熱海駅へ。駅にて解散だ。
帰路は、行の豪華ラウンジ付きグリーン車から一転、ベンチ・シートの快速電車に揺られての1時間半。

今回もカワセミ交通旅行社の至れり尽くせりの豪華ツアー、企画添乗ありがとうございました。また、参加の皆様、楽しい温泉旅行にご一緒出来て楽しかったです。次回もあれば(?)どうぞよろしくお願い致します。







by Koppe3T | 2018-04-23 17:29 | ウォーキング・散策 | Comments(4)  

そうかそうかの草加宿と草加松原ねえ散歩~

ひな祭りの日の土曜日は、絶好のお日和の中、日光街道の江戸から第二の宿として栄えた草加宿を歩いてきた。

出発は東武スカイツリー・ラインの「草加駅」からだ。早速、駅前で煎餅の語源にもなったと伝えられる「おせんさん」の像にご挨拶だ。このおせんさんが、茶店で余った団子を焼いて売ったのが名物となり、今や草加と云えば「草加せんべい」とまで知名度が上がったんだよな。
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草加は谷古宇郷と呼ばれた1200年代から記録が出てくるのだが、江戸期になり、新田開発や日光街道の宿場になったころから綾瀬川の水運と相まって発展してきたようだ。

天正年間(1572~1590)、大宮氷川神社から勧請され、明治になり草加神社となり、草加の総鎮守になっている草加神社である。
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境内の梅も満開で、香りが立ち込めていたな。
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境内には、今の鳥取県米子管区や島根浜田管区で昭和47年まで活躍した蒸気機関車C56が保存されているのだ。会の鉄道の第一人者からの流れるような素晴らしい説明にメンバー一同、大納得だ。「炭水車の上方両側を切り取り後部の見通しを良くしている・・・」のくだりは、完璧な説明で大納得でもあった。
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さて、日光街道である。
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今は、草加市役所になっているが、ここが江戸期の豪商「浅古家」の敷地だったエリアで、街道沿いに浅古地蔵堂」があり、子育て地蔵を祀っている。
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こちらは浅古家の蔵で、明治末のものとのことだ。
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宿の中ほどにある「八幡神社」である。ここの獅子頭は高さが84cmもあるもので、舞には使わず山車に鎮座され町内練り歩きにお目見えだったとか。
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この神社の参道には、実に気になる掲示が???「終」???何だろう?また、お面の中には防犯カメラだ。
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宿の中央あたりに残る出桁作りが美しい昭和初期の商家「藤城家」である。国の登録有形文化財である。
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旧草加小学校校舎である「歴史民俗資料館」である。大正15年の築で平成20年に国の登録有形文化財に指定されている。
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内部には、草加宿のジオラマや綾瀬川から出土したと云う縄文期の丸木舟や土器など草加のありとあらゆる歴史的な器具や文献が展示だ。
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大川図書家伝来の板碑(弘安6年(1283))の弥陀一尊板碑も。小田原北条家の浪人で、その後草加の新田開発や農業奨励に尽力した大川図書が小田原城落城のおり、背負って持ち出したと云う板碑なのだ。
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季節柄、お雛様や吊るし雛が見事だ。
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東福寺である。大川図書が1606年に創建した真言宗のお寺さんである。本堂・山門・鐘楼などが江戸期の建造物と云う。
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本堂の透かし彫りが見事でした。
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さて、草加と云えば「草加せんべい」。志免屋さんで草加せんべい焼きに挑戦だ。
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3秒ごとにひっくり返し、焼けてきたら鏝で押しながら更に焼いて、醤油を縫って出来上がり~~~。
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焼き上がりを早速頂きました。香ばしく実に美味でした。。やはり、手塩にかけたもんは言葉になりません。


草加宿の北の外れに鎮座する「神名宮」である。1615年からの宮である。
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ここには、明治9年に設置された「高低測量几(き)号」が彫られているのだ。現代の水準点なのだ。
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1628年に伝右衛門が開削した川の伝右(でう)川だ。昔の御大尽は、個人の資産を費やしてこんな川まで開削してしまうあたりが素晴らしい。
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綾瀬川の袂には、「奥の細道」で芭蕉に随行した芭蕉の門人である曽良像がお見送りだ。
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伝右川と綾瀬川の間に造られた煉瓦造りのアーチ型水門である。写真のは明治27年に再築されたもので、昭和58年まで使われていたんだよな。
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札場河岸公園である。綾瀬川の水運を河岸再現したもので、近くには芭蕉の像も奥州への旅に思いを馳せているようだ。


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園内には、望楼も再現されているのだ。螺旋階段を登るとこんな景色だ。綾瀬川を行き交う舟は勿論のこと、遠くまで望めたな。
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さて、「草加松原」である。旧日光街道沿いに植えられた松並木であり、本格的に松並木となったのは1792年のことだと云う。

昭和になり排ガスの影響でかなり寂しくなっていたのだが、車道を付け替えるなどして今の素晴らしい松並木を回復して今に至っているとのことだ。
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松の幹には菰も巻いてあり、害虫対策も万全だね。


この矢立橋からの松並木の眺めがベスト・ビューなのだ。
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月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」芭蕉。
人生も旅人であるな。


今回も実に興味深いコースを、ありがとうございました。
ご一緒に歩いたり煎餅やいたり楽しい打ち上げも含め参加の皆さまにありがとうである。





by Koppe3T | 2018-03-05 13:53 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

東京駅と八重洲・京橋辺りの姉さん歩である

土曜日は、東京駅の生い立ちやヤン・ヨーステン氏から始まる八重洲の姉さん歩に参加だった。

集合は、東京駅5・6番線ホームの先頭付近だ。大正3年開業の東京駅であるが、このホームには、当時のホームの支柱が2本残されているのだ。この柱には建設が開始された名残でもある「明治41年」の銘板が残っているんだよな。
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で、こちらは山手線の起点を示す「ゼロキロポスト」だ。大きな0の中に「KM]も文字も見えるんだよな。
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更に、こちらは中央線の0キロポストだ。
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東京駅は、大正3年開業であるが、赤レンガ・御影石が美しい駅舎なのだが、国の重要文化財であり、復元工事が行われていたんだよな。構内には当時の赤レンガや戦災で焼けてしまった木レンガがあったであろう壁がマジかで見れるようになっているのも嬉しい。

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黒くレンガが抜けているように見えるのが「木レンガ」だった跡だ。
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東京駅では過去2回現職総理大臣が暴徒に襲われ亡くなっている。
こちらは、昭和5年4番ホームにいた浜口雄幸首相が右翼の若者に拳銃で撃たれた地点だ。浜口首相は、その傷がもとで翌年亡くなっている。
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こちらは、東京駅丸の内南口のドームである。
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ドームの北側から東京駅ステーション・ホテルへ入り、エレベーターに上へ。ドームが上から鑑賞出来るんだよな。
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さて、国の重要文化財となり、平成
年に保存復元工事が完了した駅舎の外観である。
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また、皇居へまっすぐ繋がる駅前の皇居和田倉門へと繋がる御幸通りも工事が終わり、すっきりだ。
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駅前広場の片隅には、工事中どちらかへ避難していた鉄道の父と呼ばれた「井上勝」の銅像だ。
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丸の内のビルの一角に展示されているオランダ船「リーフデ号像」である。
オランダから出航し、5隻のうち1隻のみが1600年に豊後の国に辿り着いた帆船である。生存者わずかに24名だったが、家康は彼らを助けイギリス人のウィリアム・アダムスとオランダ人ヤン・ヨーステンは家康の顧問として仕えたのだ。
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歴史の小説などには三浦按針として登場するの、三浦郡に知行を受けたウィリアム・アダムである。

ヤン・ヨーステンは、通訳・外交顧問として今の丸ビル一帯に屋敷を構えていた。和田倉門から馬場先堀一帯は、八代洲河岸と云われていたとのことだ。で、明治後「八重洲」の町名になったのだ。





千葉定吉道場跡である。かの土佐藩士坂本龍馬が江戸留学で入門した道場でもあり、2度目の就業時は塾頭も務めた道場である。
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昨年秋、世界遺産の「富岡製糸工場」を見学したのであるが、操業停止後17年間も保存に努めたのが「片倉製糸紡株式会社」だった。今は東京スクエアガーデンとなっているが、その「片倉製糸紡株式会社」本社ビル「片倉館」があった場所である。正面玄関のメダリオンの残しているし、皇居へと続く昔ながらの通りもビルの中央を繰りぬいて通しているんだよな。
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江戸箒老舗「白木屋傳兵衛」である。1830創業の老舗なのだ。5センチほどのサッシ溝ようの箒を買い求め~~~~~。
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2016年に再開発が完了した京橋江戸ぐらんの「明治屋京橋ビル」である。
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江戸グランの中には京橋生れで横浜のブリキ博物館館長でもある北原照久氏のコレクションが展示だ。
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ヤン・ヨーステン記念碑と平和の鐘。八重洲の地下街にもヨーステンの記念像や家康との深い交流が掲示されているのだ。
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ビルの街角に目立つ「キリン像」だ。津村順天堂本社なのだ。
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重要文化財である「日本橋高島屋」である。昭和8年設計の部分とその後の増改築の調和が見事なのだ。
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江戸幕府の「北町奉行所」跡である。かの時代劇で有名な「遠山左衛門尉」で有名だ。傍には江戸城外堀の石垣が残されているのが嬉しい。
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一石橋である。橋の北に金座・後藤(五斗)、南に呉服町の後藤(五斗)。二つ合わせて一石(五斗+五斗=一石)って、江戸っ子の洒落は半端ないね(笑)
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江戸一番の繁華街だったこともあり、迷子尋ね人が多く「まいごしらせ石標」が建っていたんだよな。
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最後に、ホテル・メトロポリタンの27Fからの神田駅方面を望む男子トイレからの眺めである。夕闇せまる東京Viewは見飽きないね。
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東京タワーより低く着陸態勢に入っているボーイング787-8のジオラマにも感激だ。
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新春第一弾の散歩は東京駅と八重洲!!!。特に「ヤン・ヨーステン」。オランダからはるばる極東まで400年以上も前に荒波超えてよくぞおいでくださいました。
今回も奥深い東京駅周辺の案内、ありがとうございました。

by Koppe3T | 2018-01-15 19:50 | ウォーキング・散策 | Comments(4)  

シロガネーゼが闊歩する白金散歩である。

昨日は、シロガネーゼが闊歩する白金(シロカネ)を散歩してきた。白金台周辺は、確かに洗練されたお店が多く、
歩いている主婦や女性は皆シロガネーゼに見えてしまったな(笑)。天気は冬晴れで風もなく、絶好のアウトドア日和だ。
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最初の訪問地は、「聖心女子学院」である。明治41年建築で都の選定歴史的建造物である正門が素晴らしい。
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セイコーの創業者服部金太郎邸として昭和8年建立と云う、三光起業白金寮である。樹木も多く広大な敷地である。中は垣間見ることも出来ない
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それにしても坂の勾配が半端ないエリアなのだ。この急勾配の下りはどうですか~~~!。
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明治25年設立の「北里大学」である。北里柴三郎の伝染病に関する業績は皆さん知ってのとおりである。
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さて、白金の昔の建物が多く残っているエリアである。
有名な「きえんきえら」大正7年築を改装したものだ。「洋食ハチロー」などは逸品な風情だ。
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早々に小腹がすいて、「おはぎ」を買い食いだ(笑)。餡が実に美味しかったのだ。
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さて、今は暗渠になっているのであるが、「三田用水」だった曲がりくねった路地を歩く。
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明治坂である。勾配が半端ないのだ。
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興禅寺である。お寺さんの掲示に「子供は親の言うようにはならぬ 親のしているようになる」だ。子供には親の背中を見せろと云われていた時代は遠くなったけど、真理であるな。
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蜀江坂である。坂上の丘の紅葉が美しかったようだ。右に見える赤レンガの塀は「聖心女学院」の塀なのだ。
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東京大学の医科学研究所である。明治25年 北里柴三郎が設立した伝染病研究所が前進である。昭和12年築の1号館は煉瓦造りの外壁を含め重厚である。
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車寄せの天井にはステンドグラスが美しい。
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国立科学博物館付属である「自然教育園」である。室町期に豪族が館を築き「白金長者」と呼ばれたころから始まり、江戸期は高松藩の下屋敷、明治期は陸海軍の火薬庫、大正時代は御用地、昭和8年には朝香宮邸だったとのことだ。
下刈りだどはあまりせず、自然な武蔵野の雑木林を育んでいるとが特徴ということだ。春にも訪れたい場所でもあるな。
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続いて、「東京都庭園美術館」である。1933年(昭和8年)朝香宮邸として建てられたア-ルデコ洋式の本館が見事なのだ。
吉田首相公邸と使用された後、白金迎賓館として国賓公賓の迎賓館として使用された場所である。
回遊式日本庭園もこじんまりとして美しい。
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アメリカ人宣教師J.C.ヘボン氏が文久3年(1863年)に開学したヘボン塾が始まりである明治学院大学である。今でも「ヘボン式ローマ字」は使っているよね。
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明治学院はキリスト教に基づく人格教育を目指す学校である、こちらが有名なチャペルである。明治36年の建築である。真上から見ると十字架の形になっているのだ。
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国重要文化財でもある、「インブリー館」である。宣教師館の一つでインブリー博士の住居だった。
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明治学院記念館。明治23年の建築である。記念館の前に輪には、アンネの日記で有名なアンネ・フランクを偲んで造られた新種のバラ「アンネのバラ」が見事だった。
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16:30、このタイミングで芝生広場の樅の木のイルミネーションが点灯だ。
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カメラのバッテリーがエンプティになり、携帯での撮影だ(汗)。
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途中、三田用水の水路跡を見学しながら、打ち上げ会場の恵比寿ガーデンプレイスへ。
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クリスマス。イルミネーションが施されていて、実に多くの来場者の中、地下1階の会場へ。飲み放題の楽しい打ち上げだったな。新命名のポールさん、大変お疲れ様でした。
案内頂いた姉さん、今回もありがとうございました。
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by Koppe3T | 2017-12-17 17:16 | ウォーキング・散策 | Comments(8)  

「トロッコ列車」と「チバニアン」

昨日、養老渓谷の帰路県道沿いで見つけた「チバニアンP」の案内板。
かの千葉時代を意味する「チバニアン」であろうと、車を走らせる。


その前に、トイレに寄りたくしばし走るもコンビニも全くないエリアでもあり、ふと思いだしたのが、小湊鉄道月崎駅だ。月崎駅でトイレを借りていたら、遠くから列車の汽笛が聞こえたんだよな。無人の駅へ行ってみると、サンタの着ぐるみの方々が列車を待っている?
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駅周辺のボランティアさんのようだ。


ほぅ~~~、トロッコ列車が入線だ。小湊鉄道が運航しているんだよな。
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乗客に飴やみかんを配って、おもてなし~~~。
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約1分ほどの停車で、出発進行!!!!
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さて、「チバニアンP」の案内板に従って車を進めると昔の研修施設(旧月崎荘)のようで、ここからシャトル・バスでチバニアンも最寄りまで送迎してくれるようだ。
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バスは、1時間に2本。乗客は10人ほどだ。バスに揺られること5~6分。到着だ。
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で、チバニアンの案内板に従って養老川方面へ。
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最初に、逆転地層についての説明板だ。チバニアンへの道のパンフも頂き、農道を歩く。
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約5分ほどで、急な坂道を下ると川面が見えてきた。
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養老川である。このず~~~~と上流が粟又の滝だ。
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地質が実に柔らかいので、養老川が削った川岸が崖になっていて、その壁面の上部が7万年前に長野県の御嶽山が噴火した時の火山灰のお堆積層で、地磁気が逆転した時代と云うことだ。この崖の試料を採取して、分析して発見されたとのことである。
地球はいわゆる一つの磁石になっており、S極からN極に磁力線が走っているこては学んでいたけど、S極とN極は何百万年毎に変異していたとのことだ。
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ここまで、露顕しているのは、ここ千葉県とイタリア南部にしかなく、来年の国際地質科学連合で認定されれば、ジュラ紀とか白亜紀などと同じように約12万年前から77万年前の時代は「チバニアン(千葉時代)」と呼称されるとのことだ。
CHIBAが世界に名を轟かすようになると素晴らしいことだね。




by Koppe3T | 2017-12-03 16:18 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

ラスト紅葉in養老渓谷

ラスト紅葉は養老渓谷だべ!!っとばかりに、房総半島の養老渓谷へ。
目指すは、「粟又の滝」だ。

駐車場の紅葉である。
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さて、養老川への急な遊歩道を下る。下り坂の紅葉である。
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川べりへ降りると、ど~~~~んと粟又の滝だ。朝の9時なんだけど、大きなカメラ抱えた方やリュックを背負ったハイカーが多い。
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滝の対岸から紅葉を手前に1枚。
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養老川の川沿いの遊歩道を下流方向へしばし散策。切り立った断崖に紅葉が見事だ。
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「千代の滝」である。水量は多くないけど、滝に打たれての修行には丁度良い感じ(笑)。
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さて、粟又の滝のサイドは登る道があったので登ってみた。滝を横から見たり、上から見たり~~~。
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ラスト紅葉を堪能して、ランチ~~~。先月、TVに出ていた山の中のピザ屋さんへ。実に分かりにくい場所にあり、Navi使ったのに迷ったり~~105.png
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お庭の黄色い紅葉である。
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「ゴルゴンゾーラ104.png」とこの店の人気NO.1とかの「ビアンカハーブ」111.png
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帰路、国道沿いに「チバニアンP」の看板を見つけ、最近話題の地磁気逆転の地層が見れると探索へ。少々道に迷ったりしたので、「チバニアン」は後日のアップとしましょう。


by Koppe3T | 2017-12-02 17:21 | ウォーキング・散策 | Comments(0)