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カテゴリ:ウォーキング・散策( 86 )

 

紅葉まつり中の成田山公園

今朝は4℃台まで冷え込んだようだ。日中も13℃台とかなり涼しい。

予定のない休日でもあり、紅葉まつり開催中の成田山公園へ散策へ。平日の午前中でもあり、新勝寺への参道も成田山公園内も人影はまばらだ。

さて、こちらは5年前の震災で一部被害が出て補修工事中であった国の重要文化財のひとつでもある「額堂」だ。文久元年(1961)の築である。屋根瓦など綺麗に修復されていたな。
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平和の大塔周辺はまだ紅葉も五割ほどだ。
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文殊・竜樹・竜智の3池の周辺は、真っ赤な紅葉や黄色の紅葉が池の水の映っていい風情である。
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この竜智池に建つ浮御堂では、日曜日には二胡の演奏なども催されるのだが、平日ということで閑散としていたな。
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午後はこの期間のロングラン・コンテストに参戦し、144MHz帯での家からの無線だ。そして、毎度の如く杏子のお邪魔虫~~~(蛍光灯の上で暖ととる杏子である。
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ちなみに、例年の大塔付近の紅葉はこの程度まで鮮やかになるそうだ。今月末から
来月上旬が見ごろなのだろう。
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by Koppe3T | 2016-11-16 14:13 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

大田区湧水散歩~~~

先々週の土曜日は、残暑厳しい日であったけれど、大田区湧水散歩に参加だった。

出発は、多摩川駅。まずは、駅傍の「田園調布せせらぎ公園」だ。大正14年開業の「多摩川園」と云うジェットコースターやメリーゴーランドなどがあった遊園地の跡地でもある。急峻な崖地にあり、湧水や滝が子供たちの憩いの場になっている。子供たちザリガニ釣り興じる姿もあったりだった。
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このモミジの奥に落ちる一筋の滝がなんともいいな。
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崖地の下には田圃もあり、時期的に稲穂が垂れ下がっているし、害鳥から稲を守ろうと案山子が可愛い。
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崖を登り中原街道を横切ると多摩川にかかる「丸子橋」だ。この中原街道、良く耳にするのであるが、旧相模国平塚の中原まで通じていたから「中原街道」。今回初めて知りました。
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この丸子は江戸期「丸子の渡し」で有名なところでもあるが、この丸子橋より200mほど下流にあったと云う。
また、初代丸子橋の親柱(昭和9年の銘版も残っている)が残されているのだ。
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丸子橋の袂には「六郷用水」の一部が再現されて残されている。六郷用水は家康の命で慶長2年(1597)より14年をかけて開削された用水路である。
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用水路の岸には亀さんたちが甲羅干し~~~~。
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文禄3年(1594)創建と云う「真言宗智山派東光院」の実に珍しいステンドグラスは嵌め込まれた清め場である。羽ばたく鳳凰が鮮やかだ。
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鎌倉時代に創建された「蜜蔵院」である。江戸期になって廃れた庚申塔ではるが、寛文元年(1661)と云う江戸初期の庚申塔が残されているのだ。
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天文4年(1535)創建と伝わる「御嶽神社」である。かの木曽の御嶽山信仰にまつわる神社であり、境内には「霊神の杜」や「杜の霊神水」が残されている。
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本殿前に鎮座するのは狛犬ならぬ狛狼と云うのが、いかにも木曽の御嶽山風である。
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この境内では、虻に刺されて腫れてしまった参加者もいて、深山深い森を体感でもあったな。


ここから、東急目蒲線「御岳山駅(おんたけさんえき)」から「洗足池駅」まで、楽しい電車移動だ。
都内に「御嶽山」と名がついた駅が有るというのも初めてで、実に新鮮だったな。
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地名は千束なのだが、駅名は「洗足」おんは同じでも漢字は違う?。不思議だな~~?と思いきや、しっかり説明があり、平安期は千束の稲が租税から免除されていて千人の僧を招いて供養を行う費用に充てられていたのだが、かの日蓮上人様が身延山から池上氏の館へ向かう途中、この池(洗足池)で足を洗ったと云うことから「洗足池」となったとのことだ。で、千束だったり洗足だったりのようだ。
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この洗足池は、実に風光明媚な風情であり、江戸期の広重江戸名所百景にもこんな感じで描かれているんだよね。
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この広重の絵の中央に描かれているのが、「袈裟掛けの松」だ。前述の日蓮上人がこの松に袈裟を掛けたと云う由緒ある松である。この松は何代目になるんだろうか?松を守る為に「御松庵」まで建てて守ってきたのが重みがあるね。
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この洗足池周辺には多くの歴史的なものが残っているのも嬉しい。
こちらは、「御松庵妙福寺」である。袈裟掛けの松を守る御松庵と妙福治が併合されたお寺さんである。寺門から続く竹林が風情満点であるのだ。
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そしてこちらは、晩年勝海舟の別邸であった洗足軒の跡地である。
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また、かの江戸無血開城を果たし歴史に名を遺した勝海舟のお墓も池のほとり近くに建っている。勝は妾多くその子らも育て苦労した民子夫人の遺言に反して孫が勝の隣に改葬されて並んでいるのである。
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こちらは、勝海舟が西南の役に斃れた西郷隆盛の死を悼んで建立した南洲公留魂詞である。
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池を見下ろす丘に建つ「千束八幡神社」である。貞観2年(860年)のこの地の総鎮守としで宇佐八幡から勧進された神社である。
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境内には源頼朝が阿波国から鎌倉に向かう時にこの地に宿営したところであり、この傍には名馬池月が現れたと云う池月も鎮座だった。

洗足池にかかる池月橋である。優雅な橋であるな。
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当日は集合の多摩川駅に着く前からお腹の具合が良くなくて最後まで歩けるか不安最高潮(笑)。集合までに時間があったので、エアコンの効かないせせらぎ公園でお腹を落ち着かせてからの参加と相成った。一時は途中リタイアも脳裏をかすめたけれど最後まで完歩出来て良かったな。

今回も、見どころ満載・興味深々なコースの案内をしてくれた姉さんに感謝である。総勢17名での打ち上げは半端ない盛り上がりで、実に楽しい打ち上げだった。
あの料理数。量であの料金はなかなか有り得ないね。

ご一緒頂いた皆様にもありがとうである。

by Koppe3T | 2016-09-20 15:05 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

八王子湧水めぐり~~~~

昨日は、八王子湧水めぐりの会に参加してきた。

最初のポイントは、子安丘陵から湧き出す「泉の森」と呼ばれた「六本杉公園」である。

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東京の名湧水57選にも選ばれている八王子八十八景の一つでもある。

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野猿街道を渡った近くに残る「滝不動尊」である。昔から篠笹が生い茂り泉が豊富で滝もあったりして修行の場でもあったとのことだ。

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滝不動の裏には、今もわずかながら湧き水が出ていて小川も流れている。

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散歩の途中に見つけた「ちゃぶ台酒場」だ。いいねぇ~~~!!昭和だぜぃ!!。

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八王子の老舗「松姫和菓子店」で、松姫もなかを買い食いだ。松姫とは、武田信玄公の娘で武田家滅亡のおり八王子へ逃避行した話が有名である。

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で、こちらは都が奈良にあった頃の天平宝字3年(759)創建の子安神社。天皇の皇后の安産祈願に建てられ、今も安産子育ての神として祀られている。白い鳥居が珍しい。

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境内にある「湧き出づる湧水と産みの安らかに」の石碑である。昔から湧水が湧き出ていたことが伺える。

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小宮公園へとつながる「切り通しトンネル」。その先には、小宮公園が鬱蒼とした木々を貯え木陰を作って待っていてくれた。

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園内の「大谷弁天池」である。江戸期、多摩郡大谷村の人々を飢饉から守ってくれた池でもある。

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園内は大谷町日月神社の所有地とのことであるが、その広大な森と木道も整備されている小路やウッド・チップを敷き詰めた遊歩道は素晴らしい。信州あたりの深山を歩いている気にさせてくれたな。野鳥の鳴き声も活き活きと聞えてもいたし。

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森を一歩出ると赤いポピーが見事なお花畑である。眼下に八王子の市街・更に遠くには丹沢山塊が雄大に遠望出来るのだ。

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その高台には、かの有名な演歌歌手の豪邸と事務所が。「祭りだ、祭りだ!!!」いやいや「与作~~~、与作」だな(笑)。この高台付近でツボ数は見落としたが、)1500万円ほどで宅地を売り出していた。私の無線室用に(笑)はたまたBBQ用に一区画ほしいものだ(笑)
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中央高速南側のエリアは今でも湧水が流れており、野菜などの洗い物に便利そうだ。実に綺麗な水が水草の上を流れていたな。

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中野山王の「子安神社」である。こちらも「明神様の泉」として親しまれている泉である。豊富な湧水がコンコンと湧き出ているのだ。

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浅川の支流「川口川」の癒しの風景である。
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昔は工場であったのだろう、大きな木造の建物が。腰板が剥がれた中にはしっかり刻んだ藁も入っている土壁が見えた。実に懐かしい土壁である。この土壁をモッコなる運搬用具に乗せて運ぶバイトをしたことを思いださせてくれたな。

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かつては多摩地区最大の花街、黒塀の街としてにぎわった八王子中町・南町の一角である。

粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだ筈だよ お富さん・・♩」の風情である。

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これにて、八王子湧水めぐり散策は終了だ。打ち上げの中華屋さん、食べ放題飲み放題、ごちになりました。

今回はチーム八王子の方々が企画・運営をしてくれ、人口59万人を誇る八王子市の規模の大きさと、各地に残る豊富な湧水の一部を堪能させてもらった。心から感謝である。


by Koppe3T | 2016-05-15 18:43 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

練馬高野台~中村橋・練馬 奥深い練馬のお花見散歩~~

土曜日は、練馬高野台から中村橋周辺のウォーキングに参加してきた。

外気温1214℃、花寒の陽気ではあるが、行く先々の桜は満開で、今年の桜を心底堪能しながらの散歩であった。

まずは、昔から「東高野山」親しまれてきた真言宗豊山派のお寺さんで「長命寺」である。
こちらは、「南大門」。

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長命寺は、北条早雲のひ孫である増島重明氏が慶長18年(1613)に開基した古刹である。

何度か火災に合っているのだが、こちらは17世紀後半の「仁王門」。

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更に、江戸期初めの鐘楼と1650年の銘である梵鐘だ。

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境内の奥の院へ向かう橋で「御廟橋」である。

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境内には、実に多くの庚申塔や板碑が整然と祀ってあるのだ。

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この井戸の水に顔が映れば長生きすると伝わる「姿見ノ井戸」である。自分の姿は映ったけど、「顔が写る」とは、皺まで見えたか否か不安ではある(笑)。

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石神井川の桜である。満開なのだ。井戸を掘ったところ、石剣が出てきたので、ご神体として祀り村の名を石神井としたと云う説があるのだそうだ。それにしても、石神井川の両岸の桜は半端なく豪華だったな。

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明治期まで石神井川を使って木材を流ししていた木材商問屋があった元締山緑地である。
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またこの辺りには積田牧場と云う牧場があり、昭和53年頃まで続いていたという。今はまっすぐな川になっているが、
この緑地の下のカーブしている道路が、昔の石神井川なのだ。
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南田中稲荷天祖神社である。1615年創建の田中稲荷と天祖神社が1880年に合併したという。
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垢離取り不動尊(こりとりふどうそん)である。神仏祈願に出かける前に、海水や冷水で心身を清めることを垢離(こり)と云うそうだ。水垢離とか水行とも云われる。
江戸期、大山信仰が盛んになると、ここで不動に水をかけ、水垢離をしてから大山街道を通ってい大山へ向かったと云う。
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都内唯一味噌を作っている味噌蔵である。昭和の初めに上野から移転して現在に至っている。
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御嶽神社。江戸末期、に創建された神社で「火渡り神事」は区の無形民俗文化財になっている。
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八幡神社。村の鎮守である。本殿は1773年(享保年間)再建である。水盤には、1830年(天保元年)の銘が残されている。また、卍の彫も残っており、神仏習合の時代を忍ばせてくれている。
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こちらは、明治13年製作の狛犬である。
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中村小学校である。校庭が天然の芝なんだよね~~。
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歩いていると畑が。ブロッコリーのようだ。
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正面に南蔵院の鐘楼門が見えてきた。南蔵院は、真言宗豊山派の寺院である。
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院内へ入ってすぐの桜が、これまた大きく高く満開であった。
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本尊は薬師如来で33年に一度に御開帳とのことだ。境内には300年前の長屋門、魚藍観音、江戸期の鐘楼門、首つぎ地蔵、閻魔堂などが見どころである。
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明治期の学校は一人5銭の授業料が払える家の子しか通えなかった時代。学校が、この地に移転する際住民が湿地帯を開墾し水田とし、その収益を学校に寄付すとことにより多くの子が学校に通えるようになった。その水田が「学田公園」として残されているのだ。美談である。
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さて、まるで巨大タワー・マンションみたいな練馬区役所が見えてきた。ここの20階は展望台となっており、遠くは富士山・秩父連山・赤城山などが遠望できるとのことだ。今回は曇り空で富士は拝めなかったけれど、豊島園はもちろん新宿副都心やスカイツリーなどを眺めさせてもらった。
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タイムリーな日程設定で、石神井川の満開の桜に感嘆しきりのお散歩であった。奥が深いね、練馬区。
打ち上げのスペイン・バルも雰囲気最高だったな。姉さん、今回も案内ありがとうございました。






by Koppe3T | 2016-04-04 14:50 | ウォーキング・散策 | Comments(10)  

羽田空港JAL整備工場と羽田猟師町~~

土曜日は、羽田空港のJAL整備工場と羽田猟師町の散歩に参加だった。

東京モノレールの新整備場駅を出ると、そこは羽田国際空港のJALメンテナンスセンター1(通称M1ビル)だ。

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左手はターミナル1からC滑走路へ向かう航空機がタキシングしてゆくのが眺められるのだ。タイミング良くスターフライヤーのエアバスA320C滑走路へ向かってタキシングだ。

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Fで受付を済まし、3Fへ上がると、そこはスカイ・ミュージアムの展示室だ。

懐かしの空の貴婦人と呼ばれたダグラスDC-8やジャンボで親しまれたボーイング747のモデル・プレーンや、スチューワーデス呼ばれた時代からキャピン・アテンダント(CA)と呼称されている現在までのCAさんの制服などが展示されている。

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30分ほどの航空教室を受講し、べルヌイの定理などでなぜ飛行機は飛べるのかを学んだあとは、展示室でキャプテンやCAさんの制服着用で記念撮影やマーシャリングの模擬体験などが楽しめる。
歴代のCAさんの制服などもお楽しみ~~(笑)の一つだ。私も含め参加の皆さんのほとんどがCAや4本線入りのキャプテンの制服を着て記念撮影だ。皆さん、お似合いでしたね。


さて、いよいよハンガー(格納庫)へ。M1ハンガーにはボーイングB-777がドッグ・インだった。足場がしっかりセットされているので、良くは見えない。これらのステップを使い機体の背中や主翼・尾翼の上まで徹底的に点検・整備されるのだ。このタイミングであは、午後からの勤務の整備士がツール・ボックス・ミーティングであった。

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隣のM2ハンガーへ移動すると、ボーイングB777-300JA736J)がジャッキ・アップされて作業中だった。主翼付近で2か所、お尻近くのテイル部の一か所の3点でジャッキ・アップするのだ。

ジャッキ・アップは、ランディング・ギア(着陸装置)の交換やその後のギアーのアップ/ダウンのオペレイション・チェック(動作試験)には必ず必要な行程なのだ。

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飛行機の高度や機速度のセンサーであるピトー管・飛行機の先端に装備されていり気象レーダー・機内の気圧を一定に保つアウト・フロー・バルブ。今や機内でもWi-Fiが楽しめるようになったWi-Fi用のアンテナ・飛行機が急角度で離陸したり着陸した時に活躍するテール・スキッド、更には交換を終えたばかりのランディング・ギヤ(着陸装置)、主翼の後縁に取り付いていて期待に溜まった静電気を空中に放電する役目のスタティック・ディスチャージャー、ボーイング737の胴体の直系とほほ同じ直径を持つボーイング777のエンジンの大きさ、ハンガーから眺めたA滑走路へ着陸する飛行機のタッチダウン・シーンなどは規定により掲載出来ないのが残念である。

嬉しいことに、ダグラスDC-8 JA8001(富士号)の尾翼が床に出されていた。記念すべき日本のジェット旅客機1号であり、コックピット部も通路の奥に鎮座だった。尾翼とともにリハビリッシュするようだ。航空博物館とかで再会できたら嬉しいことである。

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M2格納庫には通常は新千歳空港が母港である政府専用機が重整備の為にドッグ・インしていた。

この機体は、天皇陛下や首相などVIPが外遊の時などに使用されるので、キャビン内は外務省の専用通信機器や防衛庁の設備が装備されているので、部外秘なのだ。
1Fキャビンには、ファースト・レディのシャワー・ルームがあったり、秘書官の控え室があったり、随行記者団にプレス発表するプレス・ルームがあったりと普通の旅客機とかなり違うんだよね。

格納庫の前縁部からはA滑走路へ着陸する旅客機が遠望出来るのも楽しい。工場見学はあっと云う間に終了で、東京モノレールの新整備場駅へ。この工場見学は六ヶ月前から予約をネットで受け付けるのであるが、オープンと同時に満席になると云う超人気コースなのであるが、それを必死に取ってくれたメンバーに心から感謝である。ありがとうございました。

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そして、今回の第2部!!! 羽田猟師町の散歩だ。ここからは、路地の達人「姐さん(笑)」の案内だ。出発は、穴守稲荷駅だ。狐の「こんちゃん」がお出迎えだ。穴守稲荷駅は若かりし頃散々世話になった駅であるが、数百メートルほど内陸に移転していて、しかも綺麗な駅舎に様変わり~~~。

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駅近くにある「穴守稲荷」である。この稲荷は江戸期今の羽田空港のエリアにあったのであるが、戦後進駐軍により羽田村に住んでいた住民もろとも強制移転させられたものなのだ。

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奉納された赤い鳥居が無造作に山積になっていたりと、錆びれた風情が悲しい。


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こんなお宅の玄関前の路地を歩いて行くと、袋小路で何処にも出れない区の児童公園だ。実に面白い。
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羽田空港と海老取川である。その昔は浅瀬で歩きながらもエビが取れたらしい。川の東は、羽田の沖合展開まで各航空会社の整備の基地でかまぼこ型の格納庫が多数並んでいたのだが、今はさびれているのだ。

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天空橋である。戦前今の羽田空港があるエリアまで京浜急行が大師電気軌道として運行していた頃に使われていた橋であるが、今は人のみが渡れる橋として再建されたと云う。

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穴守稲荷の大鳥居である。今の羽田空港のターミナルが「ビッグ・バード」と呼ばれるまでは、旧羽田空港ターミナルの駐車場に異様にポツンと残されていた大鳥居である。進駐軍が撤去しようとロープを架けて引き倒そうとしたけれども、死人続室とかで撤去を諦めたとかの都市伝説が残る大鳥居である。平成11に地元住民の移転費用寄付により、この海老取川と多摩川が合流する地に移転されたのだ。この位置に移れて、永住の地を得た大鳥居の誇りに感動である。

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国際線が成田へ移る前の羽田に国際ターミナルがあった頃は、この海老取川沿いの看板は、空港から眺めると確かに煌びやかだったことを覚えている。この看板収入だけで生活出来たと云うこの看板も今やスポンサーも無く、赤く錆びているのは時代を感じさせてくれたな。

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洪水対策で造られた五十間の護岸である。ここにはよく無縁仏が漂着したので、「五十間鼻無縁仏堂」が祀られている。

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玉川弁財天である。弘法大師が多摩郡に日原で修業した時に湧き出た玉が川を下りこの地に流れ着いたものを祀ったのが始まりと云う。

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多摩川に向かって「くの字」に曲がる路地が沢山あるのが、この旧鎌倉時代の漁師町の特徴になっている。

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そして、これが明治・大正期の鉄筋入りの煉瓦造りの多摩川の堤防の名残なのだ。現在の堤防よりは数十メートル内陸なのである。川岸へ降りる階段も残っていて、いかにもその時代の堤あとを感じさせてくれるのだ。

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このようなな 羽田猟師町の路地を歩くと、井戸と舟形の水槽が残っているのも猟師町ならではである。

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鴎稲荷である。海上安全・大漁祈願の神であり、当時の漁師町の心のより所だったのだろうな。

ここの参道の鎌倉時代の道の名残で鳥居の先の本殿までの道が「くの字」になっているのが、実に面白いのだ。

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天空橋を渡り、天空橋駅でプチ散歩は終了だ。
若かりし頃、仕事明けでマージャンに勤しんだり友人の部屋へ転がりこんだ穴守稲荷駅周辺の奥行深い路地散歩、実に楽しかったな。
案内の姉さん(姐さん?(笑)、ありがとうございました。打ち上げでは何杯の酎ハイ飲んだのか?記憶にない(笑)。


by Koppe3T | 2016-03-14 19:37 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

品川宿の路地巡り~~~

土曜日は、東海道の一つ目の宿「品川宿」周辺の散歩に参加してきた。出発は、京急・青物横丁だ。


まずは、駅に隣接した曹洞宗の「海雲寺」~~。火の神水の神さらに台所の神として有名な千躰荒神が祀られている。1251年大覚禅師が開いたと云う古刹である。

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信徒による奉納と云う堂内の扁額が素晴らしい。
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品川寺(ほんせんじ)。大同年間(806810)と云うから平安京に都が遷都早々の時代の開創だ。

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江戸六地蔵の一つで、街道沿いの江戸の入り口に旅の安全を祈って18世紀の初めに安置されたもののひとつだ。都の有形文化財である。

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品川寺の鐘楼にある「洋行帰りの鐘」である。1657年製造であるが、幕末の1867年のパリ万博もしくは1871年のウィーン万博の際持ち出されたのであるが、行方不明になっていたが、国際連盟第一回総会に出席の代表団がジュネーブの博物館にあるのを聞き、1930年に返還されたと云う。所謂、「洋行帰りの鐘」である。

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いかにも苔むした「諏訪神社」。

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で、少し裏道を歩くと、トタン塀のお家だ。昭和の風情が懐かしい。

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法華宗天妙國寺である。日蓮の直弟子が1285年に開いた法華宗のお寺さんである。

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五重塔もあったとのことだが。こちらがお散歩愛好者が見つけたと云う五重塔の礎石がこれだ。
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東海道品川宿の通りである。震災で被災しなかったので当時の道幅で残っているのが嬉しい。

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1779
年(寛政年間)創業の老舗畳屋さん「畳松岡」さんである。

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明治27年創業の「富田屋工業所」。井戸ポンプや水道の老舗である。

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旧東海道から江戸湾方向へ1015mほど下ると石垣が。江戸期の海岸線の石垣が残っているのだ。

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目黒川に架かる品川橋。ここが北品川宿と南品川宿の境である。ただし、江戸期の目黒川が更に100mほど江戸寄りを流れていた。。
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荏原神社709年(または824年~834年)頃の創建と伝わる南品川の総鎮守である。目黒川の手前からの境内と橋が綺麗だ。狛犬も可愛いし、屋根から覗くがリアルである。
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境内の河津桜も満開だったな。

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猟師町の鎮守である「寄木神社」である。日本武尊の東征時、浦賀水道が荒れ妃の弟橘姫が犠牲として入水して船を進めることができたのだが、後に船の一部が漂着したのを祀ったのが始まりと伝わる。狛犬の頭部の窪みが実に珍しい。祭礼使ったとか、この窪みに蝋燭を立てて目印にしたとの伝えもある。

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品川宿本陣跡で、聖蹟公園となっている。明治になり天皇が京都から東京へ行幸する際も行在所となり、聖蹟公園として残されているのだ。

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利田神社(かがた)である。目黒川の砂州の先端に沢庵和尚が東海寺の鬼門の地として弁財天を祀ったのは始まりとのことだ。また寛政十年(1798)暴風雨で品川沖に迷い込んで品川浦の漁師達により捕らえられた鯨の供養碑である。体長は約16.5m高さ2mの大鯨で、江戸中の評判となり、ついには11代将軍家斉(いえなり)が浜御殿(現、浜離宮恩賜庭園)で上覧するという騒ぎになったと云う。その鯨の骨を埋めたのがこの鯨塚である。

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鯨塚そばの道路を、マリオ・カートの集団You達が楽しそうにツーリングだった。カメラを向けると陽気にVサインで応じてくれた。これ、1度は乗ってみたいものである。

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さて、路地散策である。こんな路地を登り旧東海道へ。

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旧東海道沿いに残る「土蔵相模跡の碑」である。文久3年の長州藩士である高杉晋作や久坂玄随らによる御殿山に建設中だった英国公使館の焼き討ち事件は、この土蔵相模で気勢を上げて向かったというのは有名な話である。

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星野金物店である。銅板の緑青が何とも言えないね。

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善福寺である。1294年開創。安政の地震で崩壊後に建てられた土蔵で、壁面には伊豆長八の鏝絵が残っているが、長年の風雨で剥離が激しいのが悲しい。

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臨海山法善寺である。1384年開祖で、天保の大飢饉の餓死者を祀った碑や御殿山から掘り出された板碑などが残されている。

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江戸期の小泉長屋の風情を今に残す路地で、未だに井戸が残っており、漕ぐと水も出るポンプの現役なんだよね。

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旧東海道沿いの履物の老舗「丸屋」さんだ。赤い花尾のじょじょ(草履)などもこのようなお店で求めたいものである。

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品川神社である。文治3年(1189)、源頼朝が安房国洲崎明神を勧請して海上安全を祈願したのが創始とのことで、かの家康も関ケ原出陣の時に祈願し、以後徳川家の庇護を受けた神社である。

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阿那稲荷社への鳥居だ。この奥の「霊水」は霊験あらたかとのことで、お札やコインを霊水で洗う参拝客で一杯だ。

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境内の裏手には、土佐出身の「板垣死すとも自由は死せず」の名言で有名な板垣退助とその一家のお墓が残されている。

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年に3代将軍家光が沢庵和尚を招いて開山した「東海寺」の世尊殿である。1930年の築である。

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東海寺は江戸期は広大な寺域であったが、今では東海道新幹線や山手線が旧お寺域を縦断していたり、旧品川県の県庁後の小学校が建っていたりと当時の1/10以下程度とのことだ。

当時の東海寺の墓地エリアに残る沢庵和尚の墓所である。家光に供した漬物(貯え漬け)を家光が気に入り「沢庵漬け」と命名した沢庵が有名だ。

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同じ墓地エリアには、かの島倉千代子さんの墓所も生花に飾られて輝いていた。

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こちらは、日本の鉄道の父と云われる長州出身で藩費で井上馨や伊藤博文らとともにイギリスへ留学しロンドン大学を卒業し、日本の鉄道開業に尽力した井上勝氏の墓所である。

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今回も姉さんの古刹と路地を巧みに縫うように進むコースは、飽きることのないコースだったな。

ありがとうございました。


by Koppe3T | 2016-02-08 19:33 | ウォーキング・散策 | Comments(8)  

都電貸切り!!、目白周辺と千住大橋周辺散歩

昨日は、冬晴れの天候に恵まれ最高気温12℃の中、あの都電荒川線全線貸切りをメインに、目白・高田並びに三ノ輪橋・千住大橋周辺の「姉さん散歩」に参加してきた。


出発は目白駅~~~。目白と云えば皇族の方々の学校で有名である「学習院大学」だ。
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校内は凛々しい応援団のきりりとした整列があったり、スポーツや馬事に汗を流す学生を横目に構内に残されている自然林へ。絨毯のように積もった落ち葉を踏んで歩むのが心地よい。
小路を進むと、かの高田馬場の決闘で有名な堀部安兵衛が刀を洗ったと学生の先輩から後輩へ語り継がれたと云われる「血洗いの池」だ。旧目白村の雑木林を彷彿させてくれる林と池である。高田馬場があったのは、神田川の向かいの丘であるからここまで刀の血を洗いには寄らないであろうとのことではあるが、楽しい逸話である。
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自然林の中は遊歩道が整備されており、乗馬部の馬場もあり、馬場の側には日露戦争の旅順開城時にロシアのステッセル将軍から乃木大将に贈られた馬・壽号の仔が「乃木号」として当時の乃木学習院院長へ贈れらたと云う葦毛の名馬を記念した碑なども建っている。
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学習院を後に、神田川を渡ると都電荒川線の早稲田へ向かう直角カーブだ。鬼子母神駅方面への勾配がよく分かる眺めである。
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神田川である。大ヒット曲「神田川」の作詞家はこの近くに下宿していたとのことだ。川沿いの民家の塀にはニャンコだ。神田川に似合うね。
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こちらは、江戸期御三卿の一家であった「清水家」の下屋敷であった所で、美味しい湧き水が茶に適していたとのことで「甘泉公園」呼ばれている。こじんまりとしているが、手入れも行き届き癒される回遊式庭園である。
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水稲荷神社である。941年に稲荷大神を勧請したのが起源とのことだ。境内内の「髙木神社」も嬉しい(笑)。
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江戸の富士塚では最古(1779)と伝わる「高田富士」も境内内に鎮座だ。
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旧高田村の「高田馬場」である。寛永13年(1636)に造られた旗本たちの馬術練習場である。馬場だけに直線部が結構しっかりとってあるのだ。馬術見物客も多く見物客も多く茶屋も多く「茶屋町通り」の名も残っている。安政6年の切絵図にも直線的に長い高田馬場が載っている。傍には現甘泉公園の「清水殿」の敷地も記録されている。
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さて、都電荒川線の「早稲田駅」に到着だ。ここから貸切り都電」に乗るのだ。行き先は終点の「三ノ輪橋」で、たっぷり1時間も乗れるのだ。
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予約の貸切り電車が入線だ。7000系の車両で昭和52年の導入で長さ12.52m、幅2.203m、高さ3.65m 定員96名と可愛い電車である。黄色と云うのがまたいかにも都電らしい。
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で、定刻に出発進行!!!。出発時、可愛い「チンチン!!」とこのベルが鳴るんだよね。姉さんの手造りポスターも更に可愛い。
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電車が動き出すと、車内は一気にテンション・ハイの参加者メンバーが運転席やら後ろやら座席やら大興奮だ。ポスター掲示で大撮影会も楽しかったな。
どうしても、進行方向は人気が高い(笑)。
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路線図はこの通りであるが、主催者が準備してくれたこの高低差付のこの路線図が実に嬉しい。67パーミル(1km先で67m高低差がある意)と荒川線の最大傾斜の飛鳥山から王子へ下るカーブに近づいてきた。飛鳥山へ登るケーブルカーの傾斜で、その傾斜の凄さがわかるのだ。
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王子駅を出発すると、すぐ左手に飛鳥山で暗渠になっていた音無川が開渠となって流れているのが見えるのだ。
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で、小台駅近く。この辺りが隅田川の渡しがあり、50件の温泉街で賑わっていたとのことで、名残の「熱海」なる割烹が今でも営業しているのが嬉しい。
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興奮のるつぼであった都電貸切りもここ三ノ輪橋で終点だ。車内では、各駅周辺の案内を携帯式アンプで案内してくれたお二人にありがとうである。
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ここ三ノ輪橋は「関東の駅百選」にも認定されているだけあって、実に昭和っぽい風情のある駅なのだ。
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更に、こんな路地通れる??を進むと「ジョイフル本三の輪商店街」だ。これまた昭和そのまんまで、嬉しくなってしまうのは私だけだろうか。
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商店街の中ほどのある「砂場総本家」である。大阪を起源とする老舗の蕎麦屋である。なんでも大阪城築城の資材置き場が名前の由来と云うから凄いね。建物は、区の指定文化財でもある。
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東京スタジアム跡。現ロッテの大毎オリオンズの球場だったところである。今は、荒川区の総合スポーツセンターになっている。
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さらに、この辺りは水運が使えたことから明治期多くの工場があった。これは、千住製絨所の跡地にのこる煉瓦塀だ。
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また今はダンボールとと身近な板紙発祥の碑も残されている。流通に段ボールは必須であるからね。
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素戔嗚神社である。6月開催されるお祭りの二天棒神輿が見ものとのことだ。普通の神輿は井桁に4本担ぎ棒があるが、ここのは2本しかなく、これを地面すれすれまで振り回す神輿とのことだ。
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境内内の瑞光石や末を芭蕉の碑が残されている。千住大橋を模した小橋の袂に芭蕉の独り言が掲示されているのが、実に楽しい。さてさて、芭蕉は「矢立の初め」として千住大橋の北詰めから出立したのか南詰めから出立したのか・・・。
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さて、千住大橋である。初代の橋は家康が江戸入府早々に1594年に架けているが、この鉄製の橋は昭和2年の架橋である。
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袂には、芭蕉の矢立初めの碑が建っている。さて、芭蕉は、右岸に降り立ったのか、左岸に降り立ったのか??
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橋戸稲荷神社である。926年に勧請された古刹である。土蔵の扉に鏝絵で有名な伊豆長八が描いた狐の鏝絵が残されているのだ。鏝でこんな素晴らしいものが描けるのって凄いね。左官の職人技の一つなのだろう。
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さて、目白周辺と都電貸切りそして三ノ輪~千住の散歩はこれでお終~~~~い。打ち上げは千住大橋駅袂の中華屋さんだ。
本格的中華が出るわ出るは。次から次へとおかみさんが階下の厨房から運んでくるのだが、どれもしっかりした味付けで、飲み放題のビール・焼酎も進むこと進むこと(笑)。

今回も、綿密な調査と「都電貸切り」と云う思いも及ばなかった企画をしてくれた姉さんに感謝である。また、一緒に歩いてくれた皆様にも感謝である。
歩き始め早々、しばし戦線離脱(汗)しお待たせしてしまったことにごめんなさいである。


by Koppe3T | 2016-01-10 14:21 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

西ヶ原~東十条~~

穏やかな師走の土曜日の昨日は、西ヶ原から東十条あたりの武蔵野台地がかつての海に落ち込む東縁を歩いてきた。案内は、裏道の達人「姉さん」である。
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出発は、南北線「西ヶ原駅」から。まずは、北区の防災施設の要である「地震の科学館」だ。ここで、地震に関する防災のレクチャーを受け、この3間の畳敷きで関東大震災や先の東日本大震災と同じ規模の地震の横揺れ縦揺れの激しさを体験だ。90年から150年周期に起きるであろう大地震の周期入っているという今、改めて地震に対する心構えを学習だ。
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明治期、この辺りは農商務省の農事試験場があった地域であり、近代農業を先導した地域だったとのことだ。
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飛鳥の小路を歩き、平安から戦国期豊島氏の「平塚城」があった高台は、「平塚神社」として、その往時を偲ばせてくれている。
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境内の大銀杏が見事な黄色に紅葉しており、ほっこりだ。
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更に、西ヶ原村の鎮守だった「七社神社」である。この地にあった一本杉神明宮の一本杉が大事に祀られているのだ。
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日光御成街道にもどると7、そこには都内に現存する二つのうちの一つである「西ヶ原一里塚」だ。江戸城大手門から二里の地点とのことだ。
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さて、飛鳥山である。「飛鳥山」とは、豊島氏が紀州新宮の飛鳥明神をこの地に分霊したのが始まりと云う。
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ここ飛鳥山は江戸期から庶民の桜の名所として今も名高い桜の名所であるが、埼玉・深谷出身の「渋沢栄一」が晩年住んでいたことでも有名で、渋沢栄一資料館や旧渋沢庭園を見学できるのだ。彼が起業し現代も残っている企業が沢山あるので有名であるが、明治期の日本男児の凄さをあらためて再認識だった。

栄一お気に入りの「晩香蘆」。1917年落成喜寿(77歳)の祝いに清水組(現・清水建設)が贈った洋風茶室とのことだ。
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命名が「バンガロー」の響きからと云うのが面白い。


こちらは、「青淵文庫」だ。栄一の蔵書を納めるべく1925年に傘寿(80歳)のお祝いの建てられたとのことだ。内部で唯一写真撮影OK~な2階への優雅な階段。
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庭園内は、紅葉が見ごろ~~~~。
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飛鳥山博物館では、来月貸し切りで乗れる都電の特別企画「都電残照」が催されていた。古き良き時代の都電を回想させてもらった。そこの3階喫茶で買い求めた「おはぎ」!!!。まいう~~~(笑)。
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また、「花燃ゆ」にも登場していた群馬県勢多郡富士見村生まれの船津翁(船津市蔵)の碑も残されているのだ。この当たり一帯が国の農事試験場だったことからも、彼がこの地で当時の先進農業を監督していたのが偲ばれる。
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飛鳥山の碑。吉宗の治世が行き届いていることを書いているとのことだが、難解で読めないのが難解(笑)。
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飛鳥山西の御成街道にかかる歩道橋からは都電も観賞~~~。
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また、道路脇には、現役で営んでいる「質屋」さんも。
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こちらは、音無浸水公園だ。石神井公園へも繋がる川である。江戸の初めから名勝地だったとのことで、今も1948年創業の茶店「扇屋」は美味しいことで評判な卵焼き屋として現存だ。
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王子神社である。1322年豊島氏が熊野の王子大神を勧請し、「王子」よよばれたとのことだ。
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王子稲荷。源頼義の欧州征伐のおりに、関東総稲荷と仰いだとのことだ。境内の狛犬ならに狛狐が何とも愛らしいのだ。
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御石様:願い事、持ち上げて軽く感じれば叶いやすく重く感じれば叶いにくいとか。
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まさしく、狐が住んでいたに違いない「お穴様」。
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名主の滝:江戸期の王子村の名主畑野家の自宅が始まりで、今は北区管理の公園になっている。緑が鬱蒼とした素晴らしい緑地である。名主の滝はたまたま流れておらず、残念!!。
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自衛隊十条駐屯地だ。明治期から旧陸軍の兵站中枢だったところで、現在は陸海空自衛隊の本部になっている。門の内部は撮影禁止らしい(汗)。
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篠原演芸場である。木戸賃大人1600円と掲示されていたけど、是非観賞してみたいものだ。
この当たりの裏通りは幅1mほどでうねうねと続き、一人では歩けそうもないな。
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十条富士塚である。時間的に真っ暗で大きな塚の頂きは映らず。当然登頂させて頂いた。
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打ち上げは、東十条の「さくら水産」飲み放題コースだ。鍋に刺身に・・・・恐るべし「さくら水産」であった。
総歩数18000歩、約8キロのコースであったが、武蔵野台地の東縁。アップダウンもあり、久々に歩いた感があったけど、十条の裏道はスリリングで楽しかったな。
案内頂きありがとうございました。また一緒に歩いて頂いた皆様、お疲れ様でした。



by Koppe3T | 2015-12-13 15:26 | ウォーキング・散策 | Comments(4)  

江戸の町人町「神田界隈」~~~

江戸期の町人町「神田界隈」を訪ねるウォーキングに参加してきた。

出発は、JR神田駅。出発早々見つけたのは、色鮮やかな「朝顔」だ!!!。こんな時期まで開花している朝顔ってあるんだな。
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まずは、神田紺屋町沿いの金町通りだ。江戸期は、藍染屋が多かった紺屋町~~~。また、神田鍋町でもあり、鍋物師が多く住んでいたとのことだ。
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水天宮通りに出ると、この辺りには江戸期初期には「お玉が池」と云う不忍の池よりも大き目な大池があったらしい。今は、その面影を残す「お玉稲荷」ちんまりと残されていた。「お玉が池」とは、おこ池のたもとにあった茶店の看板娘が二人の男性に言い寄られ、お玉は悩んだ末に池に身を投げたとの悲話からとのことだ。
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この地には、安政年間に今の東大医学部に発展する「お玉が池種痘所」が置かれた場所でもある。
江戸期、神田界隈は武芸・蘭学・医学など、現代の大学的な塾が目白押しだった地域であったことが伺えるな。
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神田川沿いまで歩くと、そこは「柳原通り」だ。袂には「和泉橋」が佇む。柳並木が1キロに渡り植えられていたとのことだ。
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で、こちらは柳森神社だ。狸なのか狐なのか合体した狛犬?が可愛いのだ。
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境内には、大正期相撲取りが使っていたという「力石」ゴロゴロ。
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この柳原通りは、明治以降既製服問屋街だったとのことで、こんなレトロなボタン屋が残っていたり、いかにも的なお店が散見されるのも嬉しい。
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さて、万世橋の袂だ。江戸期にこの地橋はなく、少し上流に「筋違橋門」の橋があったのが、明治期になってこの地に架けられたとのことだ。
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万世橋の神田川沿いの煉瓦造りの建物が見えてきた。これは、2006年まで交通博物館であった建物だ。若かりし頃訪れたことを思い出したな。今は、「mAAch」と云う実にお洒落なショッピングモールになっていたんだよね。
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須田町へ進むと、江戸期の慶長年間から青果市場があった「盛夏市場発祥の碑」が残されていた。
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また、こんなレトロな老舗「まつや」や「やぶそば」も営業中だ。
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神田川を渡る「昌平橋」だ。神田橋の上流を眺めると「丸の内線」と聖橋だ。
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上り坂にかかった辺りにあるのが、昌平坂だ。この昌平坂の上が「湯島聖堂」林羅山が上野の山に建てた「孔子廟」が始まりで、寛7年(1797)にこの地に移り、江戸期の官立「昌平坂学問所」となった所だ。
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湯島聖堂の「大成殿」である。
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湯島聖堂の裏手には「江戸の鬼門」を守った江戸総鎮守であった「神田明神」だ。天平2年(730)今の大手町の創建され、元和2年(1616)、この地に移転したという古刹である。その日は、お日柄も良いようで、幸せ一杯の結婚式が挙行されていた。お二人の末永い幸せをお祈りさせて頂いた。
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神田明神の横手には、「神田の家」と称する江戸期の材木商だった「遠藤家」が昭和2年に神田に建てたと云う住宅が移築されていた。区の指定有形文化財だ。
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最後は、江戸期・明治期の上水道の歴史が学べる「東京都水道歴史館」だ。その日から始まったと云う玉川上水や神田上水・江戸期の上水網を紹介する「上水記展」が素晴らしかったな。
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江戸期の上水に使われていた木製の水道である。
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明治30年の水道管だ。地震で地殻が動いてもこの継手が摺動して水道管破裂を防ぐ構造になっているのが素晴らしい。



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水道の流れを圧力で記録していたと云う東京市水道局の水圧計だ。
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明治期、馬車が多かったので、道路の方にこのようなお馬さん用の「馬水槽」だ。明治39年ロンドンより寄贈されたものとのことだ。
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やはり、江戸期を巡るウォーキングは奥行きが深いことを再認識させてくれるものだった。






by Koppe3T | 2015-11-01 19:50 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

浮間船渡~志村坂上

先週の週末は、姉さん散歩に参加してきた。

出発は、埼京線の浮間舟渡駅からだ。

浮間舟渡駅のすぐ前に広がる「浮間公園」である。荒川が大きく蛇行していた頃の川を「浮間が池」として、そのまま残した美しい公園である。

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公園内のオレンジ色の秋桜が綺麗だ。

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突き当りの土手を登ると、ご存じ「荒川」である。先月は「荒川ロック・ゲート」の歴史散策もしたのであるので、荒川繋がりのお散歩コースである点も楽しい。対岸は埼玉県戸田市である。河川敷の赤羽ゴルフ倶楽部をラウンドするゴルファーを眺めながら、金八先生よろしく、荒川の土手散策である。

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浮間の住宅街を歩くと、「水塚(みずかor みずづか)」と呼ばれる平面から数十センチから数メートル盛り土し、その上に住居を建てているお宅が散見される。こちらのお宅は、2mほどの石垣の上にお宅を建てておられた。この地域が昔から洪水に悩まされてきたことへの生活の知恵の一つなのだ。

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浮間が池がまだ旧荒川だった頃の地図が残っていた。昭和3年には、荒川の新流路が完成し、今の浮間が池や新河岸川が三日月湖よろしく取り残されていたんだよね。

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住宅街の片隅には、ひょっこりお地蔵さまだ。浮間村の北のはずれに北向き立てられたお地蔵さま。悪霊が村に入らないように結界の役目を果たしていたんだろうね。中央の地蔵菩薩立像は、享保6年(1721)の建立とのことだ。その後ろの板碑は月待夜講の記念供養塔で部文明16年(1484)の造営と云う。応仁の乱が終わり、戦国時代の始まりの頃なんだよね。

板碑進行が盛んな室町時代ならではの重要な資料である。

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更に散策すると、「かさや地蔵」である。傘屋と云う屋号の前に建てられたので傘屋庚申とも云う。裏には延享3年(延享は、17441748年、江戸中期である)の文字が刻まれていた。

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浮間水再生センター(昔は、下水処理場と云ってたな)では、水再生の仕組みを社会科勉強だ。下水のマンホールに穴が開いていて、オーバーフローした水を逃がすことなども学習したのであった。

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江戸期から昭和3年まで供用されていた荒川の浮間渡船場跡である。西国・秩父・坂東・四国八十八か所の供養塔や馬頭観音座像供養塔、庚申待供養塔、水神宮石祠が建っている。

それぞれ、文化十年(1803)や文政元年(1818)の建立年月が刻まれていた。

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浮間から対岸の小豆沢を眺めた新河岸川である。この新河岸川は、この辺りは隅田川と記されている地図もあるが、遥か上流は川越まで繋がており、江戸期は川越-江戸間の大動脈であった川である。

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新河岸川を渡ると、小豆沢河岸の面影を語る旧荒川(現新河岸川の大正から昭和の頃の写真が掲示されていた。

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で、小豆澤神社がある丘への階段である。結構な急坂なのだ。

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登り切ると、「小豆澤神社」だ。小豆澤神社は、康平年間(10581065)、源の義家の勧進と伝えられているから、義家が奥州征伐へ出向いた時に勧進したものであろう。江戸期は、小豆沢村の鎮守であったという古刹である。

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薬王山龍福寺である。室町幕府の頃袋村(現赤羽)の僧運珍が隠居寺として創建したのに始まるという真言宗智山派のお寺さんだ。秘仏「薬師如来」が祀られているとのことだ。

境内には、実に大きな板碑が残されていた。1枚などは、高さ1.51.6mほどもあり、今まで見た板碑の中では一番大きいものであった。それには、慶長七年と刻まれていたな。

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ここで、小豆沢のドイツ国旗を掲げたケーキ屋さんで、ロールを買い求め皆さんで分け合って食べたんだよね。チョコとクリームがマッチしてとても美味しく頂きました。こんなこともあろうと、人数分の箸と紙皿を持参してくれていたMさん、心遣いに感謝である。おやつ奉行就任おめでとうございます。

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こちらは、中山道沿いの薬師の泉庭園だ。江戸名所図会にも描かれていいる大善寺の庭園である。泉にはこんこんと泉が湧いていたな。

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中山道時代の清水坂である。江戸を出て最初の難所だったと云うの頷ける急坂であった。しかも、ヘアピン・カーブ的につづら折りになっているのだ。坂の所々に埋め込まれている版画が当時を思い忍ばせてくれるのが嬉しい。

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志村坂上には、「志村の一里塚」が道の両側に昔の面影そのままに残されていた。日本橋から3番目の一里塚とのことだ。

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その一里塚のたもとには、明治22年創業の荒物屋が残っている。昭和8年築の腰板張の日本家屋が大変懐かしい。

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打ち上げは、お好み焼き屋さんで、ワイガヤ楽しいひと時を過ごさせてもらった。

今回も、楽しいコースを案内していただき、ありがとうございました。

また一緒に楽しく歩いてくださった参加の皆様もありがとうございました。

また、次回もどうぞ宜しくお願いいたします。


by Koppe3T | 2015-10-05 14:55 | ウォーキング・散策 | Comments(4)