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赤穂浪士終焉の地めぐり

赤穂浪士終焉の地巡りの歴史散策会に参加した時の記録である。


元禄15年(1701年)12月15日の吉良上野介の首を挙げた赤穂浪士の泉岳寺へルート後半を訪ねるコースであった。 浪士たちは、吉良を打ち取ったあと、永代橋を渡り旧赤穂藩上屋敷(現中央区の聖路加看護大学)で快挙を報じたあと、築地本願寺をかすめて東海道へ向かったと記録されている。
今回は、東海道に出てからのルートを訪ねるとのことだ。

まずは、赤穂浪士には直接関連はないが、「浜離宮」へ。
江戸初期は甲府藩の下屋敷として使っていた所であるが、6代将軍家宣の時に将軍の別邸になり「浜御殿」と称さてれていた将軍の「鷹狩の場」だったところである。

ブラタモリなど色々な番組で紹介されていたけど、今回初めて訪れることができた。
まずは、潮入りの池と中島の御茶屋。
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こちらは、将軍の御成りのとき以外は使われなかったという、「将軍お上がり場」だ。
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将軍の鷹狩のときに「鴨達を呼び寄せておく小堀」に鴨が何匹いるのかを確認するための「小覗」。
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いずれにしても、鷹狩も獲物を事前に集めておいて鷹を放鳥したとのことだから、今で云うところの「やらせ」ぽいものだったんだな(笑)。

園内には、梅も開花していて「春遠からじ」の風情満点だった。
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この外堀の石垣は、素晴らしい。
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さて、赤穂浪士の引き上げルート再開だ。旧東海道(現第一京浜)に出た浪士たちは、仙台藩上屋敷で、粥のもてなしを受けたと云う。粥は、仙台名産の「ほしいい」だったとのことである。現在は、日本テレビがでで~~ん建っているところである。
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<この日テレ、高くて見上げると首も痛くなる(笑))。
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日テレの敷地内にもこんな案内板があった。
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さらに東海道を下ると右手に、「芝大神宮」が見えてきた。寛弘2年(1005年)にこの地へ勧請されたと云う古刹であるが、当日はお日柄が良いようで、4組の挙式がご案内されていた。
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この一枚の写真は、新郎新婦をお迎えする宮の巫女さんたちであった。
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更に進むと、「金杉橋」だ。
ここで、同志の磯貝十郎左衛門にここから数十メートル上流にある将監橋近くに住む母親と永別するよう勧めたが、磯貝氏は謝絶したと云われている。
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旧東海道を更に下ると、赤穂浪士とは直接慣例はないが、JR田町駅の手前に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地」の碑があった。ここは、薩摩藩抱屋敷跡であり、慶応4年(1868年)江戸城総攻撃予定前日に西郷と勝が会談を行った場所であった。
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現在は、三菱自動車本社ビルとショウルームになっている。
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更に下って、「札の辻」である。宝永7年(1710年)までは東海道からの江戸への正面入口で、高札場があった場所である。交差点の名前としても「札の辻」が残っているのが嬉しい。ここからは、桜田通りの向こうに「東京タワー」が遠望できる。
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更に進むと、右手に御田八幡神社だ。ここで、討ち入り前に翻意して浪士グループと別れた「高田郡兵衛」が引上げ一行を出迎えたが、浪士たちは無視して通り過ぎたと云う。
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さらに進むと、左手に「高輪大木戸」の遺構が残っている。当初は、札の辻にあったのだが、享保9年(1724年)にここに移転されたと云う。
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さらに進むと泉岳寺への坂道が見えてくる。登り坂の右手に創業100年と云う「やぶそば」のお店だ。実にいい風情である。
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さあて、いよいよ「泉岳寺」である。
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赤穂義士墓所では、お線香を一束買い求めて、義士の面々に線香を手向けさせてもらった。
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さて、義士たちが浅野内匠頭の墓前に吉良の首級を備えた後の話であるが、浪士たちは熊本藩、松山藩、長府藩、岡崎藩の4藩に振り分けられて預けられている。

泉岳寺の右手の小道を登り二本榎通り沿いにあった熊本藩白金下屋敷に預けられたのは大石内蔵助はじめ堀部弥兵衛、磯貝十郎左衛門、原惣右衛門など17名である。二本榎通りに面して現在建っている高輪一丁目アパートの植え込みに「大石良雄等自刃ノ跡」の碑があった。ここが旧熊本藩下屋敷だったのである。
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更に他の浪士の預け先である、岡崎藩水野家中屋敷へ向けて、二本榎通りを下る。
右手に伊皿子坂(いさらご坂)が見えてきた。明国人伊皿子(いんべいず)が住んでいたと伝えられる。
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更に左手には、「幽霊坂」。坂の両側に寺院が並びものさびしい坂であったためとか。
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二本榎通りは自然と下り坂になり、「聖坂」との案内だが、ここにタモリ倶楽部でも紹介された「ホームセンターの資材だけでビルを造る男」と云う建築途上の建物があった。屋上でご本人が作業中だったな。
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最後は、水野家岡崎藩中屋敷である。赤穂浪士の内の間十次郎、奥田貞右衛門、茅野和助など9人が預けられた場所である。現在は都営三田線三田駅の西に広がる居酒屋が建ち並ぶ一画になっていた。
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最後に安政年間の江戸切絵図である。
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by Koppe3T | 2014-02-23 16:14 | ウォーキング・散策 | Comments(2)