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カテゴリ:ウォーキング・散策( 86 )

 

荒川ロックゲートと東京ゲートブリッジ

昨日は、ゲート繋がりの「荒川ロックゲート」と「東京ゲートブリッジ」を堪能できるお散歩だった。
天気は快晴!!!、絶好のお散歩日和だったな。


集合は、東大島駅。ロックゲートを通過する船に乗れるコースに並ぶも、タッチの差で定員オーバー!!、残念なるも、他に楽しめたイベントも多々あったもんね~~。
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まずは、「舟運の歴史散策ツアー」に参加だ。元国交省のOBの方が治水のこと、荒川放水路のことを懇切に教えてくれたのが嬉しい。
まずは、現在のロックゲートの管理棟に登って行きかう船に対する水位調整の仕方を学習だ。
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航行する船は、ゲートに近づいたら、航空機みたいに無線とかで航行を取るのかと質問すると、ゲート近くにマイクがありそのマイクに向かいこの操作室の係員と話すそうだ。



管理棟の見学後は、荒川土手を上流へ。
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荒川の対岸に、新川の火の見櫓を遠望しながら、荒川の歴史を拝聴だ。
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スーパー堤防の高みから眺める「小名木川」である。江戸期は塩の道と呼ばれた、江戸の大動脈だった川である。
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旧ロックゲートである「旧小松川閘門(こうもん)」である。明治44年の大洪水で浅草などが大浸水したことから、時の政府が荒川放水路を掘削した時に造られた歴史的建造物だ。2/3が土中に埋まっているのだ。
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最後に、非常食の試食もあり、実に素晴らしいツアーだ。栄養士のお姉さんの説明が実に的確で、我が家も非常食の備蓄をしなきゃと思った次第である。
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ツアー終了後は、実際にロックゲートを通過する船舶を見学だ。まず、船が入ったあと、向こうの旧中川へ水を落とす。


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水位が一定になったら、向こうのゲートをオープンし、中の船は向こうの旧中川へ出てゆくのだ。これは、パナマ運河と同じ原理である。



しばし、ロックゲートフェスの合唱などを聴いたあと、消防庁のはしご車に体験搭乗しようと思うも、満員御礼。ではでは、ということで、我々は「高所作業車」へ体験搭乗だ。ヘルメットと命綱着用で、アームが伸びると16mの高さへ。しかも、そのプラットフォームが360度回転出来るんだよね。ほとんど親子で乗っていたけど、我々は大の大人が実に楽しく、ワイガヤ楽しませて頂いた。16mからの眺め、中々素晴らしいよ。
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さて、ここからは「路線バスの旅」ならぬ、都バス乗り継ぎで若洲キャンプ場へ。実は、あの「東京ゲートブリッジ」を歩いて渡ろうなのである(実際は対岸へは降りれないので引き返すのであるが)。この1日乗車券には大変お世話になったな。
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途中、夢の島マリーナも見えてきた。
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ここゲートブリッジの下は、海釣りのメッカらしく、多くの釣り人がキャスティングしていたな。釣り上げた魚を狙うニャンコも。
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エレベーターで橋梁部へ登ったあと、歩道を対岸方向へ。
ここが、全長2618mあるゲートブリッジの中間で一番高い位置だ。海面まで61mもあるんだと。
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最高部まで登ると、南に羽田空港や、横浜ランドマークタワーが遠望できた。HND 34の滑走路から離陸した旅客機が真上を通過していたな。
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歩いて地上に戻るとゲートブリッジがライトアップされていた。三日月と2ショットだ。確かに恐竜にみえるね。
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その後は、緻密な計算された都バスにスリリングな乗り替えをして東陽町へ。特に、若洲からの帰路、新木場3で下車し、数分後に乗りかえバスが到着!!と思いきや、「ありゃ~~?、行っちゃったのかしら・・・・」。「わぁ~~~~、行っちゃったのなら、歩きか~~~?」と思いきや、更に1分ほどしたら、来ました樹ました、目的地行の都バスが(嬉々)。いや~~~~、スリリングな乗りかえででした。

で、ビストロVACA(バカ)で楽しい打ち上げだ。バーニャカウダー、生ハム、シラスののったパスタ etc、美味しかったな~~~~。
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実に勉強になる、荒川ロックゲートフェスとゲートブリッジのコース!!!、企画・引率、ありがとうございました。心から感謝です。

by Koppe3T | 2015-09-20 18:07 | ウォーキング・散策 | Comments(4)  

大川沿いの江戸の面影巡り

先日、江戸期大川(現隅田川)に架かっていた橋は5本。そのうちの大川橋(現吾妻橋)から両国橋の間を行きつ戻りつ、歴史的面影を探す歴史散策会に参加してきた。

まずは、地下鉄銀座線の浅草駅。いかにも浅草らしい佇まいの土木遺産の建物である。

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傍には、江戸期は大川橋と呼ばれていた吾妻橋(東橋とも書かれた)である。遠き昔、東国・関東地方が吾妻と呼ばれていたことからの銘々とのことだ。
初代は安永3年(1774)架橋であるが、この吾妻橋は関東大震災後の昭和6年に架け替えられたものとのことだ。

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最初の訪問地は、待乳山聖(まつちやましょうでん)本龍院だ。推古天皇9年(601年)創建と云うから、1400年以上も前のことになる。隅田川を望む小丘上にあり、江戸期は東部随一の眺望の名所と称され、浮世絵や詩歌に登場しているとのことだ。

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待乳山聖天の本殿である。境内には江戸期の名残をとどめる築地塀も残されていた。

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ここには日本最短?と思われる走行距離10メートルほどのモノレールが駐車場から本殿まで敷設されているのが楽しい。「さくらレール」と銘々されており乗車無料とのことで、下りのラインに乗車してみた。

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尚ここ浅草聖天町(あさくさしょうでんちょう)は、「鬼平犯科帳」や「剣客商売」で有名な作家・池波正太郎の生誕地でもあり、歴史小説好きの私にはテンション・アップの場所でもあった。

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次に向かったのは、「今戸神社」だ。平安時代の康平6年(1063)源頼家・義家父子が奥州討伐(前九年の役)の折、京都石清水八幡を勧請したものと云う。奥州の安倍貞任・宗任・阿弖流為たちが蝦夷と蔑まれ、時の朝廷に反旗を翻していた頃である。

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境内には慶応4年没の新撰組剣客・沖田総司終焉の地の碑が残されている。

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また、「石のなで猫」でも有名のようだ。「福よこいこい」、「いい事いっぱい」きますように(祈)。

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さて、隅田川テラス沿いを歩き、駒形橋へ。駒形橋の袂には駒形堂が残っており、浅草寺の本尊聖観世音菩薩像が漁師の網にかかり引き揚げられたと伝わる場所で、馬頭観世音菩薩が祀られている。

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駒形橋
は、昭和2年(1927)、関東大震災復興で架け替えられたアーチ橋で、東京スカイツリーのベスト・ビューポイントでもある。多くの外国人が橋の中央のテラスで記念撮影だったな。

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江戸通りを下っていくと、行列の出来ているお店だ。有名な「駒形どぜう」であった。

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こちらは、江戸期から相撲との関わりが深い「蔵前神社」である。23回もの勧進相撲が行われたとのことだ。蔵前神社は徳川5代将軍綱吉が元禄6年(1693)山城国の石清水八幡宮をこの地に勧進したのが始まりとのことだ。

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尚、古典落語ゆかりの地でもあり、「元犬」が鎮座している。古典落語「元犬」は、蔵前の八幡さまの境内で満願叶って人間になった真白い犬が奉公先巻き起こす珍騒動のお話しである。

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さて、こちらは、「厩橋(うまやばし)」。厩(うまや)は、浅草の御米蔵に付属する御厩がこの地にあったことに由来しているとのことだ。明治5年、渡し船の転覆事故があり、地元住民により明治7年(1874)に木橋が架けられたのが初代とのことだ。現在のこの3連アーチ橋は、関東大震災後の昭和4年のものである。昭和初期の造りらしく鉄鋲の大きさがなんとも力強い。

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厩橋を渡り、清澄通りを南下すると「横網町公園」だ。大正12年の関東大震災の復興の為の記念館である。屋外には、震災後の大火災による猛火・熱風でどろどろの塊となった鉄柱やモーターの焼け塊が屋外展示されている。関東大震災と東京大空襲の犠牲者の遺骨を安置している」東京都慰霊堂」は大補修工事で立ち入れず、慰霊できなかったのは残念だった。

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隅田川に戻り、黄色い欄干の「蔵前橋」を渡る。蔵前橋は、幕府の御米蔵があったことに由来している。

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蔵前橋を西に渡り切ると、「浅草御蔵跡」の碑が残っていた。江戸幕府が元和元年(1620)、鳥越神社の山を崩して隅田川を埋め立てて米蔵を建てたエリアである。

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こちらが、鳥越神社である。白雉2年(651)の創建で、日本武尊や徳川家康を合祀している。

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更に江戸通りを南下すると、「第六天榊神社」が鎮座だ。創建は景行天皇の時代とのことで、日本武尊を創祀している。

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更に、このエリアには「久月」、「秀月」などの老舗人形店が立ち並んでいたな。

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神田川の手前にあるのが「浅草見附跡」だ。奥州街道・光街道の入り口でもあるこの地に入り鉄砲と出女取り締まりの為に寛永13年(1636)に設けられた見附である。

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この緑色の柳橋辺りは船宿が並び、江戸期は「柳原土手」と呼ばれた風情満点のエリアである。

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柳橋を渡ったあたりには、時代小説にはよく登場する「両国広小路跡」だ。明暦の大火で多くの犠牲者を出した反省から幕府が設けた日除け地であるが、多くの見世物小屋が並んだ広小路である。江戸を舞台にした時代小説には必ず出てくる当時の大遊興地区である。

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両国橋の西詰めを少し南下した地に「矢ノ蔵」の碑が建っていた。正保2年(1645)江戸幕府が米蔵を建て、「谷之蔵」と称した。かの忠臣蔵で有名な堀部安兵衛の江戸での潜伏していたのが、米蔵が焼失した後のこの矢ノ倉だったのである。

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さて、最後に両国橋を渡って、大川(隅田川)沿いの歴史散策は終了だった。

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今回歩いたエリアを安政年間の切絵図でレビューすると、以下の辺りである。
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結局、今回も軽く20000歩超えで、足裏から太腿も痛み出していた(爆)。
最近は歩く度に足裏ジンジンである。足裏にこないウォーキング・シューズを手に入れなきゃならないな。


by Koppe3T | 2015-06-23 13:54 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

日野湧水めぐり

梅雨入り前の爽やかな陽気に恵まれた昨日、日野の湧水をめぐるウォーキングに参加してきた。

出発は、京王線「平山城址公園駅」から。まずは、浅川の堤防沿いへ。堤防の脇には早速湧水の流れだ。
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そして、陣馬山を源とすると云う多摩川の支流である「浅川の眺めだ。川幅も丁度いいし、橋から見る水の流れも清らかで、泳いでいる鯉などもはっきり目視できてしまうのだ。これは、豊田用水取水口から下流を眺めた浅川の流れである。
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さて、豊田用水である。戦前は別荘地であったと云う家並みの南側を流れている。用水の幅も2m以上あり水量も十二分に流れている。その昔は洗い物に使ったであろう洗い場が用水に残っており、その時代の生活感を感じることができたのも嬉しい。
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丘陵に囲まれ「湧水」が多い地域で、ここは、豊田に残る「中央図書館下湧水」である。湧き出る湧水が実に清らかである。東京の名湧水57撰にも選ばれた湧水で、毎秒17リットルの湧水量があるとのことだ。
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豊田用水に沿って下ると、立派な黒塀の邸宅だ。この辺りは富農が多かったのであろう。昔ながらのお宅は各家の敷地が広々としているのだ。江戸期、天領だったことも一因なのであろうか。
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そして、そこかしこに「湧水路」が流れていたな。
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路傍のお地蔵様。上野浄名院の銘と「第七千五百七十一番」のナンバリングが刻まれている。他の地にも違うナンバーのものがあるに違いない。
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こちらも旧富農であろうお宅の、糸杉である。この糸杉は遠くからも目立つし、その高さも細めに脇に広がらない枝ぶりといい、一見の価値があるな。
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豊田村の領主であった大久保忠良が承応元年(1652)に創立したと云う「若宮神社」である。
狛犬は、寛政九年(1797)奉納の狛犬である。風雪の長きを思わせてくれる風化の具合である。
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昔は、地区の子供たちが駄菓子やアイスを買いに集まり賑やかであったであろう村のお店屋さん。
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旗本 大久保忠良が開創したと云う「大久山善生寺」である。本堂の柱は1810年のものとのことだが、屋根は茅葺きだったものを銅板葺きに改築してある。
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境内の裏山には、善生寺350年時に建立された「大仏様」が鎮座している。大仏様の袂まで登って行けるのだ。
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境内のお庭の狸さん。誰かに似ているな(笑)。
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また、こちらにも狸さんだ。
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更に、豊田用水の流れに沿って進むと、こんな可愛い赤レンガのアーチ橋を入り口とするお宅や、この地域では実に珍しくなった田植えが終わった田圃が現れた。田圃のすぐ側まで宅地が迫っていて、流石に東京都下の稲作であるな~~と感じた一枚の水田であった。
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用水路で遊び飽きたのだろうか、鴨の番がネギ畑に這い上がってお昼寝中~~~。みんなで近寄って驚かせてごめんね~~~。
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真言宗 延命寺である。運慶作の延命地蔵菩薩が秘仏とのことであるが、住職が代替わりの時一度だけ開扉されると云う、秘仏中の秘仏とのことだ。
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境内には、日野七福神の「寿老人」が祀られている。また、文明二年(1470)の板碑(板碑)が残されていた。室町期に民間に流行した板碑信仰であるが、日野市に残っている唯一の板碑とのことであった。
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日吉山王権現を祀った日枝神社とムクノキである。ムクノキは、樹齢300年と推察され樹高23メートル幹囲4.45メートルで日野市の天然記念物である。
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さて、浅川の堤防に戻り、川の上流と神馬山方面を望む。宅地化が進む浅川流域であるが、素敵な浅川の流れと山々は実にいい風景である。
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最後に訪れたのは、「七生中学校」の校庭の更に奥にある「自噴水」である。事前に学校の許可も取得して頂いており、校庭や体育館で部活動に汗を流す生徒さんに「おじゃまします。」と自問しながら進むと、一日3000トンの吐出量と云う「自噴水」だ。
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流石に、「日野の2トン」の地域だ(笑)。日に3000トンとは、災害時にも十分使えるであろうし、当学校では、湧水を校庭脇までひいて、「自噴井戸活用水辺ビオトープ」として整備しているのである。水は澄み切って綺麗で、水面には無数の「アメンボ」君だった。
帰路、部活動中の校庭の端を通行中には、こちらがおじゃましているのに、上級生が下級生に私達の通行を気遣う掛け声を掛けてくれて、有りがたいことと感じ入った次第である。
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さて、最後は、浅川を右に見ながらウォーキング終了地へ。梅雨入りまえの晴れ間ありの土曜日の午後、素晴らしい日野の湧水めぐりであった。足が痛い中案内くださり、ありがとうございました。また、最後まで一緒に歩いて頂けた皆様、ありがとうございました。打ち上げでは、17年ピュアモルトのニッカ・ウイスキーが美味しくて少々飲み過ぎたかも(笑)。
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by Koppe3T | 2015-06-07 12:29 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

深大寺散歩

先週の土曜日、新緑が眩しい中、武蔵野の古きよき時代の面影を残す調布周辺を歩いてきた。

出発は、京王線布田駅から。
旧甲州街道を渡ると、「成田山」が迎えてくれた。調布不動尊で親しまれている常性寺である。鎌倉時代の創建で、慶長年間に多摩川沿いから移転したとのことだ。境内には多くの石仏が可愛い。また、300年生きていると云う「ハグ・イチョウ」だ。しっかり、ハグして「気」を貰えたな。

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こちらは、今の甲州街道沿いにある、「国領神社」である。祀ってあるのは、神産巣日神(かみむすびのかみ)とのことである。境内の藤の大木が有名で、樹齢4500年と云われる「千年乃藤」が見事であった。

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藤棚を上から眺めると、幹がこんなに盛り上がってから枝が周囲に伸びているんだよね。流石に千年乃藤である。
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「野川桜ライトアップ」で有名な「野川」である。護岸工事されていないこの川は、子供たちの絶好の遊び場になっているようだ。しばしの距離を歩けたのは実に快適だった。

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鴨さん、驚かせてごめんね~~~。
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野川を離れて、こちらは「虎狛神社」である。崇徳天皇2年(588年)に神事が執り行われたとのことだから、武蔵野の古刹である。映画「千と千尋の神隠し」に出てくる「ニギハヤミコハクヌシ」は、この虎狛神社から想定されたとのことである。

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虎狛山日光院祇園寺である。天平年間(72949)に開山されたと云うから、こちらも古刹である。

境内には、名言「板垣死すとも自由は死せず」で有名な自由民権運動家の板垣退助の手植えと伝わる「自由の松」が残っている。

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この辺りは、畑も沢山残っており、用水路には綺麗な水が流れている。いかに湧水が多いということだろう。
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中央高速の側にある深大寺自然公園内にある「野草園(やそうえん)」である。湧き水がこんこんと流れる武蔵野風情が目にも優しい。写真の橙色のネットは、蛍の幼虫を野鳥から守る為のネットとのことだ。来月には蛍が観賞できるとのことであるが、詳しくは野草園へ電話くださいとのことであった。

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青渭神社(あおいじんじゃ)である。創建は伝わっていないが、973年の延喜式に武蔵野国八社と記録されているとのことで、これまた古刹である。深大寺村の総鎮守である。

境内の御神木の樹齢700年と云われる大ケヤキは、江戸名所図会にも描かれている名所である。

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「神域にて犬の糞は厳禁です」の掛札が笑える。猫や私のはいいんかい?(笑)

都立水生植物園である。花ショウブや田圃、葦原などがあり、カキツバタが綺麗に咲いていたな。

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カキツバタ
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こちらは、「シラン」。紫の花が可憐である。

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水生植物園の隣の丘が、「深大寺城跡」である。扇谷上杉家の朝定が北条氏の侵攻に備えて再興した城とのことであるが、悔しいかな北条はこの城を無視して川越方面へ侵攻してしまったと云う。空堀や土塁などがしっかり残っており中世城郭を偲ぶことが出来る。

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櫓台跡を手前に「この木何の木、気になる木?」を望む。平和な時空が流れていたな。

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深大寺参道に到着だ。ゴールデンウィークと云うこともあり、多くの訪問客で賑わっていたな。

私は、参道で「そばまんじゅう」を買い食いだ(笑)。

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深大寺は、733年深沙大王(しんじゃだいおう)を祀る寺として開山とのことだ。縁結びの神で有名だ。こちらは、本堂である。

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重要文化財の「釈迦如来像」である。普段は、各地での催しにお出ましのことが多いとのことであるが、今回は拝むことが出来てラッキーであった。

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境内の「なんじゃもんじゃのき」である。白い花が満開で、これまたこの時期ならではの見ものであった。

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元三大師堂。

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深沙大王堂。深沙大王像が祀られている。

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大きな水車を店構えにしているお蕎麦屋さん。

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深大寺水車館である。むかし、ここに直径4mの水車小屋があり、五つの突き臼と一つの挽き臼があり、地元人たちが穀物を突いたり挽いたりしていたと云う。この辺りが、豊富な湧き水があったと云う証でもある。

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で、打ち上げだ。今回は、深大寺と云うことで、「湧水」と云う名のお蕎麦屋さんである。

ビールは最高に喉にしみたけど、湧水そば美味しかったな~~~~。

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夕闇迫る駅までのほろ酔い散歩が、これまた最高だった。陽は西に沈み、月は東の空に上がり、「行はよいよい、帰りは怖い♪、怖いながらもとおりゃんせ~~♪」の合唱が聞こえてきたのは、空耳か?(笑)。 「月がとっても青いから、遠回りして帰ろう~060.gif」の風情であったな。 

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こちらは、灯が灯った布田神社である。夕闇に風情満点である。

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調布駅へ続く「天神通り」には、鬼太郎や、塗り壁、ねずみ男らがお出迎え~~~~。

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今回は約20000歩(約8Km)のコースだったけど、武蔵野面影残す素晴らしいコースだった。

案内してくださった姉さん、ありがとうございました。一緒に歩いて頂いた皆さま笑の絶えない楽しい散歩をありがとうございました。


by Koppe3T | 2015-05-04 17:27 | ウォーキング・散策 | Comments(4)  

神田上水の跡を訪ねて

先日、神田上水の跡を訪ねるウオーキングに参加してきた。

神田上水は、神田川の江戸川橋の上流に堰を造り、水位を上げた上で取水し小石川・駿河台を経由して神田・日本橋へ上水を供給していた、日本最古の都市水道である江戸期の一大インフラの一つである。江戸入府直後に家康が命じ、寛永年間には完成したと云うから400年も前に上水が整備されていた江戸の町なのだ。

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集合は、江戸川橋駅だ。まずは、江戸川橋から「神田川」の上流方向を望む。江戸川公園に植えられた桜並木が川面へ伸びており、桜の季節はさぞ盛大に違いない。神田川左岸の首都高速が目障りではある。

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まずは、江戸川公園。ここは、かの松尾芭蕉が延宝5年から4年間この近くに居住して現場監督として神田上水の改修工事に携わったと云う。芭蕉がどうして改修工事を?であるが、幕府から工事を命じられたのが伊賀国藤堂藩であったことから、藤堂藩の武士であった芭蕉も携わったらしい。

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神田川に右岸は目白台の崖線を形成しており、石積も古めかしい。

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江戸川公園の中ほどには、神田上水の取水口に使われた石柱が残されていた。現在も関口と云う地名が残っている「関口大洗堰」だ。

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更に神田川を上流へ進むと、右手に「椿山荘」が崖上に見えてくる。その少し先に「関口芭蕉庵」が復元され残されている。庵内は目白台崖線を見事に利用した深山を思わせる佇まいになっていた。「古池やかわず飛びこむ みずのおと」の句碑も残されていたな。

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芭蕉庵の奥には「水神社」が、古色蒼然と鎮座だ。鳥居の奥の2本の大銀杏がいかにも神宿る風情であった。

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水神社と芭蕉庵の間には、急峻な古坂だ。「胸突坂」とのことだ。坂がけわしく、自分の胸を突くようにしなければ上れない」ことから付いた名前とのことだ。見るからに急な坂であり、上ってみる気にはならなかったな。

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崖線巧みに活かして造られているのが「椿山荘」だ。庭園内の樹齢500年と云われる御神木(椎の木)が見事だった。

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園内には、色々な亭や三重塔などが建っており、散策には飽きない。園内の「蝋梅」や「白梅」も見事に開花していたな。

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神田川沿いを江戸川橋まで戻ると、明治時代に暗渠となり現在は「水道通り」と呼ばれ住民の生活道路になっているが、その袂に「神田上水跡」の碑が侘しく残されている。必至に探さないと見落とすほど寂しい碑である。

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この辺りの北側は「小日向台」であり、この台地に沿ってくねくねと水道通りが続いている。この水道通りが暗渠化された「神田上水」だったとのことだ。「水道通り」と云う呼び名が嬉しい。

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そして、水道通り沿いの小日向台側には、寺院が多い。その中でもこちらは、宝永2年(1705)この地に移転してきた浄土真宗の古刹「本法寺」だ。夏目漱石の菩提寺でもあり、「坊ちゃん」にも名前を変えて登場しているのである。

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小日向台への坂道が何本も神田川方面から登っているのを楽しめる水道通りである。「大日坂」、「服部坂」、「荒木坂」、「今井坂」、」「金剛寺坂」などである。

それらの坂のひとつ、荒木坂である。 この坂の上に、荒木志摩守の屋敷があったので、「荒木坂」と呼ばれた。

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さらに、徳川慶喜公の終焉の地側の金剛寺坂。金剛寺と云う禅寺があったと云うことだ。慶喜公終焉の地は、今はとある大学の大学院の敷地になっていた。

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その先にあるのが、安藤坂だ。

安藤坂を少し登り東へ進むと、「牛天神」で有名な「北野神社」だ。狛犬が牛さんなのが面白い。

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また境内には、源頼朝が腰かけたと伝わる「なで牛」が鎮座し、撫でると願いが叶うとのことだ。頭からお知りまで撫でまわさせていただいた(笑)。

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で、この北野神社には五穀豊穣の神であると云う「髙木神社」も祀られていて、「髙木」に神社がありましたか~~~~と、独り大はしゃぎ(笑)。

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こちらは、牛天神側の実に急峻な坂である「牛坂」だ。

源頼朝が小石川の入江に舟をとめ、老松につないで凪を待っていると、夢に菅原道真が牛に衣冠を正して現れ、お告げをしたとのことだ。夢がさめると牛に似た石があったと云う。これが、牛天神に残る「牛石」とのことだ。これが「牛坂」の由来とのことである。

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この牛天神の下あたりで、神田上水は水戸藩上屋敷(現小石川後楽園)に引き込まれ、余水は神田川へ放水されていたと云う。神田上水の本流は、現東京ドームシティを横切り白山通りから南下して水道橋へ導かれていたと云う。

ではでは、と云うことで小石川後楽園へ。

園内は、大きな池や渡月橋・西湖の堤・愛宕山などの築山・円月橋・梅園・菖蒲園などが造営された庭園であった。実は、人生初の「小石川後楽園」であった。

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園内の「神田上水跡」と案内されていたのは、この辺りの流れであった。
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古代ローマの物語を読むと、上水道をその家に引き込むと庶民とは違い莫大な水道利用料を支払ったとのことである。さてさて、江戸期の水戸徳川家も天下の上水を引き込んだのであるから、莫大な使用料を市井の民に与えていたに違いない(ムムム・・・ではある。)。
園内から現在の東京ドームの白い膨らみが望める。森の向こうの白いドーム屋根は、どでかい宇宙船のように見えたな。

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神田川沿いを水道橋方面へ歩くと水道橋駅側の欄干には、「水道橋」の地名の謂れである神田川に架けられた懸樋(かけひ)のレリーフが掲示されていた。

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実際の懸樋は、現在の水道橋より数百メートル下流の駿河台寄りに架かられていたとのことで、下流へ数百メートル歩くと「神田上水懸樋跡」の碑が残されていた。ここに架けられた木造の懸樋で神田川を越え神田や日本橋へ上水が供給されていたとのことだ。碑の下は神田川が流れ渓谷の様だ。対岸はJR中央線が走っているが眺められる。

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神田上水懸樋」の絵が残されている。木造の懸樋が何本かの木柱で支えられているのが窺える。
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神田上水は、明治維新後も使われたが、明治19年コレラの大流行を機に新しい上水道が建設され多摩川の水が淀橋浄水場へ導かれ、明治31年に完成。明治34年に神田上水の給水は停止されたとのことだ。
江戸期の先人達の上水に賭ける並々ならぬ努力と労力に、頭が下がる思いの「神田上水」跡地ウォークであった。

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by Koppe3T | 2015-01-26 13:05 | ウォーキング・散策 | Comments(2)  

甲州街道の宿場町「内藤新宿」を歩く

四谷から新宿へ向かう甲州街道(現新宿通り)周辺の歴史散策へ参加してきた。

出発は四谷駅からであったが、外堀の風情も感じたく市ヶ谷から旧外堀を眼下に土手を歩いてみた。こちらは、三年坂。三年寺の寺地だったところで三念寺坂が正しいとのことだが、俗間の誤りで三年坂と称されて現在に至ったとのことだ。

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で、こちらが出発地である江戸城外堀の上に残る「四谷見附跡」である。甲州街道方面の防衛の要であった場所である。

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弦新宿通り(甲州街道)を内藤新宿方面へ。甲州街道から南方面への小路へ入り込み、最初の訪問地はあの服部半蔵ゆかりのお寺さん「西念寺(さいねんじ)」だ。
槍の半蔵と云われた服部半蔵の槍がこのお寺さんに残されているという。また境内に半蔵のお墓が苔むして残されていた。

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この辺りは谷間があり、こちらは結構急な坂で「観音坂」。西念寺と真成院の間を南に下る坂で、真成院の潮踏観音にちなんでいるとのことだ。

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こちらは、「東福院坂(天王坂)」。坂の途中にある阿祥山東福院に因んでこう呼ばれた。別名の天王坂は、明治以前の須賀神社が牛頭天王社と称していたため、この辺りが天王横町と呼ばれていたことによる。

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さて、こちらが「須賀神社」だ。須佐之男命を主祭神として寛永11年にこの地に鎮座されたとのことだ。境内は、正月を迎える準備で忙しそうだったな。

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四谷と云えば、ご存じ「東海道四谷怪談」!!。 この物語は、後世の創作物語ではあるが、江戸時代に実在した「お岩」さんは、家庭を大事にした貞淑な妻だったと伝えられている。お岩さんを祀るこの陽運寺於岩稲荷)は、えんむすびの寺とのことだ。

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於岩稲荷の向かいにあるのが、通称お岩さまと親しまれている田宮神社だ。境内には四谷怪談の記事が満載だった。

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甲州街道に戻り西へ向かうと、現四谷四丁目交差点辺りが、「四谷大木戸跡」だ。

元和2年(1616)に大阪夏の陣の翌年で、豊臣の残党が江戸に侵入するのを防ぐのが目的であったと言う。寛政4年(1792)に廃された大木戸である。当時の風情が絵に残されていた。

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さて、「内藤新宿」の語源にもなった信州高遠藩内藤家の下屋敷の跡地が明治になって新宿植物御苑となり、戦後「新宿御苑」として一般公開された「新宿御苑」へ。

ここは、40数年ぶりの訪問になるが、全く40年前の記憶はない(笑)。実に広大である。まずは、玉川上水を引き込んで造営したと云う「玉藻池」だ。

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更にフランス庭園やイギリス公園を眺めながら、下の池へ。紅葉が美しいし、ほとりには水仙の群生も。

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こちらは、もみじ山の紅葉だ。この師走も押し迫ってここまで綺麗な紅葉が観賞できるとは思わなかったな。

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更に、「じゅうがつざくら(十月桜)」も咲いている桜園地だ。春と秋の2回開花すると云う。

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御涼亭。皇太子(後の昭和天皇)のご成婚を記念して、台湾在留邦人の有志が造営・献上したもので、昭和2年(1927)に完成したもの。内部から眺める水辺の風景が素晴らしい。
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日本庭園のエリアへ入っていくと、こんなにも真っ赤な紅葉が。12月の下旬にここまでの紅葉は、もうけもの(笑)。
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楽羽亭で頂いた抹茶。しんと静まった立札席が異様ではあったけど、美味であった。
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日本庭園の風情は、小雨も手伝いしっとり感がいい感じだ。
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御苑を新宿門から出て、ほど近い所に今も残るのが、内藤家の菩提寺である「太宗寺(たいそうじ)」だ。慶長年間(1596頃)の草庵が始まりとのことだ。
「江戸六地蔵」のひとつである銅造地蔵菩薩も残されている。
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更に新宿一丁目方面へ向かい靖国通り沿いにあるのが、宿場ならではの哀しい歴史を今に伝える「成覚寺(じょうかくじ)」だ。江戸期の飯盛り女の投げ込み寺で、数千人が葬られたと云う。 「子供合埋碑」が残っていた。 飯盛り女のことを子供と称したとのことだ。
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靖国通りと新宿五丁目方面へ。この辺りまで来ると、人並みが一気に増えて、なんでこんなに人がいるんだろう???と感嘆しきり(笑)。
新宿五丁目を左折し、甲州街道方を横切った辺りにあるのが、「天竜寺」だ。ここには、江戸三名鐘のひとつ「時の鐘」が残されていた。
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後半小雨に見舞われたけど、全行程約10キロ。落伍せずに歩き通せたし、この時期には珍しい桜や師走の紅葉と、感嘆しきりであった。

最後に、今回歩いたエリアの安政年間のジオラマと切絵図はこちらである。
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by Koppe3T | 2014-12-22 13:56 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

浜町~高輪・品川ウォーク

最高気温が18.5℃まで上がり穏やかな秋の1日、隅田川沿いや芝浦~高輪を歩いてきた。

出発は、浜町駅から。駅の傍の浜町公園の銀杏も黄色く色付き初めていた。
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秋の暖かな日差しの下、隅田川沿いを散策だ。日本橋消防署の水上消防艇とスカイツリー。消防艇が凛々しい。
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隅田川を下るディズニーランドのような遊覧船も楽しそうだ。その向こうには対岸の「芭蕉庵」跡も望める。江戸期の芭蕉が生きていた頃(1693年架橋)に架けられた「新大橋」も近く、芭蕉の句に「ありがたや いただいて踏む 橋の雪」が残っているとのことだ。
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昭和3年清澄町と中洲を繋ぐ橋として架けられた清洲橋が見えてきた。ドイツのケルンの吊り橋はモデルなので通称ケルン橋とも呼ばれている。
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暑くてシャツ1枚になっての隅田川テラスの散策だ。永代橋とその向こうに佃島の大川端リバーシティが見えてきた。永代橋は、元禄11年に架けられたのが初代とのことだ。江戸期この橋の上からの眺めは、富士山、筑波山箱根、房州上総と絶景の眺めだったらしい。隅田川沿いのこのテラスでのランチも楽しいだろうな。
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ここ豊海橋から日本橋川沿いを遡上だ。
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今は埋め立てられ、その上は首都高速が走っているが、箱崎川があったこの地には「行徳河岸」があり、行徳からの塩が小名木川を通って運ばれたり、成田山詣での出発地として賑わった場所とのことだ。
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こちらは、日本橋小網町にある古社「小網神社」である。文政元年(1466年)、伊勢神宮を本宗としてこの地に鎮座され、その後太田道灌が社殿を造営し「小網神社」と命名したと伝わる古社だ。関東大震災時宮司が神体を抱えて新大橋へ避難し、多くの人とともに無事だったり、戦災でも焼失しなかったとということで、「強運厄除け」の神として崇められていると言う。強運厄除けにあやかりたく「強運厄除けお守り」を購入だ。
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ここ日本橋の袂から、First Class Cruiseが売りの豪華リムジン・ボートに乗船!!!。これがまた実に豪華なボートなのだ。外観のスタイルも美しい最新鋭だ。
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レインボーブリッジの真下を通過し、台場の周りを一回りして、芝浦桟橋へ上陸だ。東京湾では結構なスピードで疾走だったけど、揺れも少なく快適な船旅(笑)を味わえるのだ。30分ほどの船旅であったが、水上から眺める都心の風景は新鮮であった。
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しばし、芝浦運河沿いを歩き、高さ制限1.5mのJRの線路下を前かがみになりながら通過だ。ここは、「高輪橋架道橋」と呼ばれている鉄橋の下の水路がトンネルになったものだ。歩道と車道に分離されているけど、車高の高い1Box車などは通行出来ない。タクシーが何台か通行していたけど、知る人ぞ知る抜け道なのであろう。
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第一京浜に出るとすぐ傍に「高輪大木戸」があった。江戸治安の維持のために東海道の江戸入り口にあたるこの地に1710年に設置された木戸である。街道の両側に築かれていたが、現在は海側のみが残っている。
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和銅年間(709年)創建と伝えられる「御田八幡神社」。
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御田八幡の左手階段(136段もあり、都心の階段では最も段数も高低差もあるとのことだ)を登ると、更級日記にも書かれた皇女と武蔵国の衛士の駆け落ち伝説がのこる「亀塚」だ。ここを登る階段はきつかったな。登り切ってから「ふぅ~~~。」であった(笑)。今では、前に高層ビルが立ち並んでいるが、江戸期までは眼前に江戸湾が広がり眺望抜群であっただろうな。
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その後、江戸期以前の旧東海道を歩き、「幽霊坂」を下ると、「玉鳳寺」だ。野ざらしのお地蔵様を修復しおしろいを施すと、和尚の顔の痣が消えたとの伝説から「おしろい地蔵」と呼ばれていると云う。私も身体中におしろいを塗らせてもらった。
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伊皿子坂を下って、泉岳寺へ。昨日も、多くの参拝客で賑わっていた。
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高輪高校の敷地内を通過する小道を抜けると、昭和的な家屋やアパートがある一画へ。しっかりした井戸も現役で残っているのだ。
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高輪消防署。古風な煉瓦造りと屋上のタワーがノスタルジー満点である。
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1299年創建の「承教寺」入り口の「件(くだん)」。狛犬ではなく件と云うとのことだ。牛から生まれ人の言葉を話すとともに、生まれて数日の命であるにもかかわらず、作物の豊凶や戦の予言までし、ことごとく当たったと云われる。
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高輪台の実に閑静住宅地を抜ける小道を行くと、「東禅寺」だ。幕末に最初のイギリス公使館となった臨済宗のお寺さんである。山門前には「最初のイギリス公使宿館跡」の碑が建っている。水戸藩士らによる襲撃事件で通名。なお、その後、御殿山に建設中の英国公使館も長州藩士の高杉晋作や伊藤博文らにより焼き討ちに合っているんだよね。境内の三重塔が美しいとのことであるが、日曜日は境内に入れないようで残念ながら拝観出来ず。
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最後に「高輪プリンスホテル」へ。約40年ほどの昔、年末ダンスパーティが毎年ここで開催され、この高輪台への坂を登ってきたのを思い出していたな。
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プリンスホテルの庭園を散策し高輪台を下山だ。三田から高輪は急な階段や坂が多く、足裏に結構ジンジンきてたけど、約8キロの行程を歩き通せてほっとしたな。
打ち上げの3時間飲み放題も色々な「いも焼酎」を楽しめたし、話題も尽きず楽しいひと時であった。引率並びに一緒に歩いて頂いた皆さまに感謝である。



by Koppe3T | 2014-11-24 10:57 | ウォーキング・散策 | Comments(6)  

雨の千住宿~~~

昨日は、生憎の雨模様であったけど、日光街道の宿場である「千住宿を散策してきた。

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前から訪れたいと思っていた「南千住」の「円通寺」と「小塚原回向院」を先行訪問だ。

まずは、千住大橋。徳川家康が江戸入府後隅田川に初めて架けた大橋(文禄3年)。現在の橋は、昭和2年に架け替えられた「ブレースドリブ・タイドアーチ橋」とのことだ。

そして、ここは、松尾芭蕉が奥の細道へ出発した地で「矢立て初めの地」の碑が建っている。

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こちらは、円通寺に移設された上野の寛永寺の黒門である。明治元年の上野戦争時の新政府軍と彰義隊の最も激しい戦闘だったという「黒門」で、数えきれないほどの銃弾の跡が生々しい。

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こちらは、小塚原回向院。小塚原刑場の処刑者を弔うために両国の回向院の別院として創建。安政の大獄で死罪になった橋本佐内や吉田松陰の墓がある。また、鼠小僧こと源達信の墓もあったな。

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さて、集合は北千住駅。雨の中全員集合で、いざ出発!!!

千住はお寺さんが実に多い宿であり、まずは金蔵寺(こんぞうじ)。建武2年(1335年)創建で、千住宿遊女供養塔や天保大飢饉の餓死者の無縁塔がある。

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不動明王が本尊の「不動院」。元弘2年(
1332
年)開山で、宿場関係の方々の墓石が多いお寺さんである。

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慈眼寺
(じげんじ)。正和3年(
1314
年)創建で、徳川家光の時江戸城北方祈願所となり、葵のご紋所要が許されていたとのことだ。

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浄土宗の源長寺。慶長
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年(1610年)開山。江戸期にこの地域に多く見られた大欅。昭和20年の戦火で最後の1本も焼失。その焼け残りが残されている。

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江戸期の台所「やっちゃ場」跡。現在は、当時の問屋の看板があちらこちらに残されている。

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歩いていると、突然いい匂いが。「銀木犀」の並木だった。金木犀ならぬ、銀木犀は初めて拝見・拝臭だった。

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千住神社
。延長4年(
926
年)創建で、源義家の奥州征伐時の陣営地で、ここで戦勝祈願をしたとのことだ。巫女さんもお出迎えで、一緒時参拝してくれていた。。

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千住神社の境内には「願かけ恵比寿」があり、恵比寿様を3回廻して願掛けしたい場所を神聖な布で拭くと願いが叶うとのことだ。ただし、男性は左へ女性は右へ回すところが味噌のようだ。私は当然「ボケ封じ」(笑)に頭をなでなで~~~(笑)。

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昭和4年建造と云う現
NTT
千住の煉瓦造りのビル。癒される造りである。

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こちらは、現役の銭湯「旭湯」。土日以外は、毎日営業しているようだ。独身時代の銭湯通いが懐かしい。

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赤門寺
とも呼ばれる勝専寺。文応元年(
1260
年)開山で、江戸期は徳川家の御殿が造営され、秀忠・家光・家綱らが日光東照宮詣での時に利用していたとのことだ。徳川家の本陣だったということだな。

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氷川神社
。千住には町内ごとに氷川神社があるとのことで、その一つ「本氷川神社」である。狛犬が凛々しい。

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千住宿の本陣は、跡形もなくこのような案内が残っているのみであった。

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お手洗いタイム~~に食べた「カスタードプリン」。疲れた身体に沁みたな。これが、50円と云うから驚きだ。

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千住宿の高札場跡地。今は、公園になっている。

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商家だったと云う「横山家住宅」。伝馬屋敷だった横山家で、江戸後期の建物と云うことだ。

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長円寺
(ちょうえんじ)。寛永4年に出羽湯殿山の行者、雲海が庵を結んだのが始まりとのことだ。魚籃観音、目やみ地蔵などがあるのだ。

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江戸期から接骨医として有名な「名倉医院」だ。今も6代目の先生が営業しているというのも凄いことだ。江戸期は場所柄もよいので、門前は骨折患者でひしめいていたと云う。

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安養院
(あんよういん)。鎌倉時代北条時頼が創建したと伝えられる古刹である。

境内の「仲良し」ではなく「仲直し地蔵尊」が微笑ましいのだ。

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安養院側の、蔦のからまる波トタンの住宅。しぶくて古風だね~~。

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荒川土手に上がり河川敷も少々歩き、北へ向かう千住新橋を望む。

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更にこちらにも「青トタン」の住宅が。古さが沢山残っている千住なのだ。

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最後に訪れたのは、もう一つの氷川神社。境内に「ラジオ体操発祥の地」の碑が。
NHK
のラジオ体操だとは思うけど、碑の真意は謎だ(笑)。

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これは、また古風な外観で何屋さんだろうと思いきや?????、美容院であった。宿場町だね~~~。

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午後から降り出した雨で、靴の中はぐしょぐしょになったけど、今日は千住宿を南から北まで堪能出来たな。引率のリーダーと同好の皆様に感謝である。途中リタイアなしに歩き通せて良かった良かった。

歩き終えた頃には雨もあがり、居酒屋で打ち上げ!!!。こちらも楽しい2時間、ありがとうございました。


by Koppe3T | 2014-11-02 16:13 | ウォーキング・散策 | Comments(8)  

深川界隈

先日、未だに下町のいい風情を残している深川界隈を散歩してきた。

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深川と云えば、「小名木川」と「芭蕉庵」だとばかりに、向かったのは小名木川沿いを高橋(たかばし)から歩いて萬年橋へ。開削した「小名木四郎兵衛」さんの名前が現代にまで残ってるのって凄いことである。大阪の道頓堀と同じだね。

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                        萬年橋





高橋の袂には、江戸期の寛政から嘉永年間にこの地に住居を構えていた歌舞伎役者の二代目「中村芝翫」宅跡とのことだ。

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高橋から萬年橋の辺りは、「常盤町」と云われ下町っぽい。道端には真っ赤な実を付けた木が道路までたわわに。

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この萬年橋から隅田川に架かる昭和3年建造の「清洲橋」の眺めは実に美しい。

この清洲橋は、ドイツのケルン市に架けられたライン河の吊り橋をモデルにしたと云う。

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小名木川が隅田川と交わる所にあったのが、「芭蕉庵」だ。今は、「芭蕉庵史跡展望庭園」として整備されている。

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奥の細道へは、相棒の曽良とここからの出発だったのだろうな。芭蕉の座像が置かれた展望庭園は、清洲橋と隅田川を一望出来て素晴らしい。
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芭蕉の奥の細道は、「月日は百代の過客にして、いきかふ年もまた旅人なり」だったかな。芭蕉座像がお出迎えだ。

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隅田川沿いを上流へ歩くと、右に左に「大川端芭蕉葉句選」が迎えてくれる。

「野分して 盥に雨を 聞夜哉」 天和元年

「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」 貞享三年

「花の雲 鐘は上野か 浅草か」 貞享四年

などなど・・・

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大川端(隅田川沿い)を暫く歩くと「江東区芭蕉記念館」だ。外観はいかにも役所が作りましたとばかりの味もそっけもない。館の築山庭園を軽く散策。緑も多く、ヒヨドリ君がすぐそばで我々闖入者を大声で威嚇だった(笑)。

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次は、江戸期の豪商「紀伊國屋文左衛門」の屋敷跡で、享保年間には関宿藩主久世大和守の下屋敷だったと云う「清澄庭園」へ。明治になって、三菱財閥の岩崎弥太郎が購入し、明治13年に庭園として完成させた所とのことである。

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庭内には、悪趣味な人工の築山「富士山」なども築かれている。芭蕉が芭蕉庵で読んだ「古池や かはづ飛び込む 水の音」の句碑が残っている。芭蕉庵改修の際その敷地がせまいのでここに移されたとのことだ。
この古池は、松平遠江守の屋敷に現存していたとのことである。


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                    築山「富士山」:私的にはあまり好きくない造りである。


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清澄庭園は、鯉や亀、鴨が実に沢山生息する池が大きい。全国各地から集めたと云う石があちこちに据えられているので伊豆磯石、紀州青石、生駒石、伊豆式根石、備中御影石などなど名石に興味がある方には楽しめる場所であろう。

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ガメラ、現る~!!!!(笑)


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すぐ西隣は紀伊國屋屋敷の半分が清澄公園として無料の公園として開放されている。

その公園内の木造の時計塔である。何か謂れがあるのか物色したが、特になさそうだった。

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by Koppe3T | 2014-10-15 09:25 | ウォーキング・散策 | Comments(0)  

恐るべし、坂の街「麻布」

先日「麻布~三田~恵比寿」を歩いてきた。初「麻布」であったのであるが、坂が多いのには驚きであった。

出発は、神谷町から~。まずは、飯倉の交差点下1国沿いにある「西久保八幡神社」へお参り。源頼信は1012年頃創建し、大田道灌が江戸築城の時にこの地に移転されたと云う。社殿までの階段が急峻だ。
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八幡神社の脇道から裏手へ向かうと、「雁木坂」だ。敷石が直角(ハの字状状に)に組まれていたから別名「岩岐坂」とも書くようだ。
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飯倉の交差点を後ろに榎坂を少々登り、ロシア大使館の手前を左に進むとアフガニスタン大使館の近くにあるのが「日本経緯度原点」だ。先の東日本大震災(2011.3.11)に伴う地殻変動で27センチも移動したので原点数値を改定したとのことである。27センチも動いたんだねぇ~
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昭和5年竣工の旧逓信省郵便局で現麻布郵便局を右手にみて進むと「狸穴坂」が見えてきた。
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この狸穴坂は下らず進み、坂の下に「島崎藤村旧宅」がある「鼬坂(いたち坂)」&「植木坂」へ。植木坂は、この付近に植木屋さんがあったからとのことだ。23区の坂を調査したところ、この鼬坂を下ったところにある島崎藤村旧宅で、あの有名な「夜明け前」が書かれたという。
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更に、右手に結構な石垣のある下り坂へ。この坂は、「鼠坂」と呼ばれている。このような細長く狭い坂を江戸の人々は「鼠坂」と呼んだらしい。安政年間の江戸切絵図によれば、右手に見えた10数メートルはあろう石垣の上には松平右近の御屋敷だったようだ。
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で、これは、先ほどの「狸穴坂」を下から見た図である。左に写っている木造家屋は、腰板がその年季を物語っていて楽しい。まだ住んでおられると云うのがまたまた素晴らしい。
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で、こちらは平安時代に一条天皇の命で創建されたと云う「天祖神社」である。本殿したの石垣が見事だったな。
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こちらは、映画「三丁目の夕日」内でモデルになったという銭湯「小山湯」である。実に懐かしい造りである。
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そして、路地には「ケンケンパッ」で遊んだんであろうの跡が残っている。今でもこの遊びしてるんだね~~~。
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そして、こちらは安政年間に日米修交通称条約のもと、米国公使館が設けられて、公使ハリスが滞在していた「麻布山 善福寺」である。弘法大師が824年に開山したのだが、鎌倉時代にかの親鸞上人が訪れた時の住職が親鸞に傾倒し、「真言宗」から「浄土真宗」改宗したというのが面白い。寺域には、福沢諭吉のお墓もあるんだよね(寺域は撮影禁止のため、写真はありません)。
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ここ一帯を「麻布」と呼ぶようになったのも、ここ「麻布山」からきているとのことだ。山門前にある、「柳の井戸」。弘法大師の錫杖伝説は全国各地に残っているが、当地も弘法大師の錫杖で湧き出した井戸とのことだ。
写真を間違ってアップしていました(汗)。こちらが、その井戸です。
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麻布山を出たあと、韓国大使館を左に見ながら登った仙台坂。だらだら長い坂で、結構膝と足裏に来てたかな(笑)。
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平安中期、坂東武者平将門の乱の折に源経基(つねもと)が麻布の一本木辺りに歓心したと云う「元麻布氷川神社」だ。バックの頭でっかちマンションが景観を損なってますね。
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一本松坂」。確かに何代目になるのか、樹齢数十年の松が1本あります。平将門との戦のあと、源経基が装束を掛けた松とのことだ。
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大黒坂」、「七面坂」を下ると、そこは麻布十番本通。ここで、一休み~~。十番名物の「月島屋」の今川焼~~~~。甘さ控えめで、美味しかったな。麻布十番は初めての訪問だったけど、いかにもお金持ち~~の街の雰囲気だったな。
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麻布十番稲荷」。竹中稲荷と末広稲荷が戦災で焼失したのちに合併して出来た神社とのことだ。「若返り~~~」、「旅から元気で帰る!!」など、帰る(カエル)に縁起が良いとのことだ。
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坂下から望む「暗闇坂」。見るからに急である。両側から樹木が鬱蒼と生い茂って昼なお暗い坂道だったという。
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この暗闇坂の中腹から「増上寺隠居屋敷」だったと云う引き戸の門がある路地とは思えない路地を抜けて、狸坂へと下る。この隠居屋敷跡は知る人ぞ知る、超レアなルートであった。で、こんな幅1メートルもない路地も行けちゃうんだよね。
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そこには、遠くに六本木ヒルズを望める谷間の昭和の家並みが残っていました。
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江戸期、麻布にあった備中成羽藩の領主山崎主税助治正の屋敷にあった池に住む大ガマが大火の時、池の水を吹いて消したため「上」の字お守りが普及したとのことだ。
そのガマが住んでいたと云う「ガマ池」がこれだ!!。竹藪で見にくいけど、竹藪の下の池に満々と水を貯えているんだよね。高台にあるのに、どこから水が湧き出てくるのか不思議である。このガマ池は、マンションの敷地内で、この位置からしか望めないのである。埋め立ての計画が持ち上がったことがあったのだが、地域の外国人の反対で埋め立てを中止したと云う。
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江戸期、盛岡南部藩の下屋敷で、明治になり有栖川宮の御用地だったと云う「有栖川記念公園」を足早にチラ見(笑)。この公園の傍には「南部坂」。南部藩邸があったからの呼び名である。
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ここで、予約時間が目前と云うことで、年長者はタクシー~~~~(笑)。最後の訪問地「エビスビール記念館へ」。後刻徒歩組も全員集合で、エビスビールの歴史を勉強した後、エビスプレミアムと琥珀エビスを試飲だ。やはり、エビスは美味い!!。「麦芽とホップと水以外は一切使っておりません!!。」でした。当時の恵比寿駅の写真が素敵である。また、1987まで使われていたと云うこの仕込み窯の曲線美と銅の輝きは美しかったな。
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エビスビール記念館での美味しいエビスビールの後、外へ出ると実に綺麗な夕焼けだ。
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それにしても、麻布と三田の一画は、結構な高低差の坂のなんと多いことか!。「恐るべし、麻布の街!」であった。
楽しいアップダウンと昭和的なレトロが混在するコース、ありがとうございました。
翌日、膝が叫んでいたな(爆)。

最後に、歩いた当たりの安永年間6年(1859年)の江戸切絵図が、これである。直角に曲がる渋谷川-古川が今も同じに残っていますね。
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by Koppe3T | 2014-09-22 19:26 | ウォーキング・散策 | Comments(6)