カテゴリ:ウォーキング・散策( 88 )

 

東京駅と八重洲・京橋辺りの姉さん歩である

土曜日は、東京駅の生い立ちやヤン・ヨーステン氏から始まる八重洲の姉さん歩に参加だった。

集合は、東京駅5・6番線ホームの先頭付近だ。大正3年開業の東京駅であるが、このホームには、当時のホームの支柱が2本残されているのだ。この柱には建設が開始された名残でもある「明治41年」の銘板が残っているんだよな。
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で、こちらは山手線の起点を示す「ゼロキロポスト」だ。大きな0の中に「KM]も文字も見えるんだよな。
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更に、こちらは中央線の0キロポストだ。
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東京駅は、大正3年開業であるが、赤レンガ・御影石が美しい駅舎なのだが、国の重要文化財であり、復元工事が行われていたんだよな。構内には当時の赤レンガや戦災で焼けてしまった木レンガがあったであろう壁がマジかで見れるようになっているのも嬉しい。

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黒くレンガが抜けているように見えるのが「木レンガ」だった跡だ。
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東京駅では過去2回現職総理大臣が暴徒に襲われ亡くなっている。
こちらは、昭和5年4番ホームにいた浜口雄幸首相が右翼の若者に拳銃で撃たれた地点だ。浜口首相は、その傷がもとで翌年亡くなっている。
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こちらは、東京駅丸の内南口のドームである。
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ドームの北側から東京駅ステーション・ホテルへ入り、エレベーターに上へ。ドームが上から鑑賞出来るんだよな。
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さて、国の重要文化財となり、平成
年に保存復元工事が完了した駅舎の外観である。
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また、皇居へまっすぐ繋がる駅前の皇居和田倉門へと繋がる御幸通りも工事が終わり、すっきりだ。
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駅前広場の片隅には、工事中どちらかへ避難していた鉄道の父と呼ばれた「井上勝」の銅像だ。
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丸の内のビルの一角に展示されているオランダ船「リーフデ号像」である。
オランダから出航し、5隻のうち1隻のみが1600年に豊後の国に辿り着いた帆船である。生存者わずかに24名だったが、家康は彼らを助けイギリス人のウィリアム・アダムスとオランダ人ヤン・ヨーステンは家康の顧問として仕えたのだ。
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歴史の小説などには三浦按針として登場するの、三浦郡に知行を受けたウィリアム・アダムである。

ヤン・ヨーステンは、通訳・外交顧問として今の丸ビル一帯に屋敷を構えていた。和田倉門から馬場先堀一帯は、八代洲河岸と云われていたとのことだ。で、明治後「八重洲」の町名になったのだ。





千葉定吉道場跡である。かの土佐藩士坂本龍馬が江戸留学で入門した道場でもあり、2度目の就業時は塾頭も務めた道場である。
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昨年秋、世界遺産の「富岡製糸工場」を見学したのであるが、操業停止後17年間も保存に努めたのが「片倉製糸紡株式会社」だった。今は東京スクエアガーデンとなっているが、その「片倉製糸紡株式会社」本社ビル「片倉館」があった場所である。正面玄関のメダリオンの残しているし、皇居へと続く昔ながらの通りもビルの中央を繰りぬいて通しているんだよな。
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江戸箒老舗「白木屋傳兵衛」である。1830創業の老舗なのだ。5センチほどのサッシ溝ようの箒を買い求め~~~~~。
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2016年に再開発が完了した京橋江戸ぐらんの「明治屋京橋ビル」である。
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江戸グランの中には京橋生れで横浜のブリキ博物館館長でもある北原照久氏のコレクションが展示だ。
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ヤン・ヨーステン記念碑と平和の鐘。八重洲の地下街にもヨーステンの記念像や家康との深い交流が掲示されているのだ。
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ビルの街角に目立つ「キリン像」だ。津村順天堂本社なのだ。
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重要文化財である「日本橋高島屋」である。昭和8年設計の部分とその後の増改築の調和が見事なのだ。
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江戸幕府の「北町奉行所」跡である。かの時代劇で有名な「遠山左衛門尉」で有名だ。傍には江戸城外堀の石垣が残されているのが嬉しい。
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一石橋である。橋の北に金座・後藤(五斗)、南に呉服町の後藤(五斗)。二つ合わせて一石(五斗+五斗=一石)って、江戸っ子の洒落は半端ないね(笑)
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江戸一番の繁華街だったこともあり、迷子尋ね人が多く「まいごしらせ石標」が建っていたんだよな。
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最後に、ホテル・メトロポリタンの27Fからの神田駅方面を望む男子トイレからの眺めである。夕闇せまる東京Viewは見飽きないね。
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東京タワーより低く着陸態勢に入っているボーイング787-8のジオラマにも感激だ。
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新春第一弾の散歩は東京駅と八重洲!!!。特に「ヤン・ヨーステン」。オランダからはるばる極東まで400年以上も前に荒波超えてよくぞおいでくださいました。
今回も奥深い東京駅周辺の案内、ありがとうございました。

by Koppe3T | 2018-01-15 19:50 | ウォーキング・散策 | Comments(4)  

シロガネーゼが闊歩する白金散歩である。

昨日は、シロガネーゼが闊歩する白金(シロカネ)を散歩してきた。白金台周辺は、確かに洗練されたお店が多く、
歩いている主婦や女性は皆シロガネーゼに見えてしまったな(笑)。天気は冬晴れで風もなく、絶好のアウトドア日和だ。
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最初の訪問地は、「聖心女子学院」である。明治41年建築で都の選定歴史的建造物である正門が素晴らしい。
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セイコーの創業者服部金太郎邸として昭和8年建立と云う、三光起業白金寮である。樹木も多く広大な敷地である。中は垣間見ることも出来ない
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それにしても坂の勾配が半端ないエリアなのだ。この急勾配の下りはどうですか~~~!。
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明治25年設立の「北里大学」である。北里柴三郎の伝染病に関する業績は皆さん知ってのとおりである。
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さて、白金の昔の建物が多く残っているエリアである。
有名な「きえんきえら」大正7年築を改装したものだ。「洋食ハチロー」などは逸品な風情だ。
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早々に小腹がすいて、「おはぎ」を買い食いだ(笑)。餡が実に美味しかったのだ。
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さて、今は暗渠になっているのであるが、「三田用水」だった曲がりくねった路地を歩く。
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明治坂である。勾配が半端ないのだ。
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興禅寺である。お寺さんの掲示に「子供は親の言うようにはならぬ 親のしているようになる」だ。子供には親の背中を見せろと云われていた時代は遠くなったけど、真理であるな。
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蜀江坂である。坂上の丘の紅葉が美しかったようだ。右に見える赤レンガの塀は「聖心女学院」の塀なのだ。
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東京大学の医科学研究所である。明治25年 北里柴三郎が設立した伝染病研究所が前進である。昭和12年築の1号館は煉瓦造りの外壁を含め重厚である。
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車寄せの天井にはステンドグラスが美しい。
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国立科学博物館付属である「自然教育園」である。室町期に豪族が館を築き「白金長者」と呼ばれたころから始まり、江戸期は高松藩の下屋敷、明治期は陸海軍の火薬庫、大正時代は御用地、昭和8年には朝香宮邸だったとのことだ。
下刈りだどはあまりせず、自然な武蔵野の雑木林を育んでいるとが特徴ということだ。春にも訪れたい場所でもあるな。
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続いて、「東京都庭園美術館」である。1933年(昭和8年)朝香宮邸として建てられたア-ルデコ洋式の本館が見事なのだ。
吉田首相公邸と使用された後、白金迎賓館として国賓公賓の迎賓館として使用された場所である。
回遊式日本庭園もこじんまりとして美しい。
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アメリカ人宣教師J.C.ヘボン氏が文久3年(1863年)に開学したヘボン塾が始まりである明治学院大学である。今でも「ヘボン式ローマ字」は使っているよね。
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明治学院はキリスト教に基づく人格教育を目指す学校である、こちらが有名なチャペルである。明治36年の建築である。真上から見ると十字架の形になっているのだ。
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国重要文化財でもある、「インブリー館」である。宣教師館の一つでインブリー博士の住居だった。
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明治学院記念館。明治23年の建築である。記念館の前に輪には、アンネの日記で有名なアンネ・フランクを偲んで造られた新種のバラ「アンネのバラ」が見事だった。
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16:30、このタイミングで芝生広場の樅の木のイルミネーションが点灯だ。
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カメラのバッテリーがエンプティになり、携帯での撮影だ(汗)。
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途中、三田用水の水路跡を見学しながら、打ち上げ会場の恵比寿ガーデンプレイスへ。
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クリスマス。イルミネーションが施されていて、実に多くの来場者の中、地下1階の会場へ。飲み放題の楽しい打ち上げだったな。新命名のポールさん、大変お疲れ様でした。
案内頂いた姉さん、今回もありがとうございました。
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by Koppe3T | 2017-12-17 17:16 | ウォーキング・散策 | Comments(8)  

「トロッコ列車」と「チバニアン」

昨日、養老渓谷の帰路県道沿いで見つけた「チバニアンP」の案内板。
かの千葉時代を意味する「チバニアン」であろうと、車を走らせる。


その前に、トイレに寄りたくしばし走るもコンビニも全くないエリアでもあり、ふと思いだしたのが、小湊鉄道月崎駅だ。月崎駅でトイレを借りていたら、遠くから列車の汽笛が聞こえたんだよな。無人の駅へ行ってみると、サンタの着ぐるみの方々が列車を待っている?
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駅周辺のボランティアさんのようだ。


ほぅ~~~、トロッコ列車が入線だ。小湊鉄道が運航しているんだよな。
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乗客に飴やみかんを配って、おもてなし~~~。
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約1分ほどの停車で、出発進行!!!!
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さて、「チバニアンP」の案内板に従って車を進めると昔の研修施設(旧月崎荘)のようで、ここからシャトル・バスでチバニアンも最寄りまで送迎してくれるようだ。
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バスは、1時間に2本。乗客は10人ほどだ。バスに揺られること5~6分。到着だ。
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で、チバニアンの案内板に従って養老川方面へ。
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最初に、逆転地層についての説明板だ。チバニアンへの道のパンフも頂き、農道を歩く。
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約5分ほどで、急な坂道を下ると川面が見えてきた。
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養老川である。このず~~~~と上流が粟又の滝だ。
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地質が実に柔らかいので、養老川が削った川岸が崖になっていて、その壁面の上部が7万年前に長野県の御嶽山が噴火した時の火山灰のお堆積層で、地磁気が逆転した時代と云うことだ。この崖の試料を採取して、分析して発見されたとのことである。
地球はいわゆる一つの磁石になっており、S極からN極に磁力線が走っているこては学んでいたけど、S極とN極は何百万年毎に変異していたとのことだ。
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ここまで、露顕しているのは、ここ千葉県とイタリア南部にしかなく、来年の国際地質科学連合で認定されれば、ジュラ紀とか白亜紀などと同じように約12万年前から77万年前の時代は「チバニアン(千葉時代)」と呼称されるとのことだ。
CHIBAが世界に名を轟かすようになると素晴らしいことだね。




by Koppe3T | 2017-12-03 16:18 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

ラスト紅葉in養老渓谷

ラスト紅葉は養老渓谷だべ!!っとばかりに、房総半島の養老渓谷へ。
目指すは、「粟又の滝」だ。

駐車場の紅葉である。
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さて、養老川への急な遊歩道を下る。下り坂の紅葉である。
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川べりへ降りると、ど~~~~んと粟又の滝だ。朝の9時なんだけど、大きなカメラ抱えた方やリュックを背負ったハイカーが多い。
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滝の対岸から紅葉を手前に1枚。
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養老川の川沿いの遊歩道を下流方向へしばし散策。切り立った断崖に紅葉が見事だ。
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「千代の滝」である。水量は多くないけど、滝に打たれての修行には丁度良い感じ(笑)。
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さて、粟又の滝のサイドは登る道があったので登ってみた。滝を横から見たり、上から見たり~~~。
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ラスト紅葉を堪能して、ランチ~~~。先月、TVに出ていた山の中のピザ屋さんへ。実に分かりにくい場所にあり、Navi使ったのに迷ったり~~105.png
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お庭の黄色い紅葉である。
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「ゴルゴンゾーラ104.png」とこの店の人気NO.1とかの「ビアンカハーブ」111.png
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帰路、国道沿いに「チバニアンP」の看板を見つけ、最近話題の地磁気逆転の地層が見れると探索へ。少々道に迷ったりしたので、「チバニアン」は後日のアップとしましょう。


by Koppe3T | 2017-12-02 17:21 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

横からみるか?上から見るか?水上の紅葉ツアー

この週末は台風22号接近の予報の中、北関東「水上温泉へ」。
「高級国産車で行く秋の北関東」ドライブ・ツアーに参加だった。

集合は、関越道「高坂SA]だ。国産高級車3台に分乗し、まずは「道の駅田園プラザかわば」へ。
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今日の昼食は、田園プラザかわば内の「そば処虚空蔵」だ。
満席で席への案内を待つ間に、案内係の男性の楽しいトークに、アトラクション待ちの雰囲気になってきてテンションもアップだ。
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また、彼曰く「そばつゆに山葵と葱は入れないで、蕎麦にからめた後に蕎麦つゆに付けて食べると蕎麦の風味がアップします。」とのことだったので、早速トライ!!。

注文は、天ぷら付きの十割そば~~~。十割らしくない白っぽい蕎麦でしたけど、いいねぇ~~!、山葵は蕎麦に絡める食べ方は、実にいい風味でした。
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続いて目指すは水上の「諏訪峡」だ。道の駅スタート後、10分ほど走ったらまたまた「道の駅田園プラザかわだ」に到着(笑)。3台でつるんで走る楽しさの一つである(笑)。

さて、諏訪峡では旅行社の交通社社長がボランティアのガイドさんをお願いしていてくれたので、地元の話題やクマ除けの鐘の話しやら地元の話題も楽しい。
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諏訪峡は、利根川の上流の水上町の景勝地でもあり、ラフティングでも有名な急流が美しい峡谷である。その利根川の川沿いの遊歩道をガイドさん付きで散策だ。
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笹笛童子公園に佇む笹笛童子像である。笹笛!!!、少年時代を思い出していたな。
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笹笛橋より下流の諏訪大橋を望む。この諏訪大橋では、バンジージャンプを楽しむことが出来るとのことだが、バンジーなどは無理無理!!
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橋の袂には、与謝野晶子の歌碑が建っていたりと、旅情豊かな所なのだ。
与謝野晶子の碑には「岩の群 おごれど阻む力なし 矢を射つつ行く若き利根川」と彫られていたな。若き利根川の水の力を素晴らしく伝えてくれていました。


この付近の紅葉はまだ時期が早いとのガイドさんの弁で、諏訪峡散策は半分で切り上げ上流の藤原ダムへ向かうことに。いいですねえ~~~。藤原ダム付近は紅葉も見頃で、感激だ。曇り空の夕暮れで鮮やかに写ってないのが残念である。
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夕暮れも近づき霧雨も降り始め、早めにお宿へ。宿でが、早速源泉かけ流し露天風呂でご満悦。目の前には晶子が詠んだ「若き利根川」を眼下に見下ろせるベスト・ロケーションなのだ。その夜の豪華夕食と、部屋での歓談が時が過ぎるのを忘れさせてくれていたな(料理や銘酒のPhotoを撮り忘れが残念!)。

さて、夜半から降り出した雨は翌朝も大粒の雨だ。朝食前に朝湯も頂き、美味しいい朝食も頂き、予定通りの時刻にチェックアウト。雨なので、残念ながら谷川岳ロープウエイでの天神平は断念し、日本一のモグラ駅で有名な上越線「土合駅」へ。
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上越線の上りホームは、このように地上にあるのだが、下りは駅舎から70.7m下の地下にあるんだよね。
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早速コンコースへ向かいます。このコンコースが現役(現役なんだけど、一日5便しか停車しない)なのだが、どこか廃墟の風情なのだ。どこか地下探検に赴く感じ~~~。
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コンコースは、途中利根川を渡るんだけど、雨に濡れた窓ガラス超しに見る眺めが実に素晴らしいのだ。
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さて、下りホームへ降りる階段に辿り着いた(写真がボケでます)。スタート部には、下のホームから462段の表示だ。さあ、意を決して下ります。
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途中途中には、お休み処のベンチまで用意されているのだ。
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さて、最下段から上方向の階段を望むと。
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う~~~~む、異次元の世界へタイムスリップしたみたいだし、タイムトンネルのようにも見えます。
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上越線「土合駅」下りホームである。また、昭和の色が残る待合室。
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駅舎がある地上までの上り462段は、そりあぁもう大変。数回ベンチのお世話になりました。ふぅ~~~~106.png


さて、利根川の支流である湯檜曽川の絶景地で駐車し、雨の中撮影会。
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        湯檜曽公園に佇む高級国産車も記録に残します(笑)。雨に濡れた水上の紅葉、横から見る水上の紅葉を堪能できたね。



雨と云うことで、予定を協議し世界遺産の「旧富岡製糸場」へDrive a Go Go~~~~  
高速走行も、3台でつるんで走るとまたまた楽しいことが何度か発生し、各車内は大盛り上がりだったかな?(笑)
実は初日には、私が先導車の白いデミオ車を目標に走っていたら、実は全く違うプリウスだったり(笑)。


さて、ご存知明治政府が富国強兵の足掛かりに明治5年に操業を開始し、昭和62年まで操業していた富岡製糸場である。平成26年にユネスコ世界遺産に載せられたのは記憶に新しい。
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まずは、煉瓦作り壁が美しい東置繭所内での展示パネル類で歴史を閲覧してから、順路従って見学だ。
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まずは、「繰糸所」である。明治5年築の建物内は、繭から生糸を取る作業が行われていた場所である。内部には昭和41年に設置されたと云う「自動繰糸機」が残されているのだ。
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操糸所から出ると、首長館や寄宿舎へ繋がる渡り廊下だ。昭和30年代に私が通った小学校の渡り廊下と手洗い場にそっくりなのに感激。
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こちらは、ここ富岡製糸場を立ち上げるに当たり、明治政府がフランスから招いたポール・ブリュナ氏の邸宅である。首長館と呼んでいたらしい。
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で、女工さん達の寄宿舎であった大正7年築の榛名寮。大広間に畳敷きなのだ。ここに何人の女工さんが寝たんだろうねぇ?
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更に、浅間寮・妙義寮である。こちらは、昭和15年の築である。これまた私の小学校時代の校舎とそっくりなんだよな。
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明治6年竣工の女工館である。これは日本人女工さんに
糸取りの技術を教えるために来日したフランス人女教師達の住居だったとのことだ。榛名寮の畳敷きの建物とは段違いだ。
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蒸気釜所があった近くに復元された単気筒蒸気機関である「ブリュナ・エンジン」を見学だ。
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更に、首長館を見学した後にみると、う~~んな社宅群も残されているのだ。
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社宅群の向かいには、桑畑だ。昔は山間部には多くの桑畑を見かけたものである。
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最後に、東置繭所の展示から1枚。
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そうそう、場内のスタンプ・ラリーに挑戦し、見事(笑)4ポイント・ゲットで、方言缶バッチ頂やした。「いぐんべ(Let's Go)」だ。



お昼にお蕎麦を頂き、一路高坂SAへ。車へ給油後、一堂に会し清算し、1泊2日の「横から見るか上から見るか水上の紅葉ツアー」も解散だ。
その後は、夕刻迫る驟雨の中ひたすら圏央道を東へ走り帰宅だ。

今回も、実に楽しいカワセミ交通旅行社の素晴らしい企画に参加出来て、非日常を過ごせた2日間だった。土日とも雨の予報ながらも、土曜日は傘の世話にもならずに済んだし~~~~~。

参加の皆様、ご一緒の水上温泉ツアー、楽しい週末をありがとうございました。

お土産は、お宿で夜の8時までに注文すると、翌朝作りたてのまんじゅうを届けてくれるという みなかみ名物「湯乃花饅頭」だ。
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by Koppe3T | 2017-10-31 13:24 | ウォーキング・散策 | Comments(8)  

新宿から中野への伝説道をたどる

土曜日は、「新宿から中野への伝説と古道をたどる散歩」に参加だった。

スタートは、西新宿五丁目駅から。
早速、神田川の支流で暗渠になっている和泉川暗渠だ。川らしくカーブが続くのが嬉しい。
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映画「タンポポ」でも登場する豚の遊具も残っているんだよな。
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暗渠になっても、昔ながらの橋の欄干は残っているんだよね。これは、昭和7年に架けられた「柳橋」。
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神田川への合流地点である。和泉川からの水の流出はないかったけれど、しっかり大きな口が覗けたな。
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神田川に架かる「長者橋」である。紀州出身の鈴木九郎が流浪の末住み着き、荒野を開拓し巨万の富を得、「中野長者」と呼ばれたとのことだ。遠くに新宿副都心の超高層ビル群が望めちゃうのだ。
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神田川から中野坂上方向へ少々上ると、「成願寺」だ。中野長者と呼ばれた鈴木九郎1400年頃屋敷跡に建てた曹洞宗の寺院である。



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中野長者鈴木九郎氏の墓所である。
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境内には、鈴木九郎の生い立ちを紙芝居的に描いた長大な絵巻があるのだ。読みごたえがあるよ~~~。
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寺院の門には石柱残され、「左十二社」・「向淀ばし」が読み取れる。現在の杉並区の妙法寺へ行く道の起点だったとのことだ。
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中野坂上から青梅街道を都心方向へ下って行くと、大きな「石森ビル」だ。神田川の水力を使い、青梅街道を使って集まった物資を加工し粉・醤油・味噌などの産業が盛んだったようだ。この石森製粉も幕末から大正にかけて製粉業を営んでいたのだ。ビルの前には、人の身長ほどの石臼が残されている。



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神田川に架かる「淀橋」である。江戸名所図会にも、人馬や水車が賑やかだ。但し、その昔は、中野長者が金を埋めるために雇った人夫がこの橋を渡って行ったのだが、長者に殺され帰って来なかったので「姿見ずの橋」とか「暇乞いの橋」と呼ばれていたとか。
後に、その話を聞いた将軍家光が山城国の淀川に似てるからと「淀橋」と改めたと云う。
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蜀江坂である。この辺りは高台で、蜀江山よ呼ばれていたとのことだ。
平将門が蜀江錦の袖を落とした説と将軍家光が鷹刈りの折、紅葉の美さを錦と称賛したとの説がある。それにしてもここからの新宿副都心の眺めも現在の錦であるな。
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鎧神社である。西暦900年の頃行基作の薬師如来を本尊として創建された圓照寺の鬼門に創建された古刹である。歴史上に有名な日本武尊が甲冑を隠した・平将門が藤原氏郷に打たれたのち土地の者が将門の鎧を埋めた・将門を討った藤原氏郷将門の兜を埋めたとの3説があるのだ。
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境内の天神社には実に珍しい「狛犬型庚申塔」が残されていた。狛犬の前右足が継足なところも古刹を感じさせてくれた。
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丁度、地元の祭りで柏睦会の子供神輿だ。
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真言宗豊山派の寺院、圓照寺である。中野で病に倒れた藤原氏郷がこの薬師如来に祈願したところ、たちどころに治癒し将門を倒すことが出来たとのことだ。また、この辺りの地名だった「柏木」の由来になった柏木右衛門の屋敷跡でもあった。
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今は暗渠となり神田川に注く桃園川だった緑道である。ここも、うねうねカーブが川のなごりを想像させてくれるな。
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中野村総鎮守の中野氷川神社である。1030年源頼信が大宮氷川神社から歓請した。
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宝仙寺三重塔跡地である。1636年、中野村の富農飯塚惣衛門夫妻が施主となり創建したとのことだ。庶民が建てたって!!!、凄いことだ。昭和の戦争で焼け、平成4年に宝仙寺の境内に再建されている。江戸名所図会に当時の面影を見ることが出来る。
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真言宗豊山派の寺院「宝仙寺」である。平安後期、源義家の奥州征伐の帰路に祀ったのが始まり。
境内には、実に珍しい石臼塚が残っているのだ。製粉が盛んだった中野村ならではの塚である。
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再建された中野三重塔である。
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なお、昨日27時間TVを見ていたら、この宝仙寺が出てきて、江戸期吉宗の治世の頃、今のベトナムから送られた象が長崎から江戸まで陸路運ばれ、吉宗に献上されたのだが、餌代が嵩みこの中野村の百姓に払い下げられたとのことだ。百姓は、象小屋を作り見世物にしたり、象が死んだ後も象牙や骨を見世物して大儲け。その象牙や骨が今も寺院に残されているとのことだ。


浅田醤油醸造所の遺構でフランス組レンガ塀である。戦前は、ここのそばつゆが東京のそばつゆを独占していたとのことだ。
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明徳稲荷神社である。ここの狐の彫り物がある手水鉢は慶応3年の作である。
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慈眼寺。1544年創建。境内のパコダ(仏舎利塔)がタイ風である。タイの寺院から寄贈された仏舎利一粒が納められているのだ。
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江戸期、堀之内妙法寺に参拝する道筋だったことから繁盛した鍋屋横丁である。交差点に鍋屋と云う茶店が草餅を販売して実に繁盛したとのことだ。
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「十貫坂」。神田川方面へ下る100mほどの坂で、十貫文の入った壺が出た説と中野長者がここから見渡せる限りを十貫文で買ったと云う説がある。
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神田川に架かる相生橋から妙法寺へ向かう古道「本郷道」には多くの道標があるが、こちらは「指差地蔵」である。お地蔵さまの台座に妙法寺方面を指で差した彫りがあるんだよね。
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本郷氷川神社。14469年大田道灌が大宮氷川神社より勧請。
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若の花が開いて、かの若乃花・貴乃花などを輩出した二子山
部屋である。今は若貴も引退し移転ししている。表札だけは残っていたな。
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で、こちらが今回の最終地姉さんならぬ「anea Cafe」だ。こちらでの打ち上げだったのだが、出てくるもの全てが美味しい美味しい。飲み放題のアルコールも随分と進んだようだ(笑)。

武蔵野の中央から地名になった「中野」!!奥深いねぇ~~。今回も微細な案内ありがとうございました。足裏にかなりきたけれど、最後まで歩き応せて良かったな。

誤字脱字がありましたら、ご勘弁ください。




by Koppe3T | 2017-09-11 18:17 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

こじゃれた街の江戸の名残である

先日、多くの大名の屋敷があった信濃町から神宮周辺のウォーキングに参加してきた。
江戸期、現在の信濃町には永井信濃守の屋敷があったとのことで、「信濃町」として町名が残っているのだ。


まずは、「南総里見八犬伝」で有名な滝沢馬琴終焉の地である。この地で八犬伝を書き上げこの地で終焉を迎えたとのことだ。
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南総の富山には、伏姫と八房が籠ったと云う「伏姫籠穴」も残っているし、馬琴の小説がまことしやかに現代に伝えれれているのが楽しい。



さて、ご存じ神宮外苑「聖徳記念絵画館」である。
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明治天皇・皇太后の聖徳を後世に伝える為に造営され、大正15年に竣工した神宮外苑の中心である。


外苑には、珍樹「なんじゃもんじゃの木(和名:ひとつばたご)」や将軍家光が鷹狩の途中休憩していたところ、江戸城から飛び去っていた遊女と云う名の愛鷹が飛んできてこの松に止まったたので将軍も大喜びで「遊女の松」と名付けたとのことだ。
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で、外苑の西隣には、大型重機が立ち並んで「仮称:新国立競技場」の建設に慌ただしい。
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内部はまだまだ基礎部分までであるが、平成31年11月までが工事期間と記載されていたな。


こちらは、かの日本海海戦でバルチック艦隊を破った東郷元帥を祀った「東郷神社」である。本殿にはZ旗が掲げられていて、「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」の戦闘態勢が目に浮かぶな。

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旧海軍と云うことで、「潜水艦勇士に捧ぐの碑」や、「海軍特年兵之碑」が建立されているのであるが、「潜水艦勇士に捧ぐの碑」は9月末まで工事中とのことで、お参り出来ずだ(下のは掲示写真である)。
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特年兵って、14~15才の今の中学生程度で軍艦に乗り込んでいたんだよね。
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東郷神社の側には、竹下通りだ。特年兵の年頃の少女がうんさかだ。ここまで人出が多いと、田舎者は尻込みです(爆)。竹下通りは早々に横切って進む。
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表参道を渡り、渋谷川へ。ここは暗渠になっているけれども、渋谷川に架かる「参道橋」の欄干である。
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キャットストリートと呼ばれている渋谷川の暗渠上を歩く。この辺りは江戸期は穏田村(おんでんむら)で、渋谷川に水車を懸けて精米や製粉が行われていた場所だ。
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暗渠の渋谷川からこんな路地を通り少し上ると、穏田神社だ。
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今や住所表示も神宮前と変わり穏田の地名は残されていないが(1965消滅)、穏田村の産土神であった「穏田神社」がひっそりと残されているのが嬉しい。
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最後は、かの明治神宮だ。ここは、江戸初期は肥後 加藤家の下屋敷で、後の彦根 井伊家の下屋敷だったところで、明治になり宮内省管轄となり代々木御苑と呼ばれた所だ。参道は長く左右は鬱蒼たる森だ。代々木の地名にもなった代々樅も多い。
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参道途中にある「明治神宮御苑」へ。
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隔雲亭とその南に位置する南池である。隔雲亭は、明治天皇が皇后の為に建てたものであるが、戦火で焼失し昭和33年に再建されたものだ。
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明治天皇が全国から収集したという菖蒲が植わっている菖蒲田。
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明治天皇が「うつせみの代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ」と詠まれた杜であるな。

下屋敷を構えた加藤清正が掘ったと伝わる「清正井」である。今も実に綺麗な湧き水がコンコンと湧いているのだ。下流の菖蒲田と南池の水源とのことである。
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明治神宮本殿へ。但し、銅板屋根葺き替えと社殿郡の修復工事中で本殿側までは立ち入れなかったのだ。
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北参道も神域らしい風情だ。
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2度目の明治神宮であったが、神宮御苑は初体験。森閑とした風情は、確かに都のほかのここちこそすれであった。



by Koppe3T | 2017-08-21 16:37 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

旧中山道「板橋宿」

先日「旧中山道板橋宿を歩く会」に参加してきた。


集合は、JR埼京線板橋駅。板橋駅は、実に昭和の風情が色濃く残る駅で、嬉しい駅舎だ。ただ、クレーン車や重機が取り囲んでおり、近々新しい駅に改装されそうだった。
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駅前のロータリーの向かいにあるのが、新選組局長「近藤勇墓所」だ。
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慶応4年流山で捕えられ、板橋塾に置かれていた新政府の本陣で取り調べを受け、政府軍に在籍していた元新選組隊士に見破られ、板橋刑場で処刑されたのだ。
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近藤勇と土方歳三の両名の名が刻まれた墓標なのだ。明治9年、新選組生き残りの永倉新八によって建立されたとのことで、傍には、永倉新八の墓も。
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さて、旧中山道を板橋宿へ向かう。
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首都高速を潜ると、板橋宿の「平尾宿」が見えてくる。板橋宿は、江戸方面から「平尾宿」・「仲宿」・「上宿」に分かれているのだ。
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平尾宿入り口手前を、少し入った「東光寺」である。ここには、江戸幕府により八丈島流罪となった「宇喜多秀家の墓」がある。明治になって赦免され東京に戻った子孫が建立したものだ。墓には「秀家卿」の三文字だ。
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板橋宿に入り、数分歩くと室町時代の暦応元年(1338)創建の「観明寺」だ。
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境内には、明治になり近くの加賀藩下屋敷から移築したと云う赤門だ。東大の赤門の小ぶり版に見えたな。
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そして、更に加賀藩下屋敷に祀られていて、明治になりここへ遷座されたと云う稲荷神社も残されているのだ。
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また、こちらは、江戸初期漢文元年(1661)造立の庚申塚で、都内最古とのことだ。
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街道を進むと、豪奢な唐波風の玄関を持つ銭湯「花の湯」だ。残念ながら、この3月30日付けで廃業の張り紙であった。
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そして、花の湯の脇道を10数メートル入ると、「板橋宿平尾脇本陣跡碑」だ。碑のみではあるが、江戸期ここに脇本陣があったと碑で残してくれているのは、有難いことだ。江戸期、この脇本陣は豊田家が当主であり、慶応4年流山で捕えられた近藤勇は、この豊田家脇本陣に幽閉されていたと云う。
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板橋宿の仲宿へ入る前に、「いたばし観光センター」で休憩タイム~~~。江戸期の街道の様子がよくわかる資料も展示だ。
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板橋の地名にもなった「板の橋」の白黒写真も残されていたな。
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さて、仲宿へ進む。
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江戸期は立馬馬・囲馬などのつなぎ場として賑わっていたと云う「遍照寺跡」である。明治になり廃寺となってしまい。境内は実に悲しい。
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しばし進むと、スーパーライフが右手に見えてくる。このスーパーが板橋仲宿の本陣があった場所で、脇のブロック塀に隠れるように「板橋宿本陣跡」の碑のみだ。
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本陣跡の向かいには、宿場らしい和菓子屋さん「新月堂」。板橋にちなむ「いたばし最中」や 加賀下屋敷にちなんだ和菓子が楽しい。麩まんじゅうで一息~~~。
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本陣跡のスーパーライフの裏手に向かうと、本陣飯田家の菩提寺でもある「文殊院」だ。飯田家代々の墓や宿場の「遊女の墓」が残されている。3本の墓石に何人もの遊女の名が刻まれているんだよな。
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こちらは、仲宿脇本陣跡である。板橋仲宿の名主を務めた飯田家の屋敷跡だ。将軍家茂に降嫁する和宮が宿泊した脇本陣でもある。
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さて、板橋の地名の由来にもなった石神井川にかかる板橋である。往時は板の橋
だったのだが、今は木目調の欄干がついている。江戸から二里二十五町三十三間(10.642m)
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川岸は桜並木で、春には見事な桜を愛でることが出来るに違いない。
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板橋を渡ると「板橋上宿」だ。ここには、今でも信仰されている「悪縁は切ってくれるが良縁は結んでくれる」で有名な「縁切榎」だ。川柳「板橋へ三行半の礼詣り」でも有名だ。
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今でも、このように榎の樹皮を切り取って持ち帰る人が後を絶たないらしい。
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これにて、板橋宿終了~~~~。今回も、案内ありがとうございました。








by Koppe3T | 2017-07-19 09:45 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

上総中山周辺

先日、小雨の中上総中山周辺の散策会に参加してきた。

出発は、ここから~~~~
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早々に現れるのは、黒門と称される総門である。市指定有形文化財である。
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この参道脇には多くの古風な商店が並んでいるのだが、こちらの門は、市の施設で「トイレ休憩などご自由にお使いください。」とのことだ。実にお洒落である。
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で、赤門(仁王門とも)と称される山門である。実に壮大で、見惚れる。
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この山門を透かして望む石畳通りが何とも癒し系だった。
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石畳の両側には、多くの寺院が並んでいる。
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なれど、とあるの寺院の入り口には、「山内不幸」の立て札だ。この寺院の住職がお亡くなりになったことの公示とのことだ。
一般人には何か不吉に聞こえるが、説明を聞いて納得である。ご冥福をお祈りします。
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さて、国指定重要文化財の五重塔である。朱色が美しいのだが、元和5年(1622)の建立とのことだ。
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大祖師堂である。檜皮葺きのお寺さんは余り見かけないから新鮮である。国の重要文化財指定である。日蓮宗大本山正中山法華経寺は、鎌倉時代の日蓮聖人最初に教えを説き開いた寺院なのだ。
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この角度からの五重塔が美しい。
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大祖師道の更に奥に本院があり江戸三大鬼子母神の一つとされた鬼子母神が祭ってある。
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更に回廊を潜って高台へ進むと、聖教殿だ。高名な立正安国論を始め日蓮聖人の御真筆、歓心本尊妙などの重要文化財を盗難・火災・虫害などから守るべく昭和6年に建設されたこのことだ。
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さらに竜王橋を渡った「竜王池」には、この時期らしい蓮池だ。蓮は天国のイメージだね。
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いちかわのHill方面の昔ながらの小路を進む。
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そこには、市川をこよなく愛してアトリエにしていた東山魁夷記念館だ。魁夷曰く「戦後の代表作は、すべて市川の水で描かれています。」との通り、昭和20年から平成11年逝去するまでここに住んで画に勤しんだのだ。
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この八角形の棟は、魁夷の留学致ドイツに想を得ていると云う。
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小さいながらも白樺が植えられた「KAIIの森」も、いい風情だ。

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残照」や「」が一般的であるが、私はこの「晴れゆく峰」(1998年)が気に入ったな。絵葉書を買い求めた。
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また、有名な「残照」は、私が良く無線で出かける君津市鹿野山の九十九谷の眺めがモチーフなのだ。これは、数年前出掛けた時の九十九谷の1枚である。確かに九十九谷展望台には、魁夷のことを紹介したパネルが立っていたな。
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打ち上げでは、珍品?「流氷ドラフト」なるブルーの網走ビールを頂きました.
実にフルーティな味で、おじさんには物足りない(笑)。
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by Koppe3T | 2017-07-04 19:19 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

かつしか柴又散歩~

梅雨の晴れ間~~~の昨日は、葛飾・柴又の散歩に参加だった。
午前中は「水元公園」のコースから始まっていたのであるが、午前中は所要があり後半の部の柴又からの参加であった。


スタートは、最近「さくら像」が設置された、京成柴又駅から。
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寅さん像である。目線の先には、・・・・・。
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さくら像が、兄さんを心配そうにお出迎えだ。
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参道は、多くの観光客で大賑わいだ。
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早速、高木屋老舗で「草団子」~~~。
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映画「寅さん」で撮影に使われた「とらや」は、こちらだ
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柴又帝釈天の二天門が見えてきた。
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境内に入ると、帝釈堂と有名な瑞龍の松だ。この松は、天に昇る龍の姿なのだ。
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帝釈堂木彫りをじっくり見学だ。昭和4年に完成したという
木彫りで法華経を演説されているのだ。
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我が干支も凛々しい。
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回廊を渡って、大庭園へ。
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癒される庭園である。じっくり座り込んで見学させて頂いた。
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帝釈天を出ると、目の前にちびっ子寅さんだ。粋だねぇ~~。
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次の訪問先「山本亭」である。大正末から昭和初期の書院造と洋風建築を複合した貴重な文化財である。
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赤毛氈をひいた廊下から望む主庭が素晴らしいのだ。三間ぶちぬきの和室からしばしの時間癒させてもらった。
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庭には、防空壕跡も残されていたな。
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こちらは、かの有名な映画「男はつらいよ」の寅さん記念館である。館内は、昭和一色である。
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「馬鹿言っちゃいけねえよ。」の寅さんの声が聞こえてきそうなセットである。
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社長の印刷屋であるな。
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この伝言板使ったことあるかも(笑)
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昭和の列車はこんな網棚と垂直の背もたれ椅子が普通でしたね。
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中でも、明治32年から大正2年まで、金町~柴又間を走っていたという「人車」に大驚嘆だ。10人も乗れると云うのだが、一人で押せたんだろうねぇ(汗)。
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時間がゆっくり流れていた「寅さん記念館」であった。
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で、こちらは「山田洋次ミュージアム」。
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やはり、この「幸せの黄色いハンカチ」がいいね。エンディングで
涙したな。
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「つれて逃げてよ~~~♪。ついておいでよ~~♪」で有名な「矢切の渡しだ。
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対岸は?の問いに、「市川市でしょう。」と答えてしまったけど、対岸は松戸市が正解ですね105.png



今回は、後半の散歩だけに参加だったけど、私には距離的にも丁度良かったな。
ありがとうございました。













by Koppe3T | 2017-06-11 17:45 | ウォーキング・散策 | Comments(6)