土曜日は、練馬高野台から中村橋周辺のウォーキングに参加してきた。
外気温12~14℃、花寒の陽気ではあるが、行く先々の桜は満開で、今年の桜を心底堪能しながらの散歩であった。
まずは、昔から「東高野山」親しまれてきた真言宗豊山派のお寺さんで「長命寺」である。
こちらは、「南大門」。

長命寺は、北条早雲のひ孫である増島重明氏が慶長18年(1613)に開基した古刹である。
何度か火災に合っているのだが、こちらは17世紀後半の「仁王門」。

更に、江戸期初めの鐘楼と1650年の銘である梵鐘だ。

境内の奥の院へ向かう橋で「御廟橋」である。

境内には、実に多くの庚申塔や板碑が整然と祀ってあるのだ。




この井戸の水に顔が映れば長生きすると伝わる「姿見ノ井戸」である。自分の姿は映ったけど、「顔が写る」とは、皺まで見えたか否か不安ではある(笑)。


石神井川の桜である。満開なのだ。井戸を掘ったところ、石剣が出てきたので、ご神体として祀り村の名を石神井としたと云う説があるのだそうだ。それにしても、石神井川の両岸の桜は半端なく豪華だったな。




明治期まで石神井川を使って木材を流ししていた木材商問屋があった元締山緑地である。

またこの辺りには積田牧場と云う牧場があり、昭和53年頃まで続いていたという。今はまっすぐな川になっているが、
この緑地の下のカーブしている道路が、昔の石神井川なのだ。

南田中稲荷天祖神社である。1615年創建の田中稲荷と天祖神社が1880年に合併したという。




垢離取り不動尊(こりとりふどうそん)である。神仏祈願に出かける前に、海水や冷水で心身を清めることを垢離(こり)と云うそうだ。水垢離とか水行とも云われる。
江戸期、大山信仰が盛んになると、ここで不動に水をかけ、水垢離をしてから大山街道を通ってい大山へ向かったと云う。

都内唯一味噌を作っている味噌蔵である。昭和の初めに上野から移転して現在に至っている。

御嶽神社。江戸末期、に創建された神社で「火渡り神事」は区の無形民俗文化財になっている。

八幡神社。村の鎮守である。本殿は1773年(享保年間)再建である。水盤には、1830年(天保元年)の銘が残されている。また、卍の彫も残っており、神仏習合の時代を忍ばせてくれている。



こちらは、明治13年製作の狛犬である。


中村小学校である。校庭が天然の芝なんだよね~~。

歩いていると畑が。ブロッコリーのようだ。

正面に南蔵院の鐘楼門が見えてきた。南蔵院は、真言宗豊山派の寺院である。

院内へ入ってすぐの桜が、これまた大きく高く満開であった。

本尊は薬師如来で33年に一度に御開帳とのことだ。境内には300年前の長屋門、魚藍観音、江戸期の鐘楼門、首つぎ地蔵、閻魔堂などが見どころである。




明治期の学校は一人5銭の授業料が払える家の子しか通えなかった時代。学校が、この地に移転する際住民が湿地帯を開墾し水田とし、その収益を学校に寄付すとことにより多くの子が学校に通えるようになった。その水田が「学田公園」として残されているのだ。美談である。

さて、まるで巨大タワー・マンションみたいな練馬区役所が見えてきた。ここの20階は展望台となっており、遠くは富士山・秩父連山・赤城山などが遠望できるとのことだ。今回は曇り空で富士は拝めなかったけれど、豊島園はもちろん新宿副都心やスカイツリーなどを眺めさせてもらった。


タイムリーな日程設定で、石神井川の満開の桜に感嘆しきりのお散歩であった。奥が深いね、練馬区。
打ち上げのスペイン・バルも雰囲気最高だったな。姉さん、今回も案内ありがとうございました。